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2011-09-03

ネット世代は世界を変えると思うんだよな

菅前首相など見ているとつくづく、古い世代の人だという感じがしたもんだ。いや実際に年齢的にも、菅前首相は古い世代と言えると思うが、それよりもあの行動様式が、「懐かしい」という思いすら湧き起こるものだった。

コミュニケーションの基本は飲むこと。何でも自分自身が現場へ行かないと気が済まない。これはたしかに重要だった時代もあっただろうが、今では多くの人が、時代遅れと感じるようになっているだろう。

僕の世代でも、昔はよく飲んだものだ。人と出会い、関係を作ろうと思ったら、以前は飲むことしかなかった。あとは麻雀。僕は勝負事に興味が持てない体質で、麻雀はほとんどやらなかったが、友達にはやってるやつも多かった。酒を飲んだり麻雀をしたりすることで「仲間」ができ、それは仕事や遊びのいろんな局面で、役立つことになっていたわけだ。

それから女の子と付き合おうと思ったら、絶対的に必要だったものは車。車がなくて女の子と遊ぶというのは、考えられなかっただろう。

でも今の若者達、どうなのか。酒は飲むのか。よく知らんが、飲まない奴も多いんじゃないか。飲んだとしても、きちんと上品にたしなむ程度だったりして、昔みたいに一気飲みとかしないんじゃないか。女の子と一緒だと飲むかもしれないが、男同士で飲んだりは、もうしなさそうだよな。

麻雀ももうしないだろう。車だって持たない奴が多い。

そのかわり、iPhoneだけはしっかり持ってたりするわけだ。

だいたい酒を飲むことの効用といえば、仕事中や勉強中にはできない、まったく下らない、意味のない話をすることにあるわけだ。利害とか効率とかを抜きにしたところで、人と言葉を交わすことで、人との結びつきが強くなる。それが酒を飲むことの意義だっただろう。

ところがそんなことは今や、ネットでいくらでもできるのだ。僕も以前は、毎日渋谷で仲間と飲んでいたクチだったが、最近はほとんど飲みに行かなくても、欲求不満が溜まることはまったくない。下らない話はいくらでも、ツイッターやらフェイスブックやらでできるからだ。

ツイッターやらフェイスブックやら、その他のネットにおけるコニュニケーションは、飲む席でのコミュニケーションを9割方置き換えてしまったと言えるんじゃないか。残るのは面と向かわないとできないことがある男女の関係と、あとやはり僕なども、東京や広島の友達と、ツイッターやフェイスブックで日常的にやり取りはしていても、年に1回くらいは、実際に会って話したいと思うところはある。


以前のコミュニケーションはどれも、「肉体的な強さ」が大きな意味を持っていた。例えば酒を飲むのにしたって、まず酒が飲めなければいけないわけだし、それを十分に長時間にわたって楽しもうと思ったら、酒が強くなくちゃいけない。麻雀も、一晩中やるわけだから、やはり体力勝負だろう。肉体的な強さは、一般的には男性のほうが勝るから、以前のコミュニケーションは男性が主役、男性が中心だったと言っていいだろう。

ところがそれがネットに移行して決定的に変わったことは、ネットにおけるコミュニケーションは、肉体的な強さとまったく関係ないということだ。ネットにおいては、酒が強くても、体力があっても、まったく意味がない。ネットにおいてはコミュニケーションは、体力によってなどではなく、そこに表現されたつぶやきなり、コメントなりの内容そのものによって決まる。そうなるとこれは、圧倒的に女性が有利だと言えるんじゃないかと思うんだよな。

女性が男より口が立つというのは、昔から知れた話だ。男は口で争うと、女性に負けてしまうから、その分酒を飲んだり、麻雀したり、女性より優位に立てる、体力勝負の土俵でコミュニケーションを図り、負けを挽回してきたのかもしれない。ところが今や、ネットでは、男は女と同じ土俵で勝負しないといけないことになったのだ。

草食系男子と肉食系女子などというが、これはネットのコミュニケーションで、女性が優位に立っていることを表しているんじゃないか。女性が大昔から駆使してきた口の力を、今や男も、駆使しなければならなくなった。男が優位に立てる場所が、なくなってしまったとも言えると思うんだよな。

今世界が、男の論理で動いているのは、間違いのないことだろう。強い、弱い。上、下。勝った、負けた。政治の世界など典型だ。それがすぐに変わることはないだろうけれど、ネットで育った世代がある年齢に達する頃には、それはもしかしたら、大きく変わるんじゃないか。肉体重視の男の論理でなく、言論重視の女の論理で、世界が動くようになっていくというのも、夢ではないんじゃないか。まあでもそれは、世界がその時まで、あればの話だけど。



僕がこの夏、スーパーでちょくちょく目にし、気になっていながらも無視していた材料の一つが冬瓜だ。無視していたのは「うどんすきにも焼きそばにも入れられない」という理由だったが、麺料理の呪縛が解けた今、たまたま昨日、フェイスブックの知り合いが冬瓜を食べていたこともあり、僕も冬瓜を食うことにした。

前に一度冬瓜を煮た時には、煮すぎてドロドロに崩れてしまったんだよな。実際今回やってみても、冬瓜は火から下ろすタイミングが難しい。透き通ってきたなと思ったらすぐに火から下ろさないと、今度はあっという間に煮崩れてしまう。だから弱い火で、やさしく煮てやらないといけないわけだ。

昆布だしに鶏ひき肉を入れ、あくをすくいながらだしを取り、酒・みりん・しょうゆ・塩で薄めに味を付ける。その汁で冬瓜をコトコト煮て、煮上がったら冬瓜を取り出し、残った汁に片栗でとろみを付けて、冬瓜の上からかける。


これはまあまあ、上手にできたっす。冬瓜の皮を剥くのに、緑色の部分をすこし残してしまったのだけれど、やはりあれは厚く剥いて、完全に白くしてしまったほうが、煮上がりはきれいだっただろうな。



昼飯は焼きそば。具は豚コマ肉に長ネギ、それから椎茸。