2012-02-24
梅干しの風味でさわやかなアクセント。
「豚の梅鍋」
梅干しは、日本人にとっては、最も身近な食べ物だといってもいいだろう。
もちろんまずは、日本人にとっては、白めしが食事の中心なわけだけれど、おかずに何を食べるかということになれば、梅干しはかなり上位にランクインされるのではないか。
日の丸弁当は、日本人のお弁当の代表だ。
まあそれは、梅干しがご飯が腐るのを防ぐ効果があることも、弁当に梅干しが入れられるようになった理由なのだろうけれども、おかずとして身近であったことも間違いないのだろう。
梅干しは、きちんと漬けられたものは、100年たっても腐らないのだそうだ。
現存する最も古い梅干しは、1576年に漬けられたものだという。
水上勉「土を喰う日々」に、恩師が漬けた53年前の梅干しを食べる話が書かれている。
初めの舌触りは塩辛いが、あとは甘露のような甘さとなったという。
梅干しは、料理にもいろいろ使われるわけだけれど、鍋に入れてももちろんうまい。
カツオと梅干しは、「梅かつお」ということばもあるくらいで相性がよい。
梅干しが、だしの味を引き立てながら、さわやかにしてくれる。
鍋に梅を入れるのは、自分で思い付いたものではあったが、ネットを見たら、すでにたくさんレシピが載っていた。
先日やった、「鶏の梅鍋」もうまかったし、今回の豚肉の梅鍋も、やはりうまかった。
それに間違いなく、イワシのつみれなど、魚介類にも合うと思う。
梅干しが、肉や魚の脂っこさや臭みを消してくれる。
合わないものが、ちょっと思い付かないくらいだ。
ふつうに、昆布と削りぶしのだしを取る。
これに酒とみりん、うすくち醤油で味付けする。
梅干しにはけっこう塩気があるから、醤油を控えめにしておくことがポイントだ。
梅干しは、包丁でよくたたき、ペースト状にする。
800ccのだしに対し、小さめの梅干し10個を使った。
けっこうたっぷり使うのがいい。
梅干しはべつに、好きなのを何でも使ったらいいと思う。
あとは何でも好きな材料を煮て、最後に梅干しペーストを載せる。
だしに溶かし込んでから材料を煮るようにしてもかまわないけれど、こうしたほうが見栄えがいい。
またなんなら水炊きにして、タレの方に梅干しを入れるようにしても、また悪くないとは思う。
七味などはかけないほうがいい。
うどんもうまい。
長いあいだ疑問に思っていた、「鍋」と「汁」のちがいが、最近ようやくわかったような気がした。
鍋も汁も、だしで具をグツグツと煮て、煮た具を汁といっしょに味わうという意味では、まったく同じともいえるものだ。
明らかなちがいと思えるのは、汁は台所で作り、それをお椀によそって食卓へ運ぶのに対し、鍋は食卓で調理をし、その鍋から各自で直接よそって食べるということだった。
それでは、たとえば豚汁を食卓で作れば、材料が同じでも、「豚鍋」になるのかと思うところだろう。
しかし鍋と汁のちがいは、どこで調理するかによるものではない。
そうではなく、
「具と汁のどちらを優先させるか」
を示したものだったのだ。
これは「煮物」と「おでん」とを、いっしょに考え合わせてみることによりはっきりする。
まず最も具が優先されるものは、「煮物」だ。
煮物の汁は、具に味を付けることだけを目的としていて、汁を飲むことをまったく考慮に入れていない。
煮汁には濃い味が付けられ、さらに煮詰めて濃厚になったりもするから、その煮汁はそのままでは飲めないこととなっている。
「おでん」の煮汁は、煮物にくらべると、だいぶうす味となっているから、飲めないこともない。
しかしおでんも、ふつうは具を味わうもので、汁を飲むのは少数派といえるだろう。
おでんが平たい皿に盛られることが、「煮汁は飲まない」ことを示している。
煮物、おでんと並べば、次に来るのが、「鍋」だというわけだ。
鍋は、具と煮汁の両方を味わう。
具と煮汁の、どちらが主役ということはない。
それに対して、「汁」は、明らかに煮汁の側に重点があるだろう。
汁は文字通り、その汁を味わうものなのだ。
だから具は、だいたい小さく刻まれていて、しかも鍋にくらべると、量も少ない。
具をたくさん入れる場合は、「具だくさんの味噌汁」などのように、わざわざ注釈が必要だということとなる。
だから、鍋をやる場合、やはり具をきれいに並べることが重要なのだ。
鍋で煮るときも、またそれを器によそうときも、具の一つ一つをきちんと区分けして、混ぜないようにしないと、どうも鍋らしくならない。
鍋や器に、具が混ざり合ってしまっていると、とたんに「汁」のように見えてしまうのだ。
「具の存在感が際立っているかどうか」
が、鍋を汁と区別するポイントだといえるだろう。