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2008-05-05

韓国料理



ぼくが韓国料理に初めて触れたのは、大学二年で韓国へホームステイに行ったとき。韓国の家庭でまさに、韓国家庭料理を体験したのだが、その時は衝撃の大きさに、文字通り消化不良となり、腹を下して大変だった。

韓国料理はよく知られているとおり、基本的に辛いわけだが、そのときその辛さがダメだったということではなかったと思う。何と言うか韓国料理のあの独特の臭み、韓国ではどんな料理にも必ずするし、インスタントラーメンでもする味、日本ではあまり味わったことのない、出汁の味と言おうか、何とも説明が難しい、その味が、まずダメだった。

今思えばそれは、韓国ではどんな料理にも必ず大量に入っている、にんにくの味だったと思うのだが、ダメだったのはそれだけではない。日本の料理なら必ず一番大切にする類の味、風味と呼ばれるような、そういう味が、韓国の料理にはまったくしないのだ。一度日本風だという味噌汁を作ってくれたのだが、それはにんにくの味こそしなかったが、おそらく味噌が煮込まれていて、入っていたワカメもくたくたで、味噌汁らしい香りも歯ごたえも、まったくしなかった。お母さんとしてはぼくが韓国料理がダメなようだからということで、気を遣ってわざわざ作ってくれたわけだが、さらにダメを押される結果となってしまったものだ。

さらに物を食べる時の作法も、日本とはまったく逆のものが多く、それも受け入れ難かった。例えば韓国では、大皿に盛られた一つの料理を、家族の皆が箸やスプーンでつつき、そこから真っ直ぐ口に運ぶ。取り分け用の小皿がないのだ。また立て膝をし、お膳に肘をついて食べるのは、女性の食べ方として作法に適ったやり方だし、汁物にご飯を入れて食べるねこまんまも、韓国では何も下品なことではない。とまぁこのように、一から十まで日本と違う韓国の文化のあり方に、カルチャーショックを受けてしまったというわけなのである。

しかし韓国の文化が日本と違うと言っても、例えばアメリカが日本と違う、といった意味では、むしろ韓国と日本は似ていると言っても良い。中国に端を発する文化の世界という意味では、共通する部分が多いし、そこにアメリカやヨーロッパの文化、まぁそれは今の世界標準と言っても良いのだろうが、そういうものを取り入れているそのやり方も、日本と似たようなものだ。家にはテレビもステレオも冷蔵庫も洗濯機もエアコンもパソコンもテレビゲームもある。ソウルなどの街並みにしても、ぱっと見ると、日本と似ている感じがする。ところがよくよく見ると、一つ一つがすべて違う、そういう感じなのだ。昔テレビで主人公の子供が迷子になり、雑踏の中お母さんを探し歩いて、見つけたと思って後ろから声をかけると、振り向くと皆別人だった、という子供向けのミステリーを見た記憶があるが、何となくそれを思い出すようなところがある。

韓国へはその後、何度も行く機会があり、ショックを受けたのはこの初めて行った時だけで、それから韓国の料理も文化も大好きになり、今では自分でも、チゲなどを作ったりもするようになっている。ちなみに日本の韓国料理店では、韓国で食べる韓国料理のあの独特の臭みはまずしない。日本人が受け取ることが出来ないからだろう。

ある時勤め先のある渋谷に、その頃はまだ珍しかった韓国家庭料理の店ができて、そこが韓国のその味がしたものだから、毎日毎日、昼も夜も通い続けたことがあった。オモニと呼ばれる料理長は、恰幅の良い、韓国訛りの日本語を大きなだみ声で話す中年の女性で、行くと山で自分で採ってきた野蒜を和え物にしたものなど、メニューにはない料理を色々出してくれたものだった。そうやって韓国料理を食べ続け、だんだん舌が慣れてくると、日本の料理はただ塩っぱいだけで味がしないと感じるようになり、食べるのが嫌になってしまった。韓国料理には韓国料理の、それなりの調和があり、その調和のあり方が、日本の料理とは違うということなのだろう。ところが半年ほどするとそのオモニは店を辞めてしまい、すると店の味がまったく変わり、日本人向けの大人しい味になってしまった。たしかにその店は、日本人の友人を連れて行っても、韓国丸出しのその味には耐えられない人が多かったから、経営的には正しい判断だっただろう。しかしある時そこで食べたキムチチゲに、韓国では入っているはずがない、粉末かつお風味だしの素の味がした時、これはもうだめだと思って、それからはそこへは行かなくなってしまった。

ここ数年、自分でも色々料理をするようになってみて、韓国料理の味の秘密が少し分かりかけてきた。韓国料理も日本料理も、中国料理をお手本として、等しくその影響を受けたと考えることはできるだろう。そうだとして何故これほど違うのか?よくありがちな答え方としては、風土の違いや、その土地でたやすく手に入る材料の違いなどで説明しようとするということがあると思う。しかし韓国と日本で風土がそれほど大きく違うわけでもない。気候も似ている。韓国ではどちらかと言うと肉を食材として主に使い、それにたいして日本は魚を主に使うと言うことはできるだろが、韓国も三方は海に囲まれており、魚が採れないわけではない。日本に牛や豚がいなかったわけではない。もっと何か大もとの考え方に、この違いの理由がある、そういう風に考えたくなるのである。

中国料理の調味料の体系というものがあったとして、まぁ中国は広いから、そうそうひとことで言い尽すことはできないだろうが、あえて言えば、にんにく、しょうがから始まり、ごま油、砂糖、塩、酒、醤油、味噌、酢、長ねぎ、唐辛子、といったところだろう。ざっくり言うとこれらの調味料のうち、にんにくと、ごま油、唐辛子、この三つを思いっきり増幅すると、韓国料理となる。また逆にこれらをまったくなくすと、日本料理となる。韓国料理は日本料理と、この三つの調味料について対称的、真反対なのだ。

それではどうしてこのような対称性が生まれたのか、それはどのような考え方に基づいたものなのか。それはおそらく、「臭み」や「えぐみ」にたいする対処のあり方の違いなのだと思う。

料理をする時、使われる材料が持つ臭みやえぐみをどうなくし、そしてどううまみだけを引き出し、調和させることができるのかということは、考えなければならないとても重要なことだろう。その一つのやり方として、それら臭みやえぐみを、できる限り取り去ってしまうということがある。これが日本のやり方だ。一つ一つの材料について、下茹でなど念を入れた下処理をする。また丁寧にアクを取る。これらはそういう考えに基づいている。

それにたいして韓国では、目には目を、ではないが、その臭みやえぐみと同じくらい、癖のある調味料を使い、それによって臭みやえぐみを相殺してしまうということなのではないだろうか。それがにんにくであり、ごま油であり、唐辛子なのだと思う。

そのような大もとのな考え方、言わば戦略の違いが、調味料のあり方の違いに反映され、そうすると、日本風の薄味には魚の方が合うし、韓国風のどぎつい味には、肉の方が合うというように、使われる材料の違いとして現れていく。使われる材料が違うということは、前提ではなく、結果なのだと思うのである。

そのように考えると、韓国の人はよく、普通に会話していても喧嘩しているかのように見えたりすることがある。言い方がお互い激しいのだ。それに対して日本人は、お互いできるだけ角を立てないようにする。そういうことも何となく、同じ大もとの考え方の一つの現れであるような気がしてくるのである。