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2011-05-31

不信任案、鯛アラの鍋、鶏水炊き

自民党が内閣不信任案を提出し、それに公明党と、小沢一郎およびその一派が賛成する、というかまえになっているようなのだが、これってどうなのか。

まあまずたしかに、菅首相のリーダーシップが、発揮されているようにはまったく見えない、ということがあるわけだ。たしかにそれは見えない。震災以前から、それは一貫して変わっていないが、菅首相はいつも、消費税増税みたいなのが典型だけれど、自分ひとりで訳のわからない、誰も支持しないような方針を打ち出して、けっきょくそれを引っ込めるみたいなことになるか、または何か問題がおこると、それじゃダメだろう、というような解決策を打ち出して、けっきょくそれでは解決できずに、泥沼にはまっていくということを繰り返している。このひとは、全員が自分の腹心であるような、中小企業の社長とかにはいいのだろうが、すべての物事を機関的に動かしていかなければならない、大企業の社長とか、一国の首相とか、そういうものには向いていないということだ。国という船を、前にも後ろにも、まったく動かすことができず、ひとりでじたばたしているような印象がある。

近年、首相としてリーダーシップを発揮したといえるのは誰だったかと考えてみると、たとえば小泉元首相だったりするのじゃないか。小泉元首相は、歯切れのよい発言をし、抵抗勢力をあぶり出し、それをバッタバッタと切り捨てて、小泉構造改革を見事に実現していった。僕自身もそれに喝采をおくり、郵政選挙では小泉元首相の側に投票し、その勝利をよろこんだ。

しかしその後、小泉元首相がけっきょく何をしたかを、よくよく検証してみると、医療改革によって医療制度を崩壊させ、地方の医師の決定的な不足をまねいたり、大学改革で、研究費が削られた教授が、とにかく利益優先の目先の研究に走らせるようにしたり、大企業の言うことを聞いて派遣法を改正して、それによって派遣切りが横行し、貧困が深刻な問題となったり、それでそうやって構造改革してみたはいいけれど、日本の財政赤字は相変わらず減らなかったり、というところで、まったくいい話を聞かない。発送分離などの電力改革が、2003年頃に行われる機運があったが、経団連の言うことを聞いてそれをつぶしたのも小泉元首相だったのだそうだ。それで小泉元首相は、自分に累がおよばない、まったくもってうまいタイミングで、首相を辞め、さらに国会議員もやめて、自分の息子に地盤をゆずり、またその息子も小泉元首相ゆずりのさわやかキャラで、「自民党は過去を反省しなければならない」とか、言ってみたりするものだから、人気を博したりする。リーダーシップってなんなのよ、それって単なる世渡り上手なのじゃないか、と思いたくなるところもあるわけだ。

そう考えると、下手なリーダーシップというものは、むしろ日本を誤った方向へ進めてしまうことにもなりかねないわけで、そうであるならば、変なところへ進んでしまうよりも、鈍くさくて日本をどちらにも進められない、菅首相のほうが、まだマシだ、ということになったりするのじゃないか。つまり菅首相を批判するためによく使われる、「リーダーシップのなさ」というものは、本質的にはあまり大事なことではないのではないか。それよりいま、日本がこんな風に立ち往生しているというのは、リーダーシップの問題であるというよりも、日本がどちらへ進んでいったらいいのかという、それ自体が見えないことが原因なのじゃないか。そういうことになってくると思うのである。

ところでいま不信任案を出そうとしている自民党は、菅首相のリーダーシップについてはうんぬんするが、それでは日本をどちらに進めていくか、ということについて、対案を出しているのか。そういう話はまったく聞いたことがないのじゃないか。だいたい自民党というのは、これまで何十年にわたって、原発を推進してきた張本人である。菅首相の対応を批判するのなら、その前に、原発を推進してきた自分たちの責任について、きちんと総括してもらわなければならないところなのじゃないかと思うけれど、そんな話はついぞ聞こえてこない。

また不信任案に賛成するという小沢一郎も、だいたい、菅首相が首相になったというのは、小沢一郎がダメだったからだ。小沢一郎は、自分が党首をやめるということになったとき、党首選の時期を早めて対抗馬が出ないようにし、自分の意中のひとだった鳩山元首相を押し立てたひとだ。鳩山元首相を神輿にかついで、自分はバックでそれを操るつもりだったところが、それがうまくいかず、けっきょく鳩山元首相といっしょに、幹事長を辞任した。それで菅首相が首相になったということなのだから、小沢一郎は菅首相に、礼を言う必要こそあれ、そうやっていちいち批判するというのは、筋違いもはなはだしいのじゃないか。

今回の不信任案というのは、そういう、自分の責任には頬っかむりをして、その責任をひとに押し付け、攻撃ばかりするひとたちが、やろうとしていることなのじゃないかと思えてくる。それってどうなんだ。それが政治というものなのか。

いま日本は、かなり大きな岐路に立っているといえるのじゃないか。これまでの経済成長路線を、かわらずに堅持するのか、それともそれを脱原発ということもふくめて、修正しようとするのか。それを修正するというのなら、これからの日本は、具体的にどんな方向に進み、国民の一人ひとりは、どのような生活を送ることを目標とすべきなのか。そういう選択を、しなければならないということなのじゃないか。そういう大事な時、下手な方向へ進んでしまうくらいなら、どこへも進まず、ただ流されているだけのほうがマシだと、いう気がしてくるのだが、どうなんだろう。

きのうの晩めしは、安かった鯛のアラを買って鍋。

昆布だしにたっぷりの酒、それにみりんと淡口醤油で、好きな野菜といっしょに炊くだけという、簡単な話。鯛はただ塩焼きにしてももちろんうまいし、こうやって鍋に入れても、また煮付けても、どうやってもうまい。さすが魚の王様だ。

アラを鍋に入れるという場合、注意するのはひとつだけ。湯通しをして、それから水でていねいに洗い、血のかたまりやうろこ、ぬめりなどをきちんと取っておく。あとはふつうに、アクを取りながら煮れば問題ない。

酒は福島、大七からくち生もと。ピリっとした辛口の中に、甘みと、それから上品なコクと風味があり、単なる淡麗辛口とはぜんぜんちがう。福島というのは、無骨なんだが、単に外見にとらわれず、人間らしさを大事にするという感じがする。これはやはり、会津っぽの伝統なのか。

おとといの晩は、鶏水炊き。

鶏もも肉と好きな野菜を、昆布だしに酒をどばどばと入れた汁で煮るというだけだから、簡単だ。

ポン酢に唐辛子をふったタレで食べる。

翌日は言うまでもなく、その残り汁をつかっておじや。塩とコショウで味を付ける。これはいつもながらたまらない。

2011-05-30

あんかけスパゲティ


名古屋というと、独特な食べ物で有名であるわけで、よく知られたものでいうと、味噌煮込みうどんとか、味噌カツ、それにひつまぶし。ひつまぶしは違うが、味噌煮込みうどんと味噌カツは、どちらも赤味噌のこってりとしたコクを生かした食べ物だから、名古屋めしというと、赤味噌を使った料理なのかと思ってしまうところなのだけれど、いやいやいや、それは早合点というものなのだ。

名古屋のひとというのは、とにもかくにも、外来のものを受け入れるに際して、自分が納得できるような形に作り変えてしまわないと、気がすまない性分なのだと思うのだよな。きのうも書いたけれども街を歩いていても、女の子のファッションが、とにかく、「自分」というものを最大限主張しているように感じられる。その自分というものも、ただどこかのファッション雑誌に載っているようなものに安易に飛びついてしまうのではなく、手間ひまかけて、自分の手を加えていくことにより、時間をかけてつくり上げられたものなのだ。

「名古屋巻き」に代表される女の子の髪型も、あれは名古屋以外の場所では、キャバクラ嬢限定の髪型で、キャバクラ嬢は美容室でセットしてもらうのだと思うけれども、名古屋では街で、ふつうの女の子が、ああいう凝った髪型をして歩いている。ふつうの子が毎日美容室へ行くわけがないから、あれはもちろん、けっこうな時間をかけて、自分でセットするということなのだろう。逆にいえば、名古屋の女の子たちが日常的に、自分の髪の毛を自分らしくなるように、色々といじっていたということの結果が、ああいう様々な髪型を生み出したということだ。

僕がよく行ってた店の20代前半のバーテンが、「規則」ということについて言ってたことで、興味深いと思ったことがあった。彼は、ただ上から押し付けられてくるような、そういう規則は、自分は守る必要があるとはあまり思わないけれども、それを、仲間どうしで「約束」したものであるとしたら、それは守らないといけないですよね、とのことだった。なるほど、言い得て妙、名古屋のひとの気質を、よく表していると僕は思った。

「近代」というものは、基本的に、物事を「機械」として考えようとする文化で、国家も「法律」を決め、それにみなが従うのが当然であると考えたり、また同様に会社などの組織においても、基本的にトップダウン、上司の決めたことは、当然部下はしたがうものであるわけだ。ところが名古屋の生んだ世界企業トヨタ自動車では、もちろんそのような、組織の近代的な側面はあるに違いないけれど、様々な集まりが、部署ごととか、入社同期ごととか、出身地ごととかで組織され、そこで日常的とまではいかないだろうけれど、話がされることが推奨される。会社が意思決定するというときも、そういう様々な集まりにおいての議論も、まあどの程度なのかは実際のところよく知らないけれど、それなりの重みを持つのだと聞いたことがある。

それは、最近よく言われる「迅速な意思決定」という意味でいうと、あまり好ましいことではないわけだが、会社の意思決定に多くのひとが関与することになる分、一度決めたことには、みなが自分ごととしてそれを捉え、きちんと実行していくということにもなるわけだ。これはまさに名古屋的だと思うのだけれど、そういう名古屋文化が、世界に冠たるトップ企業をつくったとも、言えるのだと思う。

そういう名古屋のひとたちが生み出す食べ物は、だから、ただ単に、自分たちが赤味噌が好きだから、なんでも赤味噌を使ってしまうというところにとどまらず、外からやってきた料理文化を、まるごと作り替えてしまうということになっていく。その代表例が、この「あんかけスパゲティ」であると言えるのではないかと思うのだよな、僕は。

きのうも泊まっていたホテルが近かったので、あんかけスパゲティ元祖の店、「スパゲティヨコイ」で昼めしを食べたのだったが、やはりこれはすごい。食べながら、かなりの感動がある。

いちおうあんかけスパゲティというものがどういうものなのか、簡単に説明しておくと、まずゆでたあと塩コショウして炒めた、いかにも昔の喫茶店風のスパゲティが真ん中にあって、その上には、赤ウィンナーやハム、ベーコン、それに玉ねぎとピーマン、マッシュルームなんかがさっと炒められたものがのせられていて、まわりに「あん」と呼ばれるトマトソースがかけられている。これは「ミラカン」という名前の、あんかけスパゲティとしては代表的なスタイルだ。

これがどのようにして生み出されたのかということを、僕なりに想像してみると、スパゲティのミートソースと、ナポリタンとを合体したものなのだろう。ある時に誰かが、このミートソースとナポリタン、両方ともおいしいのだけれど、これを合体させた食べ物をつくってみたら、もっとおいしくなるのじゃないかと考えたわけだ。それで、材料としてはナポリタンなのだけれど、トマトソースをいっしょに炒め合わせるのではなく、上からかけるというスタイルをつくり出した。僕はまずこの、「二つを合体するとおいしくなる」という考え方自体が、なんとも言えぬいじましさのようなものがあり、たまらない郷愁を感じるのだよな。

いま世の中では、全体としては、合体よりは、「分解」に重点がおかれているだろう。昔は「洋食屋」だったものが、ハンバーグ屋やらトンカツ屋、オムライス屋、などというように、個別の料理を特化させる形で、ものごとが変わっていく。ラーメンにしたって、「つけ麺」という、麺と汁とを分離したものになる。物事を極めていこうとすると、やはりひとつの流れとして、ひとつひとつのものを個別に、専門的に追求していく、ということは、たしかにひとつの考え方であり、まあそれがまさに「近代」ということなのだと思うが、世の中がそちらに大きくシフトしていくということは、やむを得ないことだろう。

ところが名古屋では、明らかに、これに逆行する文化があるのだな。ミートソースとナポリタンを合体させるという、あんかけスパゲティはその象徴だけれど、名古屋市役所や愛知県庁の建物が、
西洋建築に、名古屋城のような、和風の反り返った屋根をのせたものだったり、コメダ珈琲店のデザート「シロノワール」は、
温かいパンに冷たいソフトクリームをのせたものだったり、異質なものを合わせることにより、別の新しいものを生み出そうという文化が、名古屋にはあるのだと思う。

ただ強調してくべきことは、このあんかけスパゲティは、ただミートソースとナポリタンを合体させたということにとどまらないのだ。かけられているソースがなんとも独特で、肉のだしにトマト、というのがベースにはなっているのだけれど、そこに大量のコショウがふりこまれている。ミートソースのソースとも、ナポリタンのケチャップとも、ちがう味で、ほかに似たものが思い浮かばない。このほかの何にも似ていないソースによって、あんかけスパゲティは、単なるミートソースとナポリタンの合体ではなく、独立した、一個の食べ物としての生命を獲得したとも言えるのだと思うのだよな。これはいわば、シロノワールに、わざわざごていねいにメープルシロップが付いてくる、というのとおなじことだ。

さらに、泣かせることに、このソースが、カタクリによってとろみが付けられている。それによって「あん」と呼ばれるということなのだと思うが、これが主張しているところは、「和風」ということなのだと思うのだよな。名古屋には「あんかけうどん」というものがあるそうだし、「あんかけ」というのは、和風料理の基本的なテクニックだろう。ここまで目配りして、細かく配慮することによって、名古屋のひとは、スパゲティを自分たちの食べ物にした、ということなのだろう。

ちなみにこの「ミラカン」という名前の由来がまたすごい。もともと「ミラネーズ」というメニューと、「カントリー」というメニューがあったところに、お客さんから、その二つを合体させてくれないかという注文があり、それで「ミラカン」になったのだそうだ。だいたいミラネーズだとか、カントリーだとかいうもの自体が、よくわからないのだから、それを合体してもらっても、ますますわからないわけなのだが、このいかにも内輪な感じと、また「合体」という履歴をきちんと表立って表示するところが、いかにも名古屋らしいと、僕などは思ってしまうところだ。

コメダ珈琲の「シロノワール」も、これは「シロ」は「白」で、ソフトクリームを表し、「ノワール」はフランス語、「黒」、ソフトクリームの対極としての、温かいパン、というものを示しているのだそうだ。あんかけスパゲティとシロノワール、考え方がほんとにそっくりなのだが、名前の付け方も似てるのだ。

さらにちなみに、「味噌カツ」というのも、もともとの出自は、ふつうの串かつ屋で、「味噌煮込み」とウスターソース味の「串かつ」を別々のメニューとして出していたところ、お客さんのリクエストにより、その両者を合体してできたものなのだとのこと。味噌カツというと、単に名古屋のひとは、赤味噌が好きだから、トンカツにも赤味噌をかけるのだろう、と簡単に考えてしまいがちなのだが、そうではないのだ。これもあくまで、「合体」という、名古屋人の創造活動の、基本的なやり方の産物なのだ。

2011-05-29

名古屋ナイト

べつに僕は地域に優劣をつけるつもりはないし、どこへ行ってもその土地ならではの良さがあり、僕は日本の何カ所かに住んでみて、そういうことを発見することが、とても楽しいことだということを知ったのだけれども、僕が今まで住んだ場所のなかでも、名古屋はとてもいいな、好きだなと思う場所のひとつだ。いやもちろん、広島へ行けば、広島がいいと思うのであって、いま名古屋にいるから、そう思うということなのだけれど。

名古屋に行って、いつもまず思うことは、新幹線なり高速バスなりで名古屋駅の太閤口の側に着いて、それから駅構内のコンコースを歩いて桜通口まで行って、地下鉄なりなんなりに乗るということになるのだけれど、その時に、すれ違うたくさんの名古屋人たちの顔が、つくづく自分勝手な顔をしているのだ。

東京などではこれはまったく違って、東京のひとはみな同じ顔をしているし、それが下を向いて足早にすたすた歩いて、かっこよかったり、きれいだったりはしたとしても、あまり楽しそうだったりするという感じはしない。ほかの地域へ行っても、その地域独特の顔があるなとは思ったりするのだけれど、名古屋の場合、ほんとに「自分」をいうものを丸出しにして、ひとが街を歩いている、という感じがするのだ。

こちらは男だから、女の子のファッションに目が行ったりすることが多いのだけれど、名古屋のファッションというのは、たとえば東京なら、いま流行りのスタイルというものがあって、そこに自分を合わせるというのが、着飾るという意味だったりするのだと思うのだけれど、名古屋の場合、もちろんそういうことも色々考えはするとは思うけれど、より自分の好きなものを着る、という感覚が強いのじゃないかという感じがする。

だからひとによって、けっこういろいろ、違う格好をしているし、また逆に、ルイ・ビトンとか、ブーツとか、これがいいとなると、他人にかまわず、みなおなじ格好になってしまったりもする。いずれにしても、他人がどうであるということをあまり気にしている気配がなく、あくまで自分だという感じなのだよな。

僕は以前、これはこのブログにも書いたことがあるのだけれど、名古屋に住んでいたときにドライブに行って、名古屋からほど近いサービスエリアに入って、そこでそばを注文した時、ならんで待っていた時に聞こえた、店長らしきひとの店員にたいする指示が、ほんとに笑えたことがある。

その日は連休だったから、サービスエリアはものすごく混んで、麺コーナーのおばちゃんたちはてんてこ舞いしていて、だから店長が直々に、麺コーナーの前に立って、お客をさばいていたというわけなのだけれど、
「○○さん、そうやって自分の作りたいものから作らないで」
という指示を発していたのだ。名古屋のおばちゃんは、そうやって注意しないと、食券が出される順ではなく、自分が作りたいものの順に、うどんなりそばなりを作ってしまうということなのだろう。

僕はこの出来事に、ある意味、名古屋が象徴されるような気がしているのだが、そうやって皆が、まず第一に自分のことを考えるということが、僕などが名古屋にいて、とても居心地がよい理由であるという気がする。

そういう自分第一とも見える名古屋人なのだが、ひとのつながりは滅法強い。僕は前の職場で、全国のいろいろな場所を見たけれど、ひとのネットワークの濃さというのは、名古屋が随一であった気がする。僕が名古屋にいたころに、毎日のように通ったフランス風居酒屋「ブラッサリー・アブサン」の、常連仲間というのが10人近くいて、それが僕の送別会をその店でやってもらったことをきっかけに、定期的に集まり始めて、僕が名古屋を離れて、もう3年がたつというのに、いまだに僕に誘いをかけてくれる。そのひとたちに聞いたら、そこに集まるひとたちは、名古屋の中でもとくべつ濃いひとたちばかりが集まっているとのことだったけれど、その仲間のひとりの家に集まって、会費制で、彼女が作ってくれる料理に舌鼓を打ち、みなで勝手なことをしゃべる、という会だ。

きのうも夜の8時からスタートして、気付いたら3時近くまで、他愛もない話に花が咲いた。みんなとにかくよくしゃべるひとたちで、僕もどちらかといえば、かなりしゃべるほうで、酔っ払ったりすると、気付くと延々と、ひとりで語りまくっていたりするタイプなのだが、そこでは聞き役にまわることも多い。でもそうやって、ひとの話を聞いていると、「今日は静かだけれど、どうしたのか」とみなが心配してくれたりするのが、また笑えるところだ。きのうは洋食で、シャンパンやワインを飲みながら、自家製のピザだの牛肉の煮込みだのをぱくついて、またほんとに楽しいひと時を過ごした。

それが引けたあと、ラーメンを食べようという話になって、そこからすぐ近くの、「牛すじラーメン」の店へ行った。ほんとの牛すじラーメンは、もうスープが終わってしまって、ふつうの醤油ラーメンとのことだったのだけれど、これはハーフサイズだが、牛すじの煮込んだものが乗っていて、スープは醤油だというのだけれど、八丁味噌が加えられているようだった。僕はこないだ、牛肉を八丁味噌で煮て、すごくおいしかったわけなのだが、やはりこのやり方は、名古屋でもやるんだな。


2011-05-28

レバニラ炒め八丁味噌味

きのうの昼めしは、おとといの牛鍋の残りに白めし。

この牛鍋は、牛コマ肉とじゃがいもなどの野菜を、八丁味噌と砂糖で味付けしてぐつぐつ煮たものなわけだが、これをひと晩寝かせると、なんと、ビーフシチューの味だった。

そんなバカなと疑うひとには、ぜひ試してもらいたい。ビーフシチューの味がしなかったら、僕がお金を返します。うそ。

いやでもほんとに、これは限りなく、ビーフシチューの味だった。ドミグラスソースのあのコクが、こんなにお手軽にお茶の間に、という話だ。

ドミグラスソースというのは、牛肉やら野菜やらを何日もかけて煮て、ものすごく手間をかけて出来るものなわけだが、この牛鍋は、八丁味噌を入れるだけ。所要時間10分。

しかし考えてみれば、八丁味噌というものは、それが味噌の形になるまでに、すでに2年以上の歳月が経過しているわけなのだ。それだけの期間をかけて熟成されたものだから、ドミグラスソースにも匹敵するコクがあるということなのだな。

日本というのは、かつお節にしたって昆布にしたって、また醤油や味噌などももちろんそうだけれども、それが家庭に届くまでに、すでにかなりの時間をかけて、味が調整されている。それが、骨付き肉をそのまま買ってきて、一から味を仕込む西洋料理とは、考え方が根本的にちがうところなのかもしれないな。

八丁味噌の威力にあまりに感動したために、夜はレバニラ炒めを作ったのだが、それにも八丁味噌を使ってみた。

基本の作り方は、いつも通りなのだけれども、醤油のかわりに八丁味噌を使ってみた、という企画。

これは見た目的には、もやしが茶色くなってしまって、ちょっとイマイチな感じもするのだけれど、逆にいえば、それだけ味がからんでいるということだ。醤油をつかった場合、どうしても、そのままだと材料に味がからまらず、タレが下にたまってしまうことになるから、カタクリを使って閉じないといけないことになるわけなのだが、味噌の場合、粘度があるから、そのままできっちり、味がからまるということなのだよな。

味も、醤油を使うより、やはりコクがある。好みにもよるが、コクを重視するひとには、炒め物にもいいということだな、八丁味噌。

2011-05-27

牛 鍋

雨がちな天気がつづくから、いやな予感がしていたら、予感的中、早くも梅雨いり。

やめてほしいんだよなあ、5月に梅雨入りなんかしてもらうのは。

だいたい僕は、1年のうちで、春をいちばん楽しみにしているのだ。本当は、僕は夏の生まれだし、いちばん好きなのは夏なのだけれど、その夏は、毎年気付いたらあっというまに終わってしまう。夏になった途端に、それが終わる予感で寂しさを感じてしまうから、夏がくる予感にワクワク感だけ感じていられる、春がいちばん好きなのだ。

こうやって書きながら、だったら梅雨に夏の予感を感じても良さそうなものだと思ったのだけれど、僕は雨がきらいなのだ。

その春も、こうして早くも終わってしまったということで、梅雨があけたらいよいよ夏。今年の夏は、暑いのか。関西だって、やはりそれなりに節電しなくちゃいけないのだろうと思うのだが、僕にそれが可能なのか。

去年の夏は、はじめての京都の夏、毎日冷房ばかりつけていたら、京都の夏を満喫したことにはならないだろうということで、一日、冷房をつけないでみた日があった。窓を開け、扇風機をつけて、午前中はそれなりに快適に過ごしたのだけれど、午後になって、ふと気づくと、頭の芯がキンとしたようになり、寒気がした。これが噂にきいた、熱中症の症状だということで、あわてて冷房をつけ、事なきを得たのだったが、それからはもう無駄な抵抗はやめて、24時間冷房稼働の日々がつづいた。今年はどうなるのか。

きのうの昼めしは、豚丼。

豚コマ肉を、玉ねぎといっしょに煮込んで、炊きたての白めしにぶっかける。

こういう煮込み料理は、おもしろいのは、味付けをいろいろ変えられるところなのだよな。昆布に酒はまあ、いずれにせよ入れるとして、淡口醤油にみりんだけで、うすめに味をつけて、たっぷりの汁にして、クッパみたいに食べるのもいいし、水を少なくして、濃口醤油にみりん、そして砂糖も入れて、こってりさせるのもまたうまい。味付けというのはそうやって、ものすごく広い幅の中に、いろんな味があるものであって、それをよくある麺つゆとかを使ってしまうと、それはそれでうまいとは思うが、何の楽しみもなくなってしまうことになる。不必要な手間は、いかに省くかということが、僕が勝手に提唱している「ミニマル料理」の基本的な考え方だが、手をかけるべきところには、きちんと手をかけないと、料理の楽しみ自体がなくなってしまうということだ。

晩めしは牛鍋。

先週号の週刊文春に、すき焼きの元祖というのが、巻末のグラビアページにのっていて、それが醤油ではなく、赤味噌を使ったものなのだ。はじめは赤味噌だったが、それを他店が醤油の味付けに改良して、それがいまのすき焼きになったのだとか。でもたしかにこってりとした味噌味と、牛肉というのは合いそうだ。

折しも、名古屋へ行った際におみやげにもらった八丁味噌があったから、それを使ってみることにした。やり方は、いつもやってる池波正太郎流のすき焼きとおなじ。ただそれを、醤油を使うところを、八丁味噌を使う。水を煮立てて、にんじんやじゃがいも、それにきのうは大根と玉ネギ、これをぐつぐつ煮て、砂糖を入れ、八丁味噌を溶き入れて、最後に牛コマ肉。肉に火が通ったら、すぐ火を止める。

これは、かなりイケました。カレーとかでもわかるように、牛肉は、こってりとした味付けが似合うのだ。七味と、きのうは青ネギもふって食べた。酒は佐々木酒造「古都」本醸造を1合半。

2011-05-26

初ゴーヤチャンプルー

先週の遠征の疲れが、まだちょっと残っている感じがしたので、きのうはサウナへ行ってきた。サウナというのは、僕は史上最強に疲れが取れると思うのだよな。遠征はけっこうハードなもので、京都~名古屋、名古屋~東京の移動はすべて高速バスを使い、行きの名古屋~東京は夜行バスで車中泊、さらに毎日のように夜遅くまで飲み、睡眠時間は数時間という日が続いたにもかかわらず、倒れもせず、帰ってきてからも疲れが残るということも、そんなになかったというのは、途中カプセルホテルに宿泊し、また一度は泊まった家のひとがスーパー銭湯へ連れていってくれて、ちょこちょこサウナにはいっていたということが、大きかったような気がする。

だいたい僕は、膝から下に疲れがたまるタイプで、以前夜行バスに乗った時も、泥酔状態で乗車してしまったということも、悪かったのだとは思うが、スネがむくんで、痛みも残ってしまったことがあった。マッサージへ行ったりしてもダメで、数週間取れなかったその痛みが、サウナへ行ったら一発で取れてしまったというわけなのだ。それから僕は、サウナ教の信奉者になっている。

サウナへ行ったら、ちょちょっとかけ湯をして、まず高温サウナにたっぷりはいる。たっぷりと言っても、ほかのひとに比べると短かったりするのだけれど、とにかく、スネにたまっている疲れに、きちんと熱が伝わって、じんじんとした感じになり、さらにからだ中から汗が出てくると、そのくらいまでは我慢している。

それでそのあとは水風呂。水風呂は、長くはいっていると気持ちがいい、という考え方もあるとは思うが、僕はさっとはいって、すぐ上がる。

そして、ふつうの風呂。これが最大のポイントで、水風呂の後にふつうの風呂にはいると、膝から下と手のひらの部分が、しもやけになったみたいに、ちりちりとしてくる。これは要は、サウナで血管が開いて、水風呂でそれがまた閉じて、風呂でまた開いて、というように、強制的に血管を開閉し、サウナがポンプのような役割を果たすということだと思うのだよな。それで血管にたまっていた疲労物質が、一気に流されると、そういうことなのじゃないかと、僕は個人的に考えている。

ふつうの風呂の後、また水風呂を経由して、もう一回サウナからのコースをスタートしたりすると、もう疲れは、完璧なまでに取り去られることになる。また逆に、サウナへ行かないと、毎日風呂にはいっていても、本当には疲れは取れないような気がする。

というわけでサウナに行ったら、その後は酒と食事ということになるのだが、スーパー銭湯の食事はまずいので、僕は食わない。いやほんとは正確に言うと、そのスーパー銭湯では、枝豆と、それに冷奴しか食べたことがなく、料理のうまいまずいについて、きちんとしたことはわからないのだが、その枝豆が、いわゆる茹でて冷凍したものを、そのまま解凍しただけという、水っぽくって、最悪のものだったため、僕はそれ以降、ほかのものは食べないことにしているのだ。だいたいセントラルキッチンから、半加工されたものが冷凍で送られてきて、それをパートのおばさんが解凍し、簡単な調理をする、という方式だから、そんなものがうまいわけがない。

それでサウナの帰りにグルメシティに行くわけだけれど、そろそろゴーヤが安く出回るようになっているのだよな。やはりゴーヤは季節のものだから、食べないわけには行かないわけだ。作るのはもちろん、ゴーヤチャンプルー。

これは今回、去年までとは、作り方を大幅に変えてみた。うちのIHレンジは、火力が非力なため、炒め物をしようと思ったら、それこそ材料をすべて別々に炒めるくらい、ちょっとの量ずつ炒めないと、火がきちんと通らないのだけれど、もうIHレンジにこだわるのはやめにした。引越しの時点で、このマンションのロケーションは最高、部屋も5階の南向きで眺めも最高、ただIHレンジであるということだけがネックだったのを、わかって入居したので、このIHレンジにそれなりにこだわって、このレンジでできる範囲のことを、しようなどと思っていたのだけれど、もうそんなことを考えるのはやめたのだ。だいたいそんなこと考えていたら、なんにも料理ができなくなってしまう。それで炒め物をするときには、カセットコンロを使うことにした。

まず豚コマ肉、それから種をはずして薄切りにしたゴーヤ、続いて手でちぎった木綿豆腐を炒め、ここで調味料を入れることになる。この調味料をどうするかというのが、けっこう問題だ。

僕は以前、ゴーヤチャンプルーに醤油を使って、そしたら真っ黒になってしまって、せっかくのゴーヤの緑色がぜんぜん消えてしまって、それ以来、醤油を使うのはやめることにしたのだけれど、京都へ越してきて知ったのは、そういう時のためにあるのが淡口醤油だということなのだよな。これは野菜の色を消さないために、薄い色にしてあるということなのだ。それでこの淡口醤油、それから酒とみりん、おろしショウガをちょこっと、をここで入れ、塩をふり、最後に卵でとじて、かつおぶしと青ネギをふって出来上がりという企画。ちょっと塩をふり過ぎたのだけれど、かなりおいしかったです。

ちなみにきのうの昼めしは、おとといの鶏と小松菜の汁に、白めし。


2011-05-25

鶏と小松菜の汁。厚揚入り。

中村桂子さんが、高木仁三郎「いま自然をどうみるか」について、書評を書いてる。
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20110522ddm015070018000c.html
さすが桂子さん、わかりやすいす。

高木さんのこの本を読むと、高木仁三郎というひとが、ただ原子力の専門家で、原発に反対している、というだけのひとじゃなく、もっと深い奥行きを持ったひとだということがわかる。
「人間と自然が、どうかかわっていったらいいのか」
という問題なのだ。

人間はここ数百年、自然の外側に立ち、自然を客観的に分析したり、また支配したり、自然は人間にとって、あくまで何らかの行為の「対象」として存在してきた。それが「近代」というものの考え方なのだと思う。

それが行き着いた果てが「原子力」というところで、核爆弾はすでに、地球を何回こわしても足りないくらいの数を、各国が保有するにいたっている。また原子力は、「核の安全利用」と言われてきたが、その安全性というものは、「人間がまちがいを犯すものである」ということを考えるならば、はなはだ危ういものであることがわかった。いったん暴走を始めてしまった原子力エネルギーは、それをとりあえず停止させるというだけでも何ヶ月もかかり、さらにそれらを無害にするためには、数十年という時間がかかる。

このようにひたすら自然を破壊していくものに、世界が、そして個人の生活が、完全に依存してしまっている現在というものは、やはりどこかおかしいのではないか。人間が自然と、もっとちがった形で、折り合いをつけながら生きていくということが、本来できるのではないか。それが高木の問題意識の出発点となっている。

でもそれだけなら、べつにそんなことは誰でも考えることであり、珍しくもなんともない。「自然との共存」とお題目を唱えるだけで世界が変わるなら、そんな気安いことはない。

高木は「環境問題」という言葉に、違和感を感じるという。それは「環境」という言葉を使った瞬間に、それを人間と「切りはなす」という意味合いをふくむからだ。でも本来、人間と、そのまわりの環境とは、切り離せるものではない。人間が道具を使う、その時道具は、人間自身にふくまれている。おなじように、人間が目にし、かかわりをもつ、あらゆるものは、人間がそれにたいして、自分なりの「意味」をあたえたものであり、それはすでに、「自分自身」にふくまれるものなのだ。

昔のひとは、すべての自然を、自分とおなじ「生きたもの」として考えてきた。あらゆる自然現象は「神」の御業であり、それは「生命」をもったものだった。生きた自然と、対等な立場でやり取りする人間。つい数百年前まで、人間は自然とのかかわりを、そのように考えてきた。

ところが「科学」が誕生し、人間と自然とを切りはなし、自然とは単に、さまざまな物質が、機械のように組み合わされたものであると考えるようになって、そういう人間と自然の対等な関係はくずれた。人間は自然を、機械をつくるように、操作の対象として見るようになってしまったのだ。

高木はこのように、現在の危機にたいして、環境問題という、おなじ地平から異を唱えようとしているのではなく、「生命としての自然」という、新たな地平に立って、反原発運動に取り組んでいたひとだったのだ。僕がこのひとにたいして強烈に共感したというのは、そういうところだ。

そして高木は、その突破口として、「運動」というところに活路をもとめる。それはなにも、運動によってもたらされる「力」によって、世界を変えていこう、ということではない。運動をつくり上げていく、そのプロセスにおいて形づくられる、人間と人間との対等な関係、それこそが、「新たな自然観」をひとびとが自覚する、おおきなきっかけになるという。障害者など弱者が、「いてもいい」という、ただ消極的な立場ではなく、異なったひとが「いるからこそ」、そういう多様性が社会にあるからこそ、社会がちゃんと、自然の内側にあるものとなっていく。高木はそういう確信のもと、運動に取り組んでいた。

いいじゃないですかね、こういうひと。僕はこういうひとは、すごく好き。中村桂子さんが高木さんに共感するというのも、たぶんそういうところなのじゃないかと僕は思う。

きのうの昼めしは、近所の「ikoi cafe」で肉じゃがのランチ。この店も、週に1ぺんのペースで行っている。店に置いてある週刊文春を読むためということもあるが、ママを応援したいということも大きい。もちろん、味もうまい。

晩酌は、鶏と小松菜の汁。厚揚入り。いちおう「汁」としてみたが、これは「鍋」とどうちがうのか、微妙なところだ。また「おでん」とか、「煮びたし」とかとも、ちょっと近いような感じもする。まあしかし、そんなことはどうだっていいわけで、たぶん、もともとは、料理にそんな区別はなかった。肉や野菜をぐつぐつ煮て食べればうまいと、そういうこった。昆布だしに、たっぷりの酒、それに多めのみりんと淡口醤油で味をつける。

酒は佐々木酒造「古都」本醸造を2合。

2011-05-24

鯛そうめん

きのうの昼めしは、角煮丼。

とろけるかと思うような角煮と白めしとのハーモニー。言うまでもなくこれはたまらん。

晩酌は鯛のかぶと煮。いま鯛が旬で、どんどん安くなっているのだな。切り身も安いが、天然物の鯛の頭、ふたつで198円。広島だったら、これは1,000円くらいはしたものなのだが、京都ではわざわざ鯛の頭だけ食べようというひとは、あまりいないということなのだろう。

ごぼうといっしょに炊き合わせ、さらにそうめんを添えてみた。

そうめんを添えるというのは、以前コメントで教えてもらったもので、広島ではふつうの食べ方なのだそうだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AF%9B%E9%BA%BA
これは要は、鯛のだしの出たおいしい汁を、一滴たりとも無駄にはしないという気持ちの表れなのだろう。野菜を炊き合わせるだけでなく、さらにそうめんに、汁を残らず吸わせてしまうという、そこまでやる貪欲さというのが、僕はたまらない。

だいたい、出た脂をすべて落としてしまう焼き物にたいして、煮物というのは、脂のうまみ成分をすべて活用しようという、貪欲な調理法なのだと思う。焼き物が男性的であるのにたいして、煮物は女性的であると言えるかもしれない。

煮物の煮汁には、材料から出たうまみ成分がすべて溶け出してきて、それらは外から入れられた調味料と融合することで、新たな、次元のちがううまみ像を形づくり、そしてまた材料にもどっていく。こうやって、煮汁を媒介として、味の行き来があるところが、焼き物にはない、煮物の特徴であって、僕はそういうのがすごくおもしろいと思う。

ただそうめんは二束使ってしまったら、けっこうな量になってしまい、それが砂糖をたっぷり使った、こってりした煮汁を吸い込んだのをペロリと食べてしまったから、ちょっとそれは食い過ぎだった。

酒は京都洛中、佐々木酒造「古都」本醸造。今回の遠征で手みやげを買うときに、自分用に買っておいたもの。佐々木酒造は、俳優佐々木蔵之介の実家だが、はんなりとして素朴な、いかにも京都らしい酒をつくる。


2011-05-23

角 煮

きのうは久しぶりの家めし。グルメシティで豚バラのブロック肉が安く出ていたので、それを角煮にした。

角煮の作り方を料理本で見ると、初めに焼いてみたり、おからを入れたり冷蔵庫に入れて一晩冷やしたり、けっこう手間をかけているものが多い。これは要は、豚バラ肉から出る大量の脂をどう取り除くかということを考えるからで、焼いて脂を出したり、おからに吸着させたり、冷やして固めたり、ということになるわけだ。

しかし豚の脂を取り除く必要など、まったくないのじゃないか。だいたい豚の脂はラードであって、これはわざわざ炒め物に使われたり、お好み焼きに入れられたりするように、うまみが凝縮されたものなのだ。ラーメンだって、分厚い豚の脂の膜がスープの上を覆っているものは、うまいと相場が決まっている。

体にわるいと思うかもしれないが、豚の脂は鶏や牛の脂とちがって、オレイン酸など体によい成分が豊富にふくまれているというのを、ネットで見かけたことがある。沖縄のひとが長生きなのは、豚肉をよく食べるからだとか。これは嘘かほんとかわからないが、もし体のことを気にするのならば、豚の脂をどうこうすることを考える以前に、角煮自体を食べなければいい。

なので角煮は、何も考えずに、ふつうに煮るのがいちばん正しい。酒をがっぽり入れた水でコトコト煮て、下ゆでした大根をくわえ、まず砂糖とみりん、そして2回か3回に分けて醤油を入れて、徐々に味をつけていく。汁が多ければ、最後に火を強めてすこし煮詰めて、火を止めたらしばらく煮汁につけておけば出来上がり。

2011-05-22

岡崎観光

きのうは安城へ知人を訪ねていった。岡崎城を案内してくれるということだったのだが、その前に八丁味噌の製造元、「カクキュー」へ連れていってくれ、見学ツアーに参加することができた。僕は戦後になって建て直された城よりも、八丁味噌が現に仕込まれている、味噌蔵を見物するほうが興味がある。八丁味噌は名古屋料理の中心なのだから、まさにここは、名古屋にとってのひとつの聖地と言ってもいいのじゃないか。

案内のお姉さんは名札に「研修中」となっていたが、滑舌よくきちんきちんと説明してくれて、聞いているのも心地よかった。新入社員なのだろうが、こうやって小さなことでも、気合を入れて全力で取り組んでいくというのは、仕事をしていく上で大切なことだ。居酒屋にしても店などにしても、名古屋の若い人たちは、自分の気持ちをきちんと込めて仕事をしていると見受けられることが多く、それはほんとに良いことだ。

八丁味噌は、蒸して塩と水で練りこんだ大豆を大きな大きな桶に詰め、その上から重石をのせて仕込まれる。ふつうの米こうじ味噌は半年から1年ほどで熟成するのに対して、八丁味噌は「二夏二冬」、2年以上の時間をかけて仕込まれる。半年で熟成させる白味噌が、まだ白い色をしているのに対して、時間がたつにつれて、色が濃くなっていくのだそうだ。桶は開け放しの蔵に、そのまま並べられている。空調による温度管理などは一切せず、天然の気候そのもので仕込まれるというのは、当たり前のことなのだがちょっとびっくり。

ここでしか売っていない「味噌ソフト」。ほんのりと味噌の風味がする。味噌にソフトクリームとはどうなのかと、メロンやいちご、チョコなどと比べると、思ってしまうところだけれど、抹茶ソフトがあるのだから、味噌ソフトだってあって悪くない道理だ。みやげ物用の八丁味噌もいろいろ売っていたが、それはパッケージに凝っている分ちょっと高かったので、帰りにスーパーへ寄ってもらい、そこで買った。名古屋のスーパーにはどこへ行っても、当然八丁味噌が売っている。

カクキューのすぐ近くにある岡崎城。ここは言わずと知れた、といっても僕は知らなかったのだが、徳川家康の生誕地。岡崎市はカクキューはあるし、家康の生誕地はあるし、まさに名古屋にとって大事な場所なのだな。

一帯は岡崎公園といって、広い公園になっている。今の季節は松ばかりが目立ったが、春には桜、秋にはもみじが、きれいに色付くのだそうだ。


高速バス

火曜日に京都を発って、けっきょく8組のひとたちと話をして、いままた京都へもどる高速バスに乗っている。

今回全ての移動で高速バスを使ってみたのだけれど、なかなか悪くなかった。京都から名古屋というのは、高速バスでも2時間半ほどで、これはまったく新幹線を使う必要はない。でも名古屋から東京というのは、バスだと5時間以上かかるから、以前広島から東京へ夜行バスで行ったときに、ふくらはぎを痛めてしまった僕としては、ちょっと不安だった。さらに今回、名古屋東京間の夜行バス、3,000円という最低価格のものを利用してみたのだ。

しかしこれは、思ったよりもかなりよかった。「旅の散策ツアーズ」というやつなのだけど、3列シートで、前の席との間隔もきちんと取ってあり、乗務員も感じがよい。新幹線だと1万円以上し、ほかのバスも4000円を超えるものが多いなか、この値段というのはまったく信じられない。名古屋東京間の高速バスは、かなりの激戦区で、いろんな会社がバスを出しているから、やはりそこで生き残っていくためには、思い切ったことをしないといけない、ということなのじゃないかと思う。

高速バスというと、「トイレ」の問題がひとつあるのじゃないかと思う。高速バスに乗り慣れていないと、万が一途中でトイレに行きたくなった場合に困るからと、トイレ付きのバスを選びたくなってしまう。

でも2時間トイレに行かないことを我慢できない状況というのは、実際にはそうそうはないわけで、またそのような緊急事態には、運転手に申し出れば、次のパーキングで止まってくれたりもする。トイレがないバスのほうが、総じて席が広く、値段が安くなる傾向があるような気がするから、慣れてきたら、トイレなしのバスを選ぶのが正解なのだ。

また夜行バスの場合、「寝られるか」という問題がある。これは正直にいうと、あまり寝られない。とくに名古屋東京などの場合だと、12時過ぎの発車で5時過ぎには到着してしまうから、寝られる時間自体が少ないし、また途中の休憩で、寝ているひとに配慮して、起こさないよう、アナウンスを流さなかったりはしてくれるけれども、車内灯がつくとやっぱり目が覚めてしまい、かなり細切れの睡眠にならざるを得ない。

だからこれは、考え方として、「寝られると思わない」としておけばいいのじゃないかという気がする。だいたい人間、一晩くらい寝なくたって大したことはないし、また寝られないと思っておけば、ちょっと寝られただけでありがたいと思える。リクライニングの状態は、飛行機だったらビジネスクラス並だから、体がつらいということはあまりなく、それほど心配する必要もないのじゃないかという気がする。


2011-05-21

ブラッサリー・アブサン

今回の旅では、原子力情報資料室へ行ったことのほかに、色々なひとと会い、自分がやろうとしていることを話すということをしている。おもに旧交を温めなおしているのだけれど、まったく初めて出会うひとと、けっこうな話をするということになったりすることもあっておもしろい。

きのうは名古屋にいた頃、自宅のリビングのように活用していた久屋大通にあるビストロ、「ブラッサリー・アブサン」へ行ってきた。ここを僕は、ことのほか気に入って、たくさんのひとたちとの出会いがあり、それは名古屋から引っ越して3年たったいまでも続いている。

ここから50メートルほどの場所に住んでいて、毎日朝と晩、前を通っていた僕だったのだけれど、じっさいに店に行ってみるようになるまでには2ヶ月以上がかかった。僕はそれほど物怖じしないほうだけれど、ここは外から見ても、中がどうなっているのかわからず、ひとりで入る勇気がなかったのだ。いちど友人といっしょに行って、中にはカウンター席もあることがわかり、それからはひとりで行くようになった。

繁華街の中心地からちょっと離れてもいるし、そうやって敷居がちょっと高い店だから、逆にそこへひとりで来るお客さんは、個性がつよく、おもしろいひとが多い。マスターやバーテンも、ひとりのお客さん同士がうまいこと知り合いになれるよう、色々気を配ってくれる。僕もアクがつよい性格だから、場合によっては、ひとりでしゃべり続けてしまって場の雰囲気を壊してしまうことがあるのだけれど、この店にひとりで来るようなひとは、そういう心配をする必要があまりなく、僕よりもっとしゃべるひとも数多い。

だいたい「ワンプレートディッシュ」というのを頼んで、それをちびちび食べながら、スコッチの水割りをのむのだけれど、きのうもそうしてひとりでのんでいたら、30歳くらいの女性が隣にすわって、けっこうたくさん話をした。

結婚したいとおもっているのだけれど、どうやって相手を見つけたらいいのかよくわからず、親がもってくる見合いの話も残念なものばかり、結婚相談所に入会してみたが、それも自分には合わないと、すぐにやめてしまったとのこと。気付くと「おひとりさまの生き方」みたいな本を読んでしまっているのだそうだ。

国家公務員だと言っていたが、勉強が好きで、できそうなタイプに見えたから、とりあえず「結婚の傾向と対策」みたいな本を買って、それを勉強してみたらどうだとアドバイスしてみた。僕の知人でも、やはりものすごく勉強ができる女性が、そういうやり方でいい伴侶をみつけたのを見たことがある。結婚は、恋愛とはやはりちょっとべつで、どちらかというと就職に近い面があるのじゃないかと思うから、勉強が好きなひとならば、そういうやり方をするのも悪くないのじゃないかと思うのだがな。まあしかし、結婚に失敗した僕の言うことだから、あまりアテにならないことは言うまでもないのだが。

そのあとは高岳にある「ジャングルジャップ」という、「アブサン」のマスターが35年前からやっているバーに移動して、けっきょく3時頃までのんでいた。このジャングルジャップも、アブサンに輪をかけて、ちょっと辺鄙な場所にあり、さらに木製の厚いとびらに覆われて、敷居が高いことはなはだしい。でも中は、さすが長崎出身のマスターだけのことはある、和洋折衷の、なんとも趣味のよい空間。マスターも合流してくれて、さらに結婚話に花が咲いた。


2011-05-20

蒲田めし

蒲田というのは、JRの駅でいうと、東京の最南端。背後に東京を代表する町工場の地帯をかかえ、歴史的にそこの労働者の街だったのだろう、とにかく、ガシャガシャとしていて、駅の西側にも、東側にも、小さな飲食店がびっしりと軒を並べている。歌舞伎町をちょっと寂れさせたような雰囲気なのだが、面積としては、歌舞伎町よりはるかに広いから、飲み屋の数としては、新宿をしのぎ、都内でナンバーワンなのだそうだ。中国やらアジアやらのひとたちもかなり入り込んでいて、駅前の雑居ビルでも、2階より上は、外国人に占拠されているようなところもある。

そんな土地柄だから、中国やアジアの飲食店に、名店も多い。その代表が、ベトナム料理店「ミレイ」。

大変な有名店で、電車を乗り継いて来るお客も多く、予約しないとまず入れない。僕もこれまで行ったことがなかったのだが、友人が7時半までという、隙間を狙って予約を入れてくれ、今回はじめて行ってきた。

ベトナム料理は、それほど何度も食べたことはないのだけれど、さすが人気だけのことはある、上品な味わい。ベトナムといえば「ナンプラー」という魚の醤油やら、「パクチー」という香菜やらを多用するわけで、クセの強い味になりがちだとおもうが、ここはそんなことはない。どの料理もすっきりとして、バランスがよい。まあどんな国だって、料理がうまいひとも、下手なひとも、いるということだ。

中国料理屋にも特徴がある店が多い。「羽根つきギョウザ」という、焼き上げるときに小麦粉の汁を流し込み、パリっとした「羽根」をつけたギョウザも、蒲田の中華料理屋の考案だ。

どの店にもファンがいるだろうが、僕のおすすめは「香楽園」。蒲田ではたらく中国人に教えてもらった店だからまちがいない。早い時間は日本人でにぎわうが、深夜0時を過ぎてくると、今度は仕事を終えた中国人で、ふたたび満員になる。

ギョウザは驚きの、1人前105円。羽根つき。

今回はわりとふつうのものをたのんだけれど、この店のメニューには、まず日本のほかの中国料理屋では見かけないような、変わった料理がいろいろあっておもしろい。

蒲田はあとは、寿司とトンカツも、うまい店がある。寿司については、となりの大森のほうが有名なのだが、蒲田には大衆的な良店が多い。

なかでも、この「若貴」。僕はすぐ近くに住んでいたということもあり、1週間に3回ほど、通いつづけていた。

一皿136円の回転寿司だが、トロから赤貝から、すべてその値段という安価な店にもかかわらず、味のレベルはかなり高い。ネタの鮮度という意味でも、シャリの具合だの握り方だのといったこしらえ方という意味でも、また店内の店員のはたらきぶりという意味でも、「勢いがある」という印象で、食事時にはいつも行列ができている。ビールを1杯のんで、寿司を腹いっぱい食って、2千円いくことはない。

おまけ。

明日があるにもかかわらず、深夜3時までカラオケで盛り上がった、酔っぱらいのアホ。

2011-05-19

原子力資料情報室

お世話になっている先生が、僕が原発の問題について取り組みたいと相談したら、原発について何も知らないあなたが、ひとりでなにかしようとしたって、たいしたことができるわけがないのだから、まずは高木仁三郎氏の本を読み、高木氏が生前代表をつとめた「原子力資料情報室」を訪ねて話をきくようにと助言してくれ、僕はそれにしたがって、昨日の午後、新宿まで出かけてきたのだ。

事務局長の伴英幸氏が、お忙しいところ、時間をとってくださって、ほんとにていねいに応対してくださった。温厚な、きちんとした良識をもった方という印象で、素人の僕がなにも知らずに言うことを、きちんと受け止め、ちゃんと答えてくださった。僕が以前、仲間や学生といっしょにつくった「フーリエの冒険」を、偶然読んでいてくださったのも話が早かった。

僕がやりたいとおもっているのは、「子育て中のママ」を中心に、錯綜する放射能や原発についての情報を、自分なりに咀嚼して、「自分がどうやって生きていけばいいのか」ということを、自分で決められるための、仲間づくりをすることだ。小さな子どもを育てるママは、とくに東北や関東などのひとたちは、放射能のことが、じっさい深刻な問題であるということと、小さな子どもは「自然」そのものであり、それを身近で見ながら、「人間にとって自然な社会」がどういうものかを、考えていきやすい立場にあるということがある。

どんなにヘボくてもいいから、自分なりに考え、自分なりの意見をもつということが、この場合いちばん大事だ。問いはあくまで、「自分がどのように生きるか」ということだ。電気をあまり使わない生活を、するのか、しないのか。放射能に汚染された場所に、住みつづけるのか、引っ越すのか、それを決めるのは、あくまで「自分」だ。ひとにとやかく指図される問題じゃない。だから団体として、「反原発」にしても、「原発推進」にしても、特定の結論をあらかじめもつということにはしたくない。多様な意見がありながら、それをおたがい認め合い、仲間どうしでいられるような、そういう雰囲気にしていきたい。

また同様に、団体として、政治的な活動も、やらないようにしたい。デモとか、署名運動とか、意味がないとはおもわないし、やりたいひとはやったらいいが、団体としてはやらない。そういうものはどうしたって、「結論ありき」になるからだ。でも国民は全員が、「投票」という政治活動をおこなうのだから、それにまつわる活動をひとりひとりがおこなって、政治的な意思を表明していけばいい。

そんな話を、反原発団体のトップである伴氏にさせてもらったのだが、伴氏はそれをおもしろがってくれた。

いま全国に、反原発の団体は300ほどあるそうだ。まず多いのは、実際に原子力発電所が建設される地元での団体。それから都市部で、それを支援する団体。さらに都市部には、国会議員に働きかけるなど、政策をあつかう団体もある。でもいま僕が考えているような団体は、伴氏が知るかぎりにおいて、ないとのこと。
「もしきちんと立ち上がっていったら、それなりにおもしろい、意味のある活動になる可能性がある」
と言ってもらえた。

原子力情報資料室では、電力会社などが出す情報とべつに、さまざまなルートから情報を収集し、調査研究をおこない、それを世の中や会員にたいして公開していくという活動をしている。最近では、すでに1995年の時点で、福島第一原発の破局的な事故の可能性を、ほぼ正確に予測していたということで話題になり、あらためて評価されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E8%B3%87%E6%96%99%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%AE%A4

僕は昨日、さっそく会員登録し、情報を送ってもらうようにしたのとともに、自分たちのところへ、伴氏やスタッフの方に、ときどき話をしにきてもらうということについて、伴氏から快諾をいただいた。

団体の会費は、子育てママが、まったく無理なく払える程度の、できるだけ安い値段にしたいとおもっている。当面、僕がそれで生活できる見込みはないのだけれど、高木仁三郎氏も、原子力情報資料室にかかわりだした当初、翻訳のアルバイトをして生計をたてたというから、僕もそれに見習おうとおもっている。

2011-05-17

名古屋めし

名古屋へきた。僕が名古屋にいたのは、1年8ヶ月ほどなのだけれども、そのころは名古屋は最も景気がいいときで、トヨタの高層ビルも建ち、街中が活気にあふれ、また僕自身の仕事についても、脂が乗り切って、頂点をむかえたという頃で、まさによく仕事をし、よく遊び、いい思い出がなにかと多い。

名古屋で食べるべきものは数多く、限られた時間で何を食べるかはおおいに迷うところだが、とりあえず、名古屋駅太閤口側の地下街エスカにある「山本屋本店」で味噌煮込みうどん。

八丁味噌の濃厚だしで、コシの強いうどんが煮込まれている。

同行した知人とビールで乾杯。

漬物も付いてくる。おかわり自由。

つづいては、これを食わねばならぬのだ。

シロノワール。

コメダ珈琲店の名物メニューで、温かいクロワッサンのようなパンの上に、冷たいソフトクリームがぐるりととぐろを巻いている。ホットケーキくらいの、かなりの大きさで、ひとりではとても食べられない。「ミニ」もあったが、やはり初めてのシロノワールは、普通サイズでなければならないだろう。

アイスクリームとケーキをあわせた「ケーキアラモード」は聞いたことがあるけれど、温かいパンの上に冷たいアイスとは、こたつでビール、冷房のキンキンに効いた部屋で鍋、ひとつのぜいたくのスタイルなのだな。しかもこのアイスが、スプーンでふつうによそったカップのアイスではなく、とぐろを巻いたソフトクリームだというところが、念が入っている。さらにこれに、メープルシロップをかけるという、甘さのダメ押しをしてくるところは、さすが名古屋、脱帽するしかない。

知人がそれほど甘いものが好きじゃないからと、6切れ中4切れを僕が食べたら、さすがにすこし気持ち悪くなった。

晩には「尾張ラーメン第一旭」。

第一旭はいわずと知れた、京都の代表的なラーメンだが、暖簾分けなのかなんなのか、むかし京都の店で働いていたひとが、40年前、こちらで店を開いたらしい。

生ビールとおつまみ。おつまみは380円だが、キムチとチャーシューが、けっこうたっぷり入っていた。

ラーメン。

これはなんと、京都の第一旭とおなじ味がした。第一旭という名前はダテじゃないのだな。第一旭のラーメンには、独特の酸っぱいうまみがあるということに、こちらのラーメンを食べて初めて気付いたのだけれど、これは何なのかな。ニンニクと、それに何か。秘密の隠し味があるのだろうな。

おまけ。

ななちゃん人形。