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2011-02-05

池波正太郎シリーズ 浅蜊のぶっかけ飯、鶏の水炊き

池波正太郎は、ミニマル料理の巨匠であると、僕は勝手に呼ぶことにしたわけで、「そうざい料理帖」には、簡単にできて、しかもいかにもうまそうな料理の数々が、これでもかとばかりに載せられている。
一人で晩酌するのにうってつけな、酒の肴も多いのだが、朝や昼に食べるような、ご飯ものもいくつもあり、いつもは昼は外食するのだけれど、昨日はそれはやめて、まずスーパーへ行って買い物して、昼めしを自分で作ってみることにした。

というわけで買ってきたのはアサリ。
「浅蜊のぶっかけ飯」というものを、作ってみようというわけなのだ。
アサリはほんとなら、むき身がよかったのだが、グルメシティには売っておらず、自分で煮て、それをほぐすことにした。

まずは飯を炊く。

僕は以前から、炊飯器を使っておらず、土鍋やふつうの鍋で、飯を炊いているのだが、それはそのほうがうまいということもあるが、それより何より第一に、飯という日本の食事の中心を、自分で手をかけずに、機械にまかせてしまうというのが、どうにも悔しい気持ちがするからだ。
もしこれから一人暮らしをするという人がいたら、僕はとりあえず、炊飯器と電子レンジは、買わずにやってみるということを、強くすすめる。
便利だというが、かかる時間はそれほど変わるわけでもないし、なにより、こういう文明の利器を使って、自分で手を掛けなくなってしまうと、その分、楽しみが減るのだ。

一人暮らしで料理をしようという場合、これは主婦とは違って、仕事ではなく、料理を作らなくても、誰が怒るというわけでもないので、やはりそこに楽しみが見つけられないと、ただ節約のためとかいう理由では、なかなか続けられず、どうしても外食に流れてしまいがちだ。
楽しみというのは、手を掛けるということのなかで、生まれてくるものなので、その手間を省いてくれてしまう文明の利器というものは、一見よさそうに思えるのだが、じつは料理の楽しみを減らし、結果として、料理から人を遠ざけてしまうと、そういうことになりがちであると、僕は思う。
これは一見、「必要最小限」を標榜する、ミニマル料理の考え方と矛盾するようなのだが、ミニマル料理はあくまで、不必要な、飾り立てるだけのものを省く、ということであって、ただ料理の手を抜くということとは違うのだ。

飯炊きの火加減とか、水加減とか、それほどむずかしいものでもないし、土鍋でなく、ふつうの片手鍋でも、けっこうおいしく炊ける。
飯の味というものには、日本人はやはり敏感だから、いろいろやってみて、今日はうまく炊けたとか、今日はイマイチだったとか、かなり楽しい。
これでキャンプへ行っても、ある日災害でも起こって、電気のない生活をしなければいけなくなったときでも、とりあえずおいしい飯だけは炊けるということは、かなりの自信にもなる。
鍋で炊く場合、保温ができないということが、弱点といえば弱点なのだが、保温をすると、飯は急激にまずくなるから、自分一人が食べるものなのだから、自分が食べる時間にあわせて、飯を炊き始めればいいというだけのことなのだ。

僕が今使っているのは、「かまどさん」という、飯炊き専用の土鍋。
一合炊きで6,000円もするから、これはさすがに、これから一人暮らしをしようという人に、いきなり買ってみることはすすめないが、しかしこのかまどさん、死ぬほどうまい飯が炊ける。
鍋の厚さが2センチくらい、ふつうの土鍋の倍以上はあるというもので、それが熱を大量に蓄積して、米をふんわりとやわらかく、甘くしてくれるのとともに、余計な水気を吸収して、べとつかない、飯粒の表面がからっと乾いた状態にしてくれる。
スーパーで売ってる、ふつうの米を使っても、よっぽどの料亭でもなければ食べられない、というくらいの、考えられないくらいうまい飯が炊ける。
ただIHでは使えないので、僕は飯を炊くときは、カセットコンロを持ち出すようにしている。

さて火を止めて、飯を蒸らしているあいだに、アサリを煮る。

鍋にだし昆布をしき、千切りにした大根、そしてアサリを入れ、酒をふり、水を少なめに入れる。
水はとりあえず、煮立ててアサリの口が開けばいいので、そんなにたくさん入れなくていい。
アサリはほんとなら、塩水にしばらく浸けて、砂出ししないといけないとこだが、スーパーで売ってるアサリは、塩水といっしょにパックに入っているから、砂出しせずそのまま使っても、一度だけガリッと砂を噛んだが、あとは大丈夫だった。

鍋にフタをして火にかけて、汁が沸騰してアサリの口が開いたら、だし昆布を取り出し、アサリの身を一つひとつ、殻から外して、汁にもどす。
そこへみりんと醤油で、好きなように味をつけ、アクをちょっと取って、ひと煮したら出来上がり。
よそったご飯に汁ごとぶっかけ、七味をふって食べる。

これはですねえ、死ねます。
いかにも東京下町という風情の、素朴な味。
単純な味だから、毎日でもいけますな。
アサリがたしょう、高いといえば高いけれど、298円、発泡酒をつけても、外でラーメンを食べるより安い。

そして晩めし。

「そうざい料理帖」のなかに、「鶏細切れ肉の水炊き」というのがあって、池波正太郎は、鶏肉屋で、いつも安い細切れ肉を買い、それで水炊きをするそうで、いっしょに入れる野菜が、豆腐とネギ、それにニンジンの細切れだけというのが、いかにもうまそうだったので、やってみることにした。
鶏肉は、僕は細切れではなく、西友で100グラム78円で買った、鶏ももの一枚肉を、適当に切り刻む。

鍋にだし昆布をしいて、鶏肉と野菜をそのまま入れ、酒をどばどばとふり、水を張る。
今回鶏肉は、前回湯通しをしたのに、けっこうなアクが出たので、どうせアクをとるならと、湯通しせずに入れてみたら、いやはや、とんでもなく大量のアクが出て、これはやはり、湯通しはするべきだった。

鶏の水炊きに、白菜は欠かせないものだと思っていたが、それはなしで、ネギとニンジンだけというのが、男の味なのだな、これは。
ニンジンは味もあるが、この赤いいろどりというのが、選ばれた理由なのだと思う。
さらにこのニンジンを、輪切りにしたり、花の形にしたりするのでなく、細切れにして入れるというのが、ちょっと意外でなんとも洒落ていて、これは池波正太郎、どこかの料理屋で食べて、おぼえてきたものなのだろうな。

池波正太郎は、これを食べ終わったら、残ったスープに胡椒と塩で味をととのえ、熱い飯にかけて食べるのだそうで、僕は同じように味をつけ、レトルトご飯を入れてさっと煮て、かための雑炊にしてみた。

これは死ねる。
鶏にネギ、ニンジンのスープというのが、まずうまいわけだが、これに醤油を入れず、塩だけで、そこにコショウ。
考えてもみなかった取り合わせなのだが、中華風といえば中華風、コショウがピリっと全体の味を引き締めて、いやこれはたまらないっす。

酒は賀茂鶴、特別純米酒を1合半。
これから酒は少なめにして、最後にシメまできちんといくようにしようと思うに至ったのだが、ちょっと食い過ぎじゃないかとも思い、それがたしょう心配。



池波正太郎のそうざい料理帖 (深夜倶楽部)


かまどさん、アマゾンで5,608円、ずいぶん値下げしたみたいですね。