2008-08-13
DVD 『ノーカントリー』
ひとことで言うと、クソ映画である。アカデミー賞4部門を受賞し、そのほかにも信じられないくらい大量の賞を受賞している(*)のだが、だいたいそういうものに限って、ろくなものではない。
アントン・シガーという殺人鬼にまつわる話である。シガーは、麻薬取引の金を偶然持ち逃げした男を殺して、金を取り返せと指令を受けるのだが、この男、一切の理屈が通じない、自分の論理だけで行動し、その論理の帰結はつねに、目の前の人間を殺すというところに行きついてしまう、生まれついての殺人鬼なのである。人を殺すということについて、何の必然性もない。出会った人間は誰でも、自分なりの理屈をつくり、とにかく殺してしまうような、そういう怪物なのである。
その怪物が、かわいそうにちょっとした欲を出し、麻薬取引の金を持ち逃げしてしまった小市民を追いかけ、金を取り戻そうとするのだが、それだけならこれまで五万と作られたホラー映画と何も変わらない。女の子とエッチしようと行った人気のない海岸で、ジェイソンに殺される哀れな高校生と同じである。しかしこの映画が最低なところは、この当たり前な、これまでいくらでもあったホラー映画の設定を、「アメリカという国のせい」にしてしまうことなのである。
監督はコーエン兄弟。インテリである。彼らはトミー・リー・ジョーンズ扮するベル保安官という役柄を話の引き回し役にし、おじいさんも、お父さんも保安官をしてきた古風な保安官である彼に、金と麻薬のために人が次々殺されるこの事件は、到底理解できない、と嘆かせるのである。終盤、保安官が叔父さんと交わす会話に、「この国は人に厳しすぎる。それはこれからも変わらないし、よりひどくなっていくだろう」というような台詞がある。この映画で主張したいのは、悪いのはアメリカだ、ということなのである。
アメリカはこのところ、低能なブッシュ大統領のもと、自らの訳の分からない論理で次々と戦争を始め、 人を殺しまくっている状況である。この映画はそれを皮肉っていることは明らかである。映画人のような芸術家はだいたい、政府には批判的な人間が多いし、歴史的に大国に弾圧され続けてきたユダヤ人も多い。芸術的な、華麗で深刻ぶったやり方で、そうとは分からぬよう、ブッシュ大統領およびアメリカの現状をを批判すれば、喝采を上げるのだと思う。それがこの映画があまりに多すぎる賞を受賞した理由なのだろう。
しかし殺人鬼はいつの世にも現れるものであって、それはべつに世の中が生み出したものではない。自らの論理のみで人を殺していくシガーは、 金と麻薬にまみれたアメリカによって生み出されたのではない。アメリカとは無関係な怪物なのである。それをあたかもアメリカの現状が反映されているかのように、意図的に、表現して見せるのである。しかもコーエン兄弟、インタビューに答えてくり返し、「この映画は原作に忠実に作った」とぬかしている(*)。自分たちの責任を、原作者に転嫁しているのである。どれほど最低なやつらなんだ、お前らは、と僕は聞きたい。
しかしまあ、アメリカという国はこのように、反体制のプロパガンダを、日本の地方都市の、街外れのしがないレンタルビデオ店までもが、協力させられてしまうような力を持っているのである。勝ち目がないとは、全くこのことである。
評価:☆☆☆☆☆ 0.0
ノーカントリー オフィシャルサイト