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2011-03-31

若竹煮

今日僕は、朝は2時間半かけてツイッターとブログをチェックし、午後2時間かけて「週刊文春」を読み、夕方はまた東京電力と、そして菅首相、サルコジ大統領の会見をみるということになっていて、まだ仕事もはじめておらず、時間があるということもあるのだけれど、原発のことが気になって仕方ないのだ。
震災の直後には、数日もあれば収まるのだろうとおもっていた福島の原発が、毎日のように新しい問題が勃発し、事態はますます深刻になっていくように見える。しかも昨日の東京電力会長の記者会見をみると、どうも事態の本質を見誤っているような感じがして、どう考えても高濃度の放射能に汚染された水が日々溜まっていくことにより、そこに作業員が誰も近付けなくなってしまうという可能性が高まっていることが問題であると、素人目にみてもおもえるのに、「原子炉の温度がここ一週間ほどは一定をたもっている」ことを理由に「原子炉の状態は安定している」と言ったりしている。
専門家というものは往々にして、「木をみて森をみず」ということになりがちで、今回の東電の対応はその典型のようにおもえるのだが、本来それを指導する立場であるはずの政府が、「専門家の意見をきいて」とかいうばかりで、指導性を発揮しているようにはみえないし、また東京電力を監督するべき「原子力安全保安院」も、だいたいあのカツラの西山のような、資料を棒読みするだけの下っ端役人を記者会見にだしているようでは、何をしてくれるようにも感じられない。
このままいったらほんとにヤバイ、最悪の事態に至らざるをえないのではないかと、それはなるなといわれても不安になってしまうわけで、「どうしたらよいのか」の答を見つけたいということを、僕も無意識に考えてしまっていたのだとおもう。

そしたら今日夕方の記者会見をみて、フランスをはじめ国際社会が介入してくることがわかり、それでほっとひと安心した。
東電の記者会見をみても、昨日とは打って変わって、副社長は立って記者会見に応じていて、以前のような記者を舐めきったようなふてぶてしい態度は影を潜めていたし、なにより
「水の処理を中心課題とする」
と明言していた。
フランスから派遣された専門家集団と、相談したことにより決定した方針なのだそうだ。

そのあと菅首相とサルコジ大統領の記者会見をみて、僕はなんだか、涙が止まらなくなってしまった。
アメリカやフランスも、原発の状況とそれにたいする東電や政府の対応をみて、「これはダメだ」とおもったのだろう。日本の原発がこのまま最悪の事態をむかえてしまったら、自国の原発政策にも大きく影響することになるから、各国で包囲網をつくって、その名代としてサルコジ大統領がわざわざ来日して、圧力をかけたということなわけだ。
日本というのはつくづく外圧に弱い国だとおもってしまうが、アメリカにしてもフランスにしても、日本とはちがって原発事故がおこったばあいの危機管理について、きちんと研究と経験を積み重ねてきているから、日本は先方の意見を受け入れることにしたということで、僕はそれを知って、科学特捜隊ではどうにもならない怪獣をやっつけに、サルコジ大統領というウルトラマンがきてくれたような感じがして、それがありがたいような、情けないような、複雑な気持ちになってしまったのだ。

「日本という国がけっきょくは外圧でしか変わってこなかった」ということは、明治維新にしても、太平洋戦争にしても、散々いわれてきたことかとおもうのだが、今回ふたたび、こういうかたちで決着することになろうとは、考えてもみなかった。
これからまだまだやることはあるわけだが、原子力にかんしては「国際的な安全基準」というものをつくり、それを満たすように各国が足並みをそろえ、また中立の国際機関がそれを監視していくということになるのだそうで、そこに日本も参加していくということになれば、今回の事故の責任の所在について、きちんと明らかにするということができるだろうし、またこれからの原発政策を考えていくうえでも、きちんと安全を担保しながら、引き続き原発を使っていくということが可能な道がひらけていくのだろう。
とりあえず僕は、自分自身としては、自分の気持にひと区切りをつけ、今後のことを具体的に考えることができそうな感じがする。



昨日の晩めしは、「若竹煮」にした。
といってもこのタケノコは、そろそろ出回りはじめた旬の京都産ではなく、年中売ってる中国産の水煮。いつも一本200円くらいするのが、100円で売っていたから買ってきた。
京都産のは小さなのが一本500円くらいしているから、なかなか手は出ないわけだが、やはり一度は買ってみたいな。

これを生ワカメといっしょに、うす味のだしでさっと煮るわけだが、生ワカメというのが僕はつかうのがはじめてで、けっこう強い磯の香りがするから、事前に湯通しするべきかどうかかなり迷ったのだけれど、けっきょく水洗いだけしてそのまま煮てみたら、あまり問題はなかった。
あと生ワカメには固い茎がはいっていて、これも捨てようかかなり迷った末、いっしょに煮てみたら、コリコリしてなかなかうまかった。

あとは鶏ももの塩焼き。
レモン汁をかけてわさびを添える。

昨日は汁物をつくらなかったせいか、イマイチつまみで腹がいっぱいにならず、つまみがなくなってからもさらに梅干しでのみつづけてしまって、いつもより多めの2合半。

今日の昼は「ikoi cafe」で「おろしハンバーグ」のランチ。


2011-03-30

サバの船場汁

今日は午前中は、なんとかやることはやったのだけれど、午後3時から東京電力会長の記者会見をやるというので、昼寝もそこそこにパソコン前に待機して、それから延々2時間、はじめは「ニコニコ生放送」で、そちらの視聴者が10万人を超えてしまって重くなり映像が途切れ途切れになってしまったので、後半は「USTREAM」で、「僕はこんなことしていていいんだっけ」とちょっとおもいながらも、けっきょく最後まで見続けてしまった。
TBSでも放映していたらしいが、「こんなときこそ」とおもうNHKは、放映していなかった。国会中継も、いまや放送するのはNHKではなくニコニコ生放送だし、まあ今はちょうど高校野球もやっていて、そちらを楽しみにしているひとも多いということだろうけど、時代は確実に、移り変わっていっているなとおもわせる。

東電は社長が、震災3日後くらいにいちど記者会見して以来、公に姿を表していなかったわけで、だいたいこれだけの問題を起こした会社の社長が、記者会見を茶坊主みたいな下っ端の社員にまかせ、2週間以上も顔を出さないというのはありえないこと、そしたら病気で休養しているという話が伝わってきて、とうとう昨日になって入院してしまったのだそうだ。
大企業というのは平時においては、何でも社員がやってくれるのだから、社長はその上であぐらをかいていればいいわけだが、こういう緊急時こそまさに出番、マニュアル通りにしか動けない社員に代わってどれだけリーダーシップを発揮できるかということが社長の腕の見せ所になるはずなのだが、その大事なところで体調を崩すというのは、まさに無能の証明、権力闘争に長けただけのボケナスだったということを世に広く知らしめたことになる。

日本はもう、60年以上にわたって戦争もないし、平和ボケしてしまっているのだろうな。東電社長のボケナスぶりは、おそらく東電にかぎったことではなく、日本の多くの会社がおなじようなものなのじゃないかと想像する。
会社にかぎらず政治家も似たようなものなわけで、地震からもう3週間になろうとするのに、菅首相のリーダーシップが感じられる場面はまったくない。思い付きで野党に閣僚入りを持ちかけたりして、それが拒否されると、そのあとは何もなし。
そういえば東電社長のあのメガネ越しの濁った眼と、菅首相の眼とは似ているな。
腐った魚の眼だ、あれは。

今日の東電会長の記者会見は、もうあの社長じゃさすがに無理だと判断したのだろう、会長直々のお出ましとなったわけだが、71歳の会長、がんばって2時間の記者会見をつとめてくれたとおもうが、姿勢はあくまで殿様的で、原発の問題が近隣住民にどれだけの恐怖と不安をあたえているのかということについては、想像力が及んでいないように見えた。
また原子炉の内部についても、やはり想像力が及んでいないと僕にはおもえて、会長「ここ一週間は原子炉の状態はやや安定している」というのだが、それは「温度」ということだけをとればそうかもしれないが、原子炉をその温度に保つために注ぎ込まれる水が、高濃度の放射能汚染をともなってまわりに漏れ出していることにしばらく気付かず、気付いたときにはそれをどうやって排出したらいいのかもすぐには答えが見つからないという状況、またそれがまわりの海や空気を次々と汚染しつつあるということ、そういうことに危機感をもっているようにはおもえなかった。

こうやって書きながらわかってきたことなのだが、東電には「原子炉」の専門家はいても、「危機管理」の専門家がいないのじゃないか。
原子炉の専門家としての立場からは、「原子炉の温度を下げる」ということが何より大事な、至上命題であるということになるわけなのだが、いまや危機はそのことよりも、原子炉のまわりにあふれた放射能に汚染された水をどう片付けるかということが、緊急の課題であるように傍からはみえる。
水は漏れ出し続けているわけなのだから、これからもしその水によって、建物や敷地内の放射能濃度が誰も近づけないくらいに上がってしまったら、それこそ一巻のおしまいなのじゃないか。
いやもちろんこれは素人考えなのであって、ほんとのところどうなのかは僕にはわからないが、すくなくともこの問題は「原子炉の専門家」にとって「専門外」のことであることにまちがいはなく、「想定外の事態だったから仕方がない」というひとたちが、専門外のことにほんとにきちんと対処できるのかということは、疑問を感じる余地が十分にあるわけだ。
またすくなくとも今日の記者会見で、会長や副社長たちが、世の中の素人たちがそこに不安を覚えているということを、わかっているという様子はまったくなかった。

原発の問題もそうだが、今後の日本も、どうなっていくのか、まったく見えないよな。



昨日はいつも行くグルメシティに、おいしそうなサバがわりと安く売っていたので、「船場汁」にすることにした。
サバというとだいたいは、塩焼きか煮付けだとおもうけれど、この船場汁は嘘かとおもうほどうまいのだ。

ひとつだけ気を付けることは、臭みをとるため、サバはあらかじめ多めの塩をふって、2、3時間置いておく。
あとはこれを大根やにんじんなどといっしょに、昆布だしに多めの酒、みりんと淡口しょうゆでうすめに味付けした汁でしばらく煮るだけ。

好みでショウガをすこし入れてもいいが、入れなくたって臭みなどはまったくなく、「これがサバか」とおもうようなおいしいだしが出る。

酒はふたたび、福島の酒「大七」、しかし今回は純米ではなく本醸造の「からくち生もと」。
純米のほうがやはりうまいが、これはこれで悪くない。
いわゆる辛口で、「淡麗」とはまったく逆の、日本酒らしい風味が強めのタイプ。熱燗にしたらほんとにうまそう。
昨日はこれを1合で、十分気持ちよく酔っ払った。

大七からくち生もと



今日の昼めしは、この船場汁に白めし。
白めしは片手鍋で炊いたもので、何かをぶっかけるのではなく、そのもので食べるのはじつははじめてだったのだが、これはけっこうイケてました。
炊き終わってから蒸らすときに、5分ほど最弱の火で鍋を温めておくのだが、そうすると水気が飛んでいい感じになる。

2011-03-29

常夜鍋

今回の震災が起こって、その津波による被害の状況や被災者のひとたちの様子などは、それはもちろんテレビで見るのがいちばん早いわけで、この秋に自宅のパソコンに地デジがつながり、数年ぶりにテレビが見られる環境が家に整ったのだけれど、これまではあまり見ていなかった僕だったのだが、さすがにテレビに釘付けになり、それ以来パソコンで何か作業をするときには、小さなウィンドウに音を消してテレビを表示して、記者会見やら緊急のニュースやらが入ったときには、音をつけてそれを見るというようになっている。
はじめのうちはチャンネルをパチパチ替えながら見たりもしていたのだが、そのうち民放が、地震からずいぶんたってもこれでもかとばかりに恐ろしい津波の映像をくりかえし放映したりして、不安をかきたてることにより視聴率を稼ごうとするセンセーショナルなつくりをしているということが明らかにわかって、それ以来NHKだけしか見ないようになってしまった。
まああと民放のお笑い番組とかドラマとか、ハマりやすい僕はうかつに近づくと危ないということもあるし。

しかしそれから原発の問題に焦点がうつって、
「じっさい原発はどのていど危ないものなのか」
などということを知ろうとすると、国営放送であるNHKは政府の大本営発表にそったことしか言わないわけで、いやもちろん、現在のような危機管理が必要ともいえる期間には、政府がどのような立場であるかということを国民に徹底させるというのも大事なことだから、それも重要な役割があるのだけれど、それだけだと「本当のところ」はよくわからない。

震災以来僕は「毎日」「読売」「朝日」、それに「Yahoo」「Google」のインターネットのニュースサイトを毎日丹念に見るということになっているのだが、基本的には日本の新聞社は、政府や東電、原子力安全保安院の記者会見の内容以上のことはあまり出てこない。
海外の通信社まで目配りすると、独自目線のおもしろいものが出てくるのだけれど、なかなかそこまでは時間もないし、できないなとおもうと、やはり力を発揮するのは「ツイッター」なのだな。
ツイッターには政府から民間、プロから素人まで、さまざまな人が情報を発信していて、もちろんそれは玉石混交で、その情報を信じるかどうかは、自分で判断しなくてはいけないことになるのだけれど、右から左まで全体を見ていると、新しい情報がどういう位置付けになるかということも何となくわかってきて、そのなかから「自分の意見」というものを固めていくこともできるようになるし、また時々は、目を見開かされるようにおもしろいものもあったりする。

今ツイッターで、全体像をつかむために誰かひとりだけフォローするとしたら、圧倒的に
「津田大介氏(@tsuda)」
だとおもう。
「ツイッターに24時間張り付いている」と自分で言うひとなのだが、津田氏自身はあまり強い主義主張をもたず、今回のことを一人ひとりが考えるうえで必要とおもわれる情報を、右から左までバランスよく取捨選択してくれているとおもえる。
これはかならずしも僕だけの意見というわけでもなく、震災以前はいくつかの核があったものが、以後は津田氏の一人勝ちになっているということは、わりとツイッター界共通の認識なのじゃないか。
まあしかし、それももちろん、気を付けなければいけないことではあるけれど。

あと、もっともリツイート(引用)されたものを自分のところへ送ってくれる、バイラッター(@viratter)というのもフォローしていて、これはくだらないのも多いのだが、「リツイートされた」ということは「人気だ」ということだから、ツイッターの「気分」がわかるし、それなりに笑えておもしろい。

それ以外には僕は「週刊文春」。
これは以前からずっと読んでいるのだが、週刊誌というのは、新聞やテレビとはスポンサーがちがうから、そちらでは書けないことが書けるということがある。
先週号でも東電の初動の遅れや官邸の混乱ぶりなどについて詳しく書いていて、読みごたえがあった。



昨日の晩に食べたのは、「常夜鍋」。
だし昆布とたっぷりの酒を入れた水で、豚肉とほうれん草、それに豆腐やらを煮てポン酢で食べるという簡単なものだが、なにしろ「豚肉とほうれん草」というのが黄金の取り合わせなわけで、たいへんうまい。

僕は池波正太郎「そうざい料理帖」を読んで以来、豚肉は「コマ肉」一辺倒。
日本産の豚コマ肉と、アメリカ産の豚バラ肉とは、スーパーでほぼおなじ値段なのだが、やはりコマ肉でも日本産のほうが、モチモチとしていてだいぶうまい。

ポン酢は市販のものは、僕にはちょっと甘すぎると感じられるのでつかわず、濃口しょうゆに「ポッカレモン100」を自分でたらし、そこに韓国唐辛子をどっさり入れる。
韓国唐辛子は日本の一味唐辛子とはだいぶちがって、それほど辛くはなく、むしろ甘味がある。だからたっぷり入れるのが正解なのだ。

酒は福島の酒「大七 純米生もと」。
2合のんで、のみ切った。



残しておいたこの豚のだしがたっぷりと出た汁をつかって、今日の昼めしは「他人丼」。
汁をペーパータオルでこして、みりんと淡口しょうゆでうすめに味を付け、すこし残しておいた豚コマ肉、それに長ネギを煮て、卵でとじる。
これを炊きたての白めしに汁ごとぶっかけて、クッパ風にしてみた。
いやこれはうまかったです。

この2、3日、ちょっとバタバタしていたこともあって、昼めしに酒などのまないほうが、もっと色々なことができるのじゃないかとおもったのだが、いやそうすると、かえって気が散って、つまらないオネエちゃんの「ニコニコ生放送」を見てしまったりするのだ。
それで今日は、昼めしでもきちんと酒をのみ、昼寝もしたら、そのあともきちんと集中できた。
やはり人間、そういうメリハリが大事だということなのだよな。


2011-03-28

鶏水炊き

今日先日の健康診断の結果が郵送されてきた。
お医者による問診では、「1日1時間ていど歩くことを心がけてもらえば、あとはいいでしょう」とのことだったのだが、血液検査をふくめた全体の評価としては、
「メタボリックシンドローム予備群」
なのだそうだ。

メタボリックシンドロームの定義は、いっしょに送られてきた小冊子によると、
「ウエスト周囲径 男性85cm以上・女性90cm以上」
であって、かつ、
「中性脂肪150mg/dl以上 または HDLコレステロール40mg/dl未満」
「収縮期血圧130mmHg以上 または 拡張期血圧 85mmHg以上」
「空腹時血糖110mg/dl以上」
のうち2項目以上が当てはまるものをいうのだそうだ。

僕はウエスト周囲径が90cm、中性脂肪は290とこれに該当するものの、HDLコレステロールは62、血圧は上が118と下が70、血糖は97で、どれも正常値に入っていたため、首の皮一枚で「予備群」であるということらしい。
他にもγ-GTPが50以下のところ106とか、いくつか基準値から外れるものがあったのだが、前の晩、夜中の12時まで酒をのんで、翌朝9時から検査した結果としては上出来のほうじゃないのか。

現代は長生きしたがるひとが多いわけだが、僕はとくべつ長生きしたいとはまったく思わず、もちろん神様からもらった命を途中で投げ捨てたいという気もないが、極端にいえばもし明日事故かなにかで死んだとしても、あまり後悔はない。
毎日きもちよく酒ものみ、タバコも吸って、65歳で肺がんか脳梗塞で死ぬことを目標としているから、もちろんそれまでは、人に迷惑をかけず、元気でいたいとはおもうが、あまり健康でいすぎる必要もないのである。



このところ「ニコニコ生放送」が活躍する場面を目にするようになったものだから、ニコニコ生放送とはどういうものなのか、今日はちょっといろいろ見てみたのだ。
どういうものかしりたいひとは、
http://www.chikuwachan.com/live/
ここから好きなのをクリックしてみたらいいとおもうが、要は誰でもが、自分の好きなように「放送」できるということなのだ。
けっこうかわいい女の子やら、人妻やらが、PCのまえで寄せられるコメントをながめ、それに答えたり、ムダ話をしたりしている。
昼に見たときには、キャバクラに勤めるどぎつい化粧をした23歳の女性が、今日は休みだからと昼から酒をのみ、コメントにたいして暴言を吐いていて、ついハマって延々と見てしまった。

こういうものは、オタクだけのものかとおもっていたら、今や政治や事件報道の中心にまで踊り出ようとしているわけだ。
インターネットというのは傍で見ておもうより、はるかに大きく世の中を変えていくものなのかもしれないな。



昨日の晩めしは「鶏水炊き」に、「大七 純米生もと」。

今日の昼は、その残り汁を使っておじや。

もちろんうまいに決まっているのだ。

2011-03-27

しょうゆ仕立ての豚汁

福島の第一原発がまた今日深刻な状態に陥ったみたいで、昼ごろ「ニコニコ生放送」で東京電力の記者会見をみたら、2号機のタービン建屋で超高濃度の放射能を発する水が検出されたとのこと、それから気になってしまって、ニュースをずっとチェックしていた。
「1000ミリシーベルト毎時」をこえる強さだったそうだが、NHKニュースによればこれは、測定装置の針が振りきれて、本当はもっと高い値だったかもしれないが、危険を感じた測定員がそのまま部屋から逃げ出したということだったとのこと。

これもうダメなのじゃないのか。いやもちろん、現場のひとたちのがんばりにより、この危機を切り抜けることができたということになったとしたら、それはほんとに素晴らしいことなのだが、現実的には、放射能が強すぎて、だれも近づくことができなくなり、そのまま炉心が再臨界をおこして水蒸気爆発にいたるという最悪のシナリオを、そろそろ想定しなくてはいけないのじゃないかという気がする。
でもそうなると、郡山市や福島市までが避難しなければいけないということになり、あまりに影響が大きすぎるから、そのための対策をじっさいに実行に移すのは、そう簡単ではないということなのだよな。
でもそのためのシミュレーションとか、もうとっくにしていなければいけないはずだが、菅首相はちゃんとやってくれているのか。急に全員が避難するとかいうことになると、大変な混乱になるから、すこしずつ移動させたほうがいいに違いないのだがな。

しかし「ニコニコ生放送」というのは、ある「社会的な必要性」というものをほぼ確立したといえるのじゃないか。
小沢一郎がそれを通じて記者会見するなどというのは、僕に言わせればただ都合よく利用されているだけともおもえるものだったけれど、東京電力の記者会見などという重要な一次情報を、テレビではなくこちらが生中継するというのは、ある一線をはっきり越えたといえるような気がする。
今日枝野官房長官の記者会見のときにも、ニコニコ生放送の記者がけっこうきちんとした質問をして、それに枝野長官がていねいに答えるという場面も、それはNHKニュースで放映されていたしな。

テレビとはちがってインターネット放送は、記者会見を初めから最後まで中継するから、記者の質問を一つひとつぜんぶ聞けるのもおもしろい。
最悪だとおもったのが朝日新聞の週刊誌「アエラ」の記者で、昨日の東電副社長の記者会見のとき、冒頭に質問したのだが、「海水の注入の決断をしたのが、水素爆発の前だったのか後だったのか」ということを、責め立てるような調子で詰問していて、その調子が人間としての根本的な礼に欠いているということもあったし、またその内容も、あくまで「揚げ足とり」であって、ほんとはもっと、今日聞くべき大事な内容もあるだろうとおもえてしまった。

その点、今日東京電力の記者会見では、フリージャーナリストの上杉隆が、福島第一原発には「プロトニウム」の濃度を測定する、その測定装置自体がない、ということを、質問によってあばいていて、僕はあの上杉隆の軽薄な調子というのは、あまり好きではないのだが、プロトニウムといえば、今回想定されるなかでもっとも危険な、最凶の物質であって、今まではそれはまだ漏れ出していないということになっていたが、それはそれが確認されていたのではなく、ただ単に測定装置がなく、検出はおろか、測定すら行っていなかっただけだったという、衝撃の事実をあきらかにしたのはすごかった。

地震はじっさいの自然による地殻変動だったわけだが、原発の問題は、日本の社会に巨大な地殻変動をもたらしつつあるのだとおもう。これは100年に一度の、歴史的な事態なのであって、いま日本人としては、ここから目を離してはいけないのだよな。



昨日の晩めしは、「しょうゆ仕立ての豚汁」。
これなんと呼ぶんだ。
僕がいつも行く「ikoi cafe」のママは、それは「けんちん汁」だろうというのだが、けんちん汁は鶏肉だろうと、僕としてはおもっていたわけだ。
じっさいネットのレシピを調べても、けんちん汁は根菜などの野菜だけか、または肉が入ったとしても鶏肉なのだが、ママによれば、京都ではけんちん汁というのは、「しょうゆ味の豚汁」のことだそうで、そこにいっしょにいた中年女性のお客さんも、それに同意しているみたいだった。

まあなんと呼んでもいいのだが、豚はやはり、味噌のほうがうまいとはおもうが、これはこれでうまかった。

酒は福島の酒「大七 純米生もと」を1合。

今日の昼は、もうこれは仕方ないのだ、「新福菜館三条店」にてラーメン。小ライスを付け、ビールは小瓶にしておいた。

2011-03-26

ぶり大根

原発の問題は収まる兆しがみえず、煙がでたとか、水道に放射能が検出されたとか、今日は海水にも高い放射能が検出されたとのことで、これはこの先どうなるのか。
現場の人たちは、もちろん自分の命もかえりみず、死に物狂いでがんばってくれていることと思うのだけれど、どうも東電とか、原子力安全保安院とかが、事態を掌握していない感じがする。
初動の段階で、事態を甘くみて、原子炉の温存をかんがえ海水を注入するのが遅れたことが、その後の事態の悪化をまねいているとのことだが、おなじようなことが今でも続いているのじゃないのか。
希望的観測にもとづいて対策を練り、ところがその想定を越えることが毎日起こっているようで、そのたび対応が後手後手にまわり、なんだかむかし御巣鷹山で、圧力隔壁がこわれ垂直尾翼がなくなった日航機をダッチロールしながらもなんとかしばらく操縦したが、最後に墜落してしまったということをおもいだす。

だいたい菅首相にしても、東電にしても、捨て身で対応に当たっているという感じがまったく伝わってこず、どちらも「自分の立場がいちばん大事」と思っているようだ。
枝野長官だけは、相変わらずがんばってくれているとおもえるが、菅首相の演説を聞いても、「批判を浴びない」ということを第一に考えているという感じがするし、だいたい東電はなぜ、下をむいて紙を棒読みするようなひとしか記者会見に出してこないのか。
広報担当なのか何なのかわからないが、たぶん組織のラインで、あのひとたちが記者会見するのが妥当であると判断されているということだとおもうけれど、今は非常時で、対応をあやまれば東電の存亡にもかかわってこざるを得ないということとなっているのだから、もっときちんと説明できる技術系のひとを、ちゃんともってきたらよいとおもうのだが、なかなかそうならない。
記者にたいして「僕は寝ていないんだ」とほざいた、もうなくなってしまった某乳業メーカーの社長をおもいだす。

こうなったら、原子炉がこの先最悪の事態になることを想定し、そのための対策をいまから取るということにしたほうがいいのじゃないかとおもうのだが、どうなのだろう。
原子炉の避難の範囲が、20キロとか30キロとかいうことでだいじょうぶなのか。
僕は枝野長官が「だいじょうぶ」というのなら、だいじょうなのだろうとおもうことにしているが、枝野長官がいう「専門家の意見をきいて」という、その「専門家」というのが、ほんとに信用できるのかが心配だ。
どの範囲にどのくらいの放射能が飛び散るのかなどという類の問題は、もともと精密に計算できるものではなく、僕は建築学科だったから多少知っているが、建築の設計では、構造計算をしたあと、そこに安全率として「2倍」を掛けたりするのだ。地震やらなにやらよくわからない不測の事態が起こるから、その「2倍」にそれを含み込んでおくわけだ。
それはまさに「さじ加減」なのであって、建築のばあいは、たくさんの経験によってそのさじ加減も精密化されていくのだろうが、今回のようなこれまで誰も経験したことがない事態にたいしては、そのさじ加減はじゅうぶん大きくとられていないといけないはずだ。
そのさじ加減は、専門家には判断しようがなく、さまざまな影響を天秤にかけた上で、まさに政治が決断しなければいけない事柄なのだから、そろそろ、2倍の「50キロ」の避難指示をだすというくらいのことを、してもいいのじゃないかと思うのだがな。

まあしかし、今回これだけ、期せずして「原発の恐怖」を日本中に知らしめてくれたおかげで、今後日本は「脱原発」に踏み込まざるを得ないのだろうな。
「経済」という観点からすれば、大量の電力を供給してくれる原子力発電所は必要だということになるのだろうけど、ひたすら「経済成長」するというところから、日本はそろそろ脱却しないといけないのだ。
お金はもちろん必要なのだが、お金だけあればいいかといえばそうではないということも確かなのに、日本はこれまで、それを考えるということすらできなかった。
そろそろ一旦立ち止まり、これから日本がどちらに進んでいったらいいのか、真剣に考えなくてはいけないということになっていた、ちょうどそのときに、今回の地震がおきた。
本当に悲惨な災害なのだが、それをこれから、日本にとってプラスに活かしていくように、みなで考え、力を合わせていかないといけないのだとおもう。



昨日はいつも行く「グルメシティ」で、500グラムちかい「ぶりのアラ」が266円の2割引で売っていたので、それでぶり大根。
このごろ他のスーパーも見に行ってみたりするのだけれど、けっきょくそこでは買わずに、グルメシティまで戻ったりしている。何だかんだいっても、グルメシティがいちばん安いとおもうのだよな。
グルメシティにはじめて行ったとき、じつは鮮魚の種類の少なさにびっくりして、「これが京都なのか」とおもったのだが、じつはそうではなく、京都でも他のスーパーにはいろいろな魚が置いてあるのだ。
グルメシティは仕入れる魚の種類を減らし、そのかわりそれを大量に仕入れることで、値段を下げているということなのだとおもうのだよな。
それってダイエーがもともとスーパーをつくった考え方だったわけだ。
置いてある魚の鮮度も、グルメシティはよいとおもうし、だいたい名前も知らないような魚を食べなくったっていいわけだから、それで僕は、最近はほとんどグルメシティで買い物してるというわけなのだ。

でもグルメシティのそういう考えは、どうも他の人にはあまり評価されていないみたいで、おなじ時間帯にスーパーをハシゴしてみると、グルメシティのほうがかならずお客がすくない。
「多様性の時代」に逆行しているということなのだとおもうけれど、がんばってほしいな、グルメシティ。

昨日はあとは湯豆腐。

今日は、ぶり大根は言うまでもなく食べ切れなかったので、それを炊きたての白めしにのせてどんぶり。

2011-03-25

池波正太郎の母親風すきやき

前の会社を退職してから丸一年がたち、退職金などの蓄えでこれまで生活してきたのだけれど、そろそろ残りも少なくなってきたので、それが完全になくなってしまう前に、アルバイトをはじめることにした。
塾の講師をやりたいとおもっていて、ハローワークで求人情報を調べたり、履歴書を書いたり、これから面接にいったりする。
僕は自分では、塾の講師は向いているのじゃないかとおもっているのだけれど、この不景気のどん底で、地震も起こり、そう簡単には見つからないかもしれないが、いい縁があったらいいなとおもってる。

原稿のほうは、遅々としながらもなんとか進んでいて、基本的な構想もでき、取材もすんで、あとは書くばかりということになっている。
書けば1日、4、5時間で、原稿用紙で換算して10枚から、調子よく進むときには20枚ばかしは書けるのだけれど、まだ先は長いし、たぶんもう一回書き直しをすることになるとおもうし、原稿ができたとしても、今度は出版社をさがしたり、それから編集の作業も入るだろうし、そうすぐには出来上がらない。
桂子先生は、自分が読んでみて、もし良かったら、「まえがき」を書くことを考えてもいいと言ってくれているので、それを励みに、長丁場をなんとか乗り越えていきたいとおもっている。

とにかくすべてのことは、その本を書き上げたそのあとにあるとおもっているので、アルバイトをしながらそこに向かっていくというのは、僕としては悪くない人生であるとおもえる。

履歴書というのも、僕は採用のためにひとの履歴書をみたりすることはあったが、自分が書くのははじめてのことで、ネットで書き方をみたりするところからはじめたら、丸一日かかってしまった。

写真もはじめ無人の3分間写真でジャケットにネクタイをせずに撮ったのだが、ネットをみたら、写真はとても大事だから、きちんとフォーマルな格好をして、写真館でプロに撮ってもらうようにしたほうがいいとのことで、今日数年ぶりでスーツを引っ張りだして、糊のきいたワイシャツにネクタイをしめ、ふたたび写真を撮りにいった。
ネクタイのしめ方はさすがに忘れていなかったが、首まわりがすこし太ったらしく、第一ボタンがきつかった。

今日いった家のちかくの写真館には、ほんとのプロのご主人は不在で、代理の奥さんがなにやら慣れぬ手つきでやってくれ、撮れた写真は首がちょっと曲がっているのだが、まあなに、3分間写真で撮ったのよりだいぶいいから問題はない。

いちおうすこしにこやかな表情にしようとしたのだが、そしたら右側の口角だけが上がってしまっている。
ほんとはもっと芸能人みたいに、きれいな笑顔にしたいのだがな。



昨日の晩めしは、池波正太郎が「そうざい料理帖」に収録されている対談のなかで話している、
「お母さんのつくってくれたすきやき」
を、ふたたびつくってみた。

「水で野菜を煮て、やわらかくなったら牛の細切れ肉をいれ、砂糖としょうゆで甘辛く味付けして、ワーッと煮る」
というやり方なのだけれど、じつは先日つくったときは、このやり方のとおりにやらずに、昆布やだしパックでだしを取ったり、酒やみりんを入れたりしたのだ。
でもそれよりも、今回だしも何もとらず、調味料も砂糖としょうゆだけ、というほうがうまかった。

これはどうしてなのかな、不思議だな。
アクを一切とらないようにしたからなのか、牛のほんのりと甘いだしがしっかりと出ていて、またこれが砂糖としょうゆによく合うのだよな。
牛肉というのは、ヨーロッパでは、だしの王様だとおもうのだけれど、やはり豚とか鶏とかとは、なにか違うところがあるということなのだろうな。

それで今日の昼めしは、それをすこし残しておいて、炊きたての白めしにかけて食べた。
これももちろん、かなりいけましたです。


2011-03-24

たらとほうれん草の小鍋だて

ニュースをみると、原発の問題も収束にはほど遠い状況のようで、放射能の影響で野菜や水道水などにも影響が出ているし、避難所の生活も、それは楽であるわけはなく、また関東のひとたちも、停電やら電車の間引き運転やら、加えて水道の問題などで、不自由な生活をおくっているのだとおもう。
関東にいる友だちに聞いたら、寒いけれど節電に協力して暖房はつけず、毛布をかぶっているのだそうだ。
また夜に停電になるとテレビも見られない、PCも使えないで、何もすることがなく、しかも早めの時間帯だと寝るわけにもいかなくて、ほんとに困るといっていた。

それに引き換え、京都に住んでる僕はといえば、いくばくかの募金をして、近所の神社にお参りにいき、東北の酒をのんでいるというくらいで、節電の協力にならないから、寒ければ暖房をつけるし、物資の支援といっても、家には送れるようなものは何もなく、ボランティアも受け入れ態勢がととのっていないということで、「東日本のひとたちに申し訳ないな」とおもいながら、普段どおりのぬくぬくとした生活をおくっている。

まあしかし、それはそれで仕方ないわけで、これから復興のためには、何年という長い時間と、たくさんのひとの協力がじっさいに必要になっていくに違いないのだから、いまはっきりとした役割があるひとは、それはそれで、僕の分もがんばってほしいし、でもそのひとたちだって、いつまでもがんばり続けるわけにはいかないのだから、2番手3番手が交代していかなければならないし、だいたいひとのこころは、熱しやすくて冷めやすいということになりがちだから、僕のようにまだきちんとした役割を果たしていない者が、復興のことを忘れずにこころに留め続けるということも、ひとつの役割なのかなとおもっている。

今日発売の「週刊文春」をみると、東電や官邸が初動に失敗しているということが書いてある。東電は原子炉の延命をはかって、海水の注入を丸一日ためらったということが、現在の事態を引き起こしているというし、菅首相も思い付きのパフォーマンスで現地視察をしてみたりはするが、災害対策を全体として練り上げていくということがまったくできず、「明日の対策を今日考える」という、完全に泥縄式の状態になっているらしい。
菅首相のリーダーシップに期待できないということは、もうずっと前からわかっていたわけだけれど、じゃあそれに代って誰がやったらいいのかとか、東電や経産省のような、既得権益をひたすら守っていこうとするだけの存在をどう排除できるのかとか、もちろん僕にもまったくわからない。
できればこの先、菅首相や東電がなにか決定的な失敗をして、その責任をとっていなくなってくれるということがあればいいなとおもったりするのだが、それは虫のよすぎる考えか。

昨日はグルメシティに、「たらのアラ」が150円の2割引で売っていて、池波正太郎がたらをほうれん草といっしょに小鍋だてにしたと、「そうざい料理帖巻二」に書いていたのをおもい出し、僕もそれを真似てみた。
「池波正太郎のそうざい料理帖巻二」は、自宅で食べる料理よりは飲食店について書いたものが多くて、それが僕には不満なのだが、自宅の料理については、この「たらとほうれん草の小鍋だて」とか、「お母さんのすきやき」とか、さりげないものが多くて、それはとてもいい。

福島の酒「大七 純米生もと」を、今日は熱燗にしてみた。
いやこれはすごい。たしかに「おいしいお燗酒第1位」に選ばれただけのことはある。
熱燗にすることで甘味と酸味が増し、それが元々ある日本酒らしい上品な風味とあいまって、こんなにうまい熱燗ははじめてのんだというくらい。
蔵元の被害は軽微で、原発からは離れているし、もともと蔵の壁が厚くできているから、放射能の影響は心配なく、がんばって酒をつくって出荷しているということなので、ぜひ買ってあげてください。

今日の昼は、木曜恒例の「ikoi cafe」で、「さわらのフライ、新玉の黒酢ソースがけ」。
これはかなりうまかった。


大七酒造ホームページ

2011-03-23

鶏の水炊き

僕は特定の宗教団体に所属するということについてはまったく興味がなく、神様が自分を救ってくれるともおもわないのだが、今回東日本大震災をきっかけに近所の神社にお参りするようになり、
「祈る」
ということの意味をしばしば考えるようになった。

べつに自分が祈ったからといって、「世界が変わるわけではない」、「被災者のひとたちの苦しい状況や気持ちが改善されるわけではない」という言い方はたしかにできる。祈ったって、祈らなくたって、世界は変わらず存在しているわけだ。
でももう一方で、「自分にとっての世界」は、あくまで「自分が見る世界」である。どんなにテレビやネットで一見自分にはかかわらない「客観的な情報」が飛び交っているように見えても、じつはその情報を受けとって、「世界」というかたちに統合しているのは、あくまで自分自身なのだ。

たとえば「希望」というものがあるとして、それは客観的な情報には存在しない。自分自身のなかにだけあるものだ。
一見どんなに絶望的な状況にあっても、そこに希望を見出すひとはいるし、逆に恵まれて見える状況にあって絶望するひともいる。

自分がなかなかたいして役に立つことができない被災者のひとたちのことをおもって祈りを捧げるとき、すくなくとも亡くなったひともふくめて、被災者にとって今より明るい未来というものを自分なりにおもい描くのであって、それは被災者のひとたちをふくめた日本の未来をこれからつくり上げていくという作業に、自分も最低限の参加をしているということにはなるのだとおもう。



昨日の晩は、冷蔵庫にはいっていた鶏もも肉をつかって水炊き。
鶏もも肉を使った料理は、僕のばあい塩焼きか水炊きかの二者択一になるのだが、どちらも甲乙つけがたくうまいが、かかる手間を考えにいれると水炊きの圧勝となる。

いれる野菜は豆腐に長ねぎ、にんじんの池波流。これを昆布と酒をたっぷりと入れた水で煮る。

タレはしょうゆにレモン汁、そして韓国唐辛子。

昨日買ってきた福島の酒、「大七 純米生もと」。
「美味しい熱燗第一位」に選ばれたとのことなのだが、たしかに日本酒のしっかりした、そして上品なコクがあって、冷やも悪くなかったが、熱燗にしたらうまそうだ。
このごろ各地の地酒をすこしずつ飲みはじめているわけなのだが、おなじ日本酒でも地域や銘柄によってかなりのちがいがあって、ずいぶんと奥深い世界があるものなのだな。



鶏の水炊きをしたあとには、死ぬかとおもうくらい濃厚な、おいしい残り汁ができるので、これは吸物にして簡単に飲んでしまわないで、翌日の昼めしとしてきちんと一品にする。
池波正太郎はこの汁を白めしにぶっかけるというが、今日はそれよりはむしろつくるのが簡単なおじや。

残り汁をペーパータオルで濾し、塩で味をつけて、冷たいままのレトルトごはんを残しておいた鶏肉や野菜などといっしょに煮る。器によそってコショウをふる。

発泡酒を買いわすれたので、日本酒をほんのちょっぴり。
おいしいものを食べるとき酒をのまないということは、僕にはちょっと考えられないのだな。


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2011-03-22

常夜鍋、アサリのぶっかけめし

東北地震被災地の復興のためにできること、まあ何でもいいから、できることをやりたいという気持ちがあるわけで、それはもちろんまず第一には、被災者のひとたちのつらい状況や気持ちを考えて、ということがあるわけだけれど、それと同時に、いま日本中、世界中のたくさんのひとたちが、被災者のひとたちの復興をなんとか手助けしたいという気持ちを持ちはじめていて、僕にはそのことが、これからの日本を大きく変えるきっかけになるのじゃないかと感じられて、べつにカッコいいことをして注目をあびたいということではないのだけれど、ほんとに外側の、端っこのところでもいいから、自分もその輪に加わっていたいということがある。

それでとりあえず、昨日からはじめたのは「お参り」。
家から近くの神社でお賽銭をあげ、被災者の冥福と無事を祈る。
お賽銭といっても、「余っている十円玉を処分する」という位置付けで、昨日は30円、今日は10円。
「ふざけんなよ」とかいわれそうだが、自分の気持も安まるし、土日に嵐山と奈良の寺をまわってみて、「これは意外にご利益があるのではないか」とおもえるようになった。

それから「東北の酒を買う」。
今日は近所の酒屋で、これもやはり福島の「大七 純米生もと」というのを買ってみた。
「日経新聞何でもランキング 美味しい熱燗第1位」とか、「地酒大showプラチナ賞(第1位)」とか、いろいろ賞も受賞しているみたいで、これは今晩のんでみる。
酒屋によれば「酒蔵が壊滅状態で、しばらく出荷できない」ということだったが、それはガセネタで、ネットで調べると、被害は比較的軽微で、福島原発からも離れた場所にあり、今日から業務を再開したとのこと。
よかったです。

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昨日の晩めしは、ほんとは日曜の特売で買ってあった鶏もも肉が冷蔵庫に入っていたのだけれど、昨日スーパーへいってみると、なぜか鶏ではなく、豚が食べたくなった。
たぶんこのところ魚がつづいていたので、豚肉の強力なタンパク質をからだが欲していたということじゃないかとおもうのだが、僕のばあいこういうことがけっこうあるので、事前に買い置きしておくことがむずかしいのだ。
「その日に食べたいものを食べる」というのが、からだには一番いいのじゃないかと僕はおもっている。

いっしょにほうれん草も食べたい気持ちだったので、こうなればいうまでもなく「常夜鍋」。

ほうれん草は生のまま入れるより、さっとゆがいてよく絞ってアクを抜いておくと、鍋の汁にアクが出ず、豚のうまみたっぷりのスープを有効活用することができる。僕はこれを塩コショウで味付けして吸物にする。

タレはしょうゆとレモン汁の酢じょうゆに、韓国唐辛子。

酒は福島の酒「奥の松」を、昨日は2合でのみ切った。



アサリのむき身が、このごろスーパーに出回るようになっていて、これはアサリが旬になってきたということかとおもうのだけれど、中国産だがたっぷり入ったのが200円しないで売っているから、これを大根といっしょに煮て白めしにぶっかけたものを、今日の昼めしにすることにした。

僕は白めしはいつも「かまどさん」という米炊き専用の土鍋で炊いていたのだが、異常にうまいめしがあまりに簡単に炊けてしまうので、ちょっとつまらなくなって、ふつうの片手鍋で炊くことにした。

ふつうの鍋で炊くばあい、大量に吹きこぼれてしまうので、その分を計算にいれて水加減を多めにしておくことが、まず第一のポイントになる。
ふつうの米を自分でといで使うばあい、基本の水加減は米1合、180ccにたいして、水1カップ、200ccということになるが、今日は無洗米だったので、米が吸い込む水の分も考えて、250ccの水加減としてみた。

火加減だが、米は鍋の温度が高いほど、うまく炊ける。だから火加減は強いほうがいいのだが、そうすると激しく吹きこぼれてしまうことになるので、吹きこぼれが許せる範囲で最大の火加減にする。
この水加減、火加減は、鍋によってかなりちがうので、実際に何回かやってみて、体得するしかない。

火を止めるタイミングは、鍋のフタが透明だと、見て水がなくなったら止めればいいから簡単なのだが、そうでないばあい、「チリチリ」と水が蒸発する音がしだして、鍋から吹きでる湯気がゆるくなってきたら、一呼吸おいてから火を止める。

10分蒸らして出来上がり。けっこうおいしく炊けました。

この白めしに、アサリと細切りの大根を、昆布だしに酒、みりん、砂糖、しょうゆ、それに好みでショウガをいれた汁で煮て、汁ごとぶっかけ、七味をふって食べる。
池波正太郎が子供のころからよく食べていたものだそうだが、つくづく素朴な、いかにも「東京下町」というかんじの味。


2011-03-21

ここ数日で食べたもの

ここ数日は、ブログには昼のことを書くのが精一杯で、晩めしのことは載せていなかったのだけれど、晩めしはもちろん、家でつくって食べていた。

金曜日は、夕方ちかくまで、叔父とそばを食っていたため、夜になってもお腹が減らず、買い物はしてあったが、それは翌日にまわして、ほんとに簡単なもの。

酒は福島の酒、「奥の松 吟醸」の冷や。この日は昼もたっぷりのんだのに、つまみを簡単なものにしたせいで逆に酒がすすんで、夜も2合のんだ。
湯豆腐のタレはしょうゆにかつお節で、最後にこのタレを湯豆腐の昆布だしで割って、吸物にしてシメる。



嵐山にいった土曜日は、前日に買ってあったブリのあらで「ブリ大根」。

20分くらいでさっと煮付けてみようと思ったのだが、煮汁の分量をまちがえてなかなか煮詰まらず、けっきょく30分ほど煮た。
でもブリは脂が乗っているから、時間をかけてもパサパサになるということはなく、問題ないのだな。
あとは湯豆腐で、「奥の松」の冷やをこの日は1合。



奈良では、平城京跡から近い
「自然の恵みダイニング MOBY-DICK 奈良新大宮店」
というところで昼めしを食べた。
野菜料理を中心としたバイキング形式のレストランで、昨日は日曜日だったから家族連れで、ほぼ満席になっていた。

それぞれほんの少しずつ取るようにして、出されていたものは8割がた制覇した。
めちゃくちゃうまいというわけではないが、悪くはない。
バイキングというのは、味というより、いろんなものを食べるのを楽しむ場所だからな。

夜は「アサリのむき身」を、いつもいくグルメシティではじめて見つけた。
中国産で、100グラム98円だから、たっぷり入ったのを買っても200円しない。
これで池波正太郎直伝の「アサリと白菜の小鍋だて」。

アサリと白菜、豆腐を、昆布だしに酒をいれた汁でさっと煮て、ポン酢で食べる。この汁はいうまでもなく、食べ終わったら塩としょうゆで味をつけて吸物にする。

あとは昨日のブリ大根の残りで、「奥の松」を1合半。



今日の昼は、「新福菜館三条店」。
この店は毎週通っているから、いつも他の店へも行きたいとおもうのだけれど、浮気をするとかならず禁断症状がでて、けっきょく後日いかなければいけない羽目になるから、もうこれは諦めなければいけないのだと毎週自分に言い聞かせている。

今日はビールでなく、酒にした。

「中華そば並」と、今日は半ライス。


自然の恵みダイニング MOBY-DICK 奈良新大宮店