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2011-08-02

池波正太郎流「アサリぶっかけめし」を、汗をだらだら流しながら食う


作家 池波正太郎の「食」に関するエッセイは、なんとも風情があって読み物として最高。

もともと新国劇の脚本を書いていた人で、時代小説の名手だから、とにかく文章に風情がある。エッセイなのに、躍動感があるんだよな。それがまず一つはいいところ。

それからもう一つは、池波正太郎が生まれ育った、「東京下町」の情緒が、色濃く感じられること。自分が昔から今に至るまで家で食べている食い物も数多く紹介されているのだが、それが
「いかにも下町…」
と言いたくなるような、ちょっとつっけんどんで、シンプルなものばかりなのだ。読みながら、自分もそれを食べてみたくなることは間違いない。

その中でも、僕がわりと何度も食っているのが、この「アサリぶっかけめし」なのだ。


スーパーに中国産のアサリのむき身が、「マジ」と思うくらい安く売っているから、それを買ってくる。

材料はあとは大根。細く切っておく。

まずはだしを取る。これは「だしパック」と言われるもので、紙パックの中にかつお節だの昆布だの、色んなものを粉末状に砕いたものが入っている。

僕はだしについては、「ほんだし」など化学調味料系の顆粒だしは使わないことを、初心者には強くすすめる。べつに化学調味料を否定はしないが、初心者が使うと、「料理」がどういうものかがわからなくなってしまう所があると思う。

このだしパックを、水から5分ほど煮る。

ちなみに米を炊きながらになるので、台所はこういう状態になる。

5分たったらだしパックは絞って捨て、大根とアサリを煮る。

味付けは、酒とみりん、これはどちらもほんのちょびっとずつ。入れなくてもいいのかも。それに味を見ながらうす口しょうゆ。

アサリの風味はほんとに淡いので、酒やみりんをあまり入れてしまうと、それが全部消し飛んでしまう。

炊きたてのご飯に汁ごとぶっかけ、七味唐辛子をふって食べる。青ネギは池波流ではなく、僕流。

暑い夏に、汗をだらだら流しながら、アサリぶっかけめし。うちわで扇ぎながらとかだと最高。



池波正太郎、食に関する最高傑作はこれ。


こちらは「作る」ということを中心に、いくつかの本から抜粋してまとめられている。イラスト付き。


鍋ほどおいしく手軽で、バラエティに富み、新たな発見に満ちた食い物はないな


これまで何回かにわたって、「一人暮らし料理入門」と称して、一人暮らしの人間がどうしたらうまいもんを無理なく手軽に作れるのかを考察してきたわけだが、考えてみたら、その王座に君臨すべきものは「鍋」だった。

鍋は僕は、誠に多投していて、冬場はほとんど毎日鍋を食ってた。夏は暑くて、扇風機をかけるから、卓上で火をたく鍋は無理だと一度は結論したのだったが、最近になって、鍋は夏でも食べられることがわかった。

台所で全部作ってしまって、それをテーブルに持ってきて食べればいいのだ。

このやり方だと、鍋はだんだん冷えるわけだが、いや夏だから、むしろそのほうがいい。うまいものは冷えてもうまい。

それでまた鍋をやりだしたのだが、昨日作った「鶏のうどんすき」、また新たな発見と感動があり、あらためて鍋を見直したのでした。


◎ 鍋はやはりすべての料理の元祖なのじゃないか

料理の歴史を考えてみるとするじゃないか。

いやもちろん僕は、料理の考古学についてまったく知らないし、そもそも文字のなかった時代の料理について、実際に知ることができる方法があるのかどかも知らないが、自分が色々料理をしながら、
「今こうやって作っている料理は、昔はどうだったのか」
とあれこれ考えてみるのは楽しいことだ。

料理法というものは、最もシンプルには「焼く」ということがあったのは、たしかにそうなのじゃないかと思う。焼くことによって、硬かったり生臭かったりする食材が、やわらかく、うまいものになる。

でも今の料理を考えてみると、「焼く」ということだけの延長線上にあるとは思えないわけだ。やはり「煮る」というのをやるようになって初めて、今の料理の原型ができたと思うのだよな。

ちなみにもう一つ、料理の源流には「発酵」があると思うけれども、それは今回は脇に置いておく。いや次回も脇に置いておくかもしれないが…。

肉やら野菜やらを、とにかく片っ端から鍋に入れ、グツグツ煮て、塩かなにかで味を付けて食う。料理の元祖はやはりこれだったのじゃないかと思えるんだよな、僕は。

それでそのうち、材料の相性とか、そこにどんな調味料を使うのかとか、そういうことが研究され、様々な料理が生み出されていく…。

「煮る」ということにより発見されたのは、やはり何と言っても、「だし」だっただろう。

肉や野菜から、うまみの成分が水に溶け出していく。それが渾然一体となって、一つのうまみをつくり出す。そのうまみが、また肉や野菜に還り、しみ込んでいく。こうして味が循環することにより、料理がうまくなっていく。

それが洗練されることにより、様々なソースやら、昆布やらかつお節やら、そういうものが生まれていったわけだけど、そのルーツには常に、鍋という「ごった煮」があるのじゃないか。ごった煮の状態によっていろいろな可能性が試されて、うまくいったものが、「料理」として独立していく。そういうことなのじゃないかと僕は思うのだよな。

だから鍋は、常に「鍋」としか呼ばれない。まあいろんな呼び名もあるけれど、少なくとも家でやる時には「鍋」としか呼ばないだろう。これは鍋というものが、料理になる以前のもの、「料理の原型」だということを、今に示すことなのじゃないかと思うのだな。

鍋というのは、世界が常に開かれていて、「どんなものを入れてもいい」し、またそこから「新たな発見を生み出す可能性」をはらんでいる。名前がない、一つに定められることがない存在だからこそ、いかようにも姿を変えることができるわけだ。

こんなに楽しいものはないじゃないか。


◎ スーパーへは、メニューをあまり決めすぎずに行くと楽しい


というわけで、昨日は冷蔵庫にこないだ買った鶏のもも肉が入っていたから、これを使って何か鍋を作ろうということだけ決めて、スーパーへ行ったのだ。

スーパーというのは、僕は間違いなく言えると思うことは、
「何の料理をつくるかを決めないで行くのが楽しい…」

あらかじめ何を作るかを、レシピを見たりして計画し、そのメモを見ながら食材を買い揃えるという考え方もあると思うけれども、それだと「新たな発見」というものはない。計画以上のことが起きることは、あんまりないわけだ。

でも何を作るかを、あまりちゃんと決めずにスーパーへ行くと、おいしそうな食材とか、食べてみたいと思う食材とかが、「おいでおいで」と手招きをするということがある。その声にしたがって食材を買い、料理を作ると、思ってもみなかったようなものが出来上がるということが、多々あるのだよな。

やはりそういうことが、「楽しさ」というものなんじゃないかと僕は思うがな。


まあそれで、鶏肉に、何の野菜を合わせようかを考えた。

家に玉ねぎとゴボウとニンジンと豆腐があるから、それは使う。タケノコの水煮が安く売っていたから、それも使うことにした。あとはシイタケ。それにうどん。


◎ 鍋はどんなやり方だって、自分の好きなように作ったらいいのだ

鍋の作り方など、どうやったってうまいのだ。だから怖れることなく、好きなようにやってみたらいいのだが、いちおう僕流のやり方。

フライパンに水を入れ、昆布をひたしておく。

僕は鍋も、ほとんどフライパンで作るのだけれど、男性の一食分には、まさにこれがちょうどいいと思う。女性にはちょっと大きすぎるかもしれないけれど。

土鍋を買ってもいいのだが、あれは意外に小さくて、一人用とかだとぜんぜん足りない。足りるだけの大きさにしようと思うと、ものすごく巨大になるから、置く場所に困ることになる。だったらフライパンとか、普通の片手鍋とか、そういうものを使った方がいいと僕は思う。

これを火にかけ、沸騰したら、まず肉を入れる。昆布はそのまま煮て、いっしょに食ってしまう。

ここで調味料を入れる。まず酒。これはかなりたっぷり入れる。酒をたっぷり入れれば入れるほど、鍋はおいしくなる。ただしもちろん、入れた分だけコストもかかる。

ちなみに酒は、「ミツカンの料理酒」とかの安いのじゃなく、「タカラの本料理清酒」か、いちばん安い日本酒を買って、それを使ってください。

みりん。ドボドボドボ…、というくらい。たくさん入れればこってりするし、ちょっとだけならあっさりする。これは完全に好み次第なのだ。

うす口しょうゆ。この量は重要。かならず味を見ながら、まずは「ちょっと甘めかな」くらいにしておく。煮上げる前にもう一度味を見て、そこで最終的に味をととのえる。

あとは煮えにくそうなものから順番に野菜を入れていく。

アクはまったく取らなくていい。肉のアクは、「汁がにごる」という、完全に見た目だけの問題で、味的には問題ない。アクを取ってしまうと、かえってコクが落ちることになる。


◎ いやこれは死にました

というわけで、これはあえて名前をつければ、「鶏のうどんすき」。

七味唐辛子と青ネギをふって食べる。

これがですねえ、死ぬほどうまかったんですねえ。

「シイタケ」を入れたのが大きかった。鶏肉と、玉ねぎとシイタケ。これは「黄金のトライアングル」ですな。だしがうまいのなんの。

シイタケはこれまで、あまり使ったことがなくて、キノコといえばシメジとかエノキとかばかり使っていたのだけれど、鶏肉にこんなに合うものだとは思わなかった。

酒は賀茂鶴、本醸造爽快辛口。いやこれも最高。

2011-08-01

魚は焼くより煮付けた方が、一人暮らしには手間が省ける


一人暮らしを始めて、慣れないスーパーなぞへ行ってみると、目に止まるのは今なら「サンマ」とかだろう。
今はまだちょっと高いが、これからサンマは安くなるから、脂ののったサンマに塩をふって焼くというのは、
「安く手軽においしいおかずを作る」
という意味では非常に正しい。
僕も毎年、サンマ君にはとてもお世話になる。

ただ「おかず」と考えると正しくても、「献立」というところから考えると、サンマの塩焼きは一人暮らしの料理として、かならずしも正解とは言えない。
サンマの塩焼きを
「きちんとした食事に組み込む」
ためには、けっこうな手間がかかるのだ。

サンマを塩焼きすれば、当然大根おろしを添えたくなるだろう。
それにサンマだけじゃ、おかずとして寂しいから、やはりほうれん草のおしたしくらいは加えたいところだ。
これに冷奴くらいを付けて酒を飲むとなればまだいいが、ご飯を炊いて味噌汁を付けてとなると、火を使うものを4品も揃えなければいけないことになる。
炊飯器があったにしても3品。小さなワンルームマンションの一口のコンロでは、けっこうな手間だし時間もかかる。

料理をする時には、おかずだけじゃなく、食事の献立全体のことを考えないといけない。
おかずのところで一見手間を省いているように見えても、献立全体で手間がかかっていては意味がないのだ。

魚の場合、たしかに「塩をふって焼く」というのは、どんな魚にも通用する、黄金の調理法だ。
でもそれよりも、
「煮付け」
「汁」
など、「煮る」ようにした方がはるかに手がかからない。
魚を煮るその煮汁には、おいしい魚のうまみがたっぷりしみ出している。
この煮汁を使うことにより、同時に他のものをおいしくすることが出来るからだ。

「煮付け」というと、初心者にはかなりハードルが高いもののように思われるかもしれないけれど、全然そんなことはない。
塩をふって焼くだけよりは、多少手はかかるが、難しいことはないし、献立全体としては非常に手間が省けることになる。


◆ イワシ梅煮の材料


イワシの梅煮だから、当然まずイワシ。
イワシはいつ見ても、だいたい安く売っていて、昨日はスーパーで、3尾150円。
今ならまだサンマよりもぜんぜん安い。

魚の煮付けに合う野菜といえば、なんと言っても「ゴボウ」が鉄板だ。
これはどんな魚の煮付けにもかならず合う。

ゴボウに次ぐのは大根。
これもそこそこ煮付けに合う。
今回はゴボウを使ってみた。

それから梅干し。

それに豆腐。そして素麺。
これだけあれば、食事に必要なひと通りの栄養はまかなえてしまうことになるわけだ。


◆ 材料の下処理

イワシはスーパーで、頭を落としているのを売っている場合もあるが、だいたいは頭もハラワタもついた、まるまるのものを売っている。
早い時間帯ならばスーパーで頼めば、頭を落としてくれるけれども、なに、こんなものはべつに難しくもないから、自分でやってしまえばいいのだ。

イワシの頭と胴体の間のところを、包丁でぐさりとギロチンして切り離す。
ハラワタは、お腹の下の部分を割いてしまってかまわないから、指でていねいにかき出す。

「イワシをギロチンするのは気味が悪い」
などと言ってはいけない。
こういう機会に、人間は自分の命を守るために、他の生き物の命を犠牲にしていると知ることは大事なことだ。
「イワシさん、いつもありがとう」
と心でつぶやきながらギロチンしよう。

イワシはギロチンして、ハラワタをかき出したら、外も中も水でていねいに洗う。
ここでぬめりやハラワタのかけらなどが残っていると、あとで「臭み」の元になる。

ゴボウは、「洗いゴボウ」というのを買ってくれば手軽だが、べつに土の付いているやつだってかまわない。
まずゴシゴシ洗うのだが、僕はこれは、食器を洗うネット付きのスポンジでやっている。

スポンジは、いちばん新しいのは食器を洗う。
古くなったやつは、ゴボウやジャガイモなどの土付きの野菜を使ったり、フライパンを洗ったりする。
さらに古くなったので、流し台やら換気扇やらを洗う。

ゴボウは洗ったら、べつに皮とかは剥かなくていいから、そのまま斜め切りにする。

豆腐は、僕は木綿豆腐を使うが、絹ごしが好きならそれでもいい。
食べやすい大きさに切っておく。

「イワシの梅煮」だから、梅干しを入れる。

普通サイズの梅干し1個分を、包丁で叩いておく。
そんな一生懸命叩かなくても、軽くでいい。


◆ イワシ梅煮の作り方

まずは素麺をゆでる。
麺をゆでるには、フライパンがいちばん便利だ。
素麺のゆで時間は2分だけれど、あとでまた温めるから、多少かためにしておいてもいい。
まあでもあまり神経質にならなくても、適当でいい。

ゆで上がったらザルにあけ、水でもみ洗いして、水気をよく切っておく。

フライパンにイワシとゴボウ、それに梅干しを並べる。
あとで食卓にフライパンごと出すから、食卓に出した時に見栄えがいいように並べるようにする。

そこに、「水と酒あわせてカップ1杯分」を入れる。
ここで酒の分量は、多いほどうまい。
僕は水と酒を半々にする。

これにさらに、砂糖とみりんを入れて火にかける。
砂糖は、僕はスプーン山盛りで2杯くらい。
みりんは「じゃばじゃばじゃば」と適当に入れてみる。

砂糖もみりんも、
「多ければこってりするし、少なければあっさりする」
というだけの話で、どのくらい入れるかは、完全に好み次第なのだ。
砂糖も、もっと入れてもいいし、もっと少なくたっていい。

火は強火。
沸騰してきたらアクが出るから、これはできるだけていねいに取る。
肉のアクは「うまみ」だから取る必要がないが、魚のアクは「臭み」になるから、ていねいに取っておいたほうがいい。

アクをひと通りとったら、しょうゆを入れる。
これは慎重に、味を見ながら、
「まだちょっと甘いかな」
というくらいにしておく。
しょうゆはいきなり全部入れてしまわないで、最後に足すようにしたほうが、材料への味のしみ込みも良くなるし、しょうゆの風味を損なわないことにもなる。

しょうゆを入れたら、キッチンペーパーを上からかぶせ、すこし煮る。

煮はじめたら、火加減は
「強めの中火」
という程度。
煮汁がきちんと沸き立ち、材料の上にかぶっていく程度にまで大きくする。

沸騰しはじめてから5分たったら、キッチンペーパーを取り、ペーパーにしみ込んだ煮汁を箸とスプーンで絞って、ペーパーは捨てる。
ここで味を見て、しょうゆが足りなければ足すようにする。

それから豆腐を入れる。
煮ながら、スプーンで煮汁をすくって、豆腐やらイワシやらの上からかけてあげる。
こうして味をしみ込ませるのだ。

そして素麺を入れる。
箸でほぐして、煮汁をすこしからめたら火を止める。

煮時間は、沸騰しはじめてから火を止めるまで、7~8分。
イワシなどの小さな魚の場合は、これ以上火を通すとパサパサになってしまうから、煮時間だけには気を付ける。

青ねぎでもふって、フライパンのまま食卓へ出してしまおう。
こうやっていろいろ入っていると、フライパンのまま出しても、むしろおしゃれな感じになる。
もちろん言うまでもなく、これは食器を洗うのを節約するためでもある。

「イワシ梅煮」は、イワシの臭みが、梅干の風味によって消されるようになっている。
梅干し風味のおいしい煮汁が、ゴボウやら豆腐やら素麺やらにしみ込んで、これはほんとにたまらないですよ。


◆ まとめ

今回の「イワシ梅煮」のやり方は、もうそのまま、ほかの魚を煮付けるために応用できる。

イワシの臭みを消すために梅干しを入れたが、「鯛」や「かれい」など臭みの少ない魚だったら、梅干しを入れる必要はない。
「サバ」などの場合には、梅干しではなく刻んだしょうがを入れてもいい。

煮付ける場合、とにかく「煮時間」が命で、イワシのように小さな魚や切り身などなら、7~8分がいいところ。
絶対に10分は超えないようにする。
アラなど大きめのものを煮付ける場合は、15分程度。

強めの中火で7~8分煮つづけて、ちょうどいい具合に煮詰まる水分(水+酒)の量が、カップ1杯。
これより長い時間煮るときは、水分の量もふやすようにする。


◆ 煮付けに合う酒

魚の煮付けに合うのは、圧倒的に日本酒なのだ。
日本酒は飲みなれないと、あの独特な匂いが鼻につくものなのだけれど、慣れるとまったく気にならなくなる。
酒は毎日飲んでこそ、うまさが解ってくるものなのだ。
匂いが気になる人は、冬なら熱燗、夏なら冷やして飲めば、たしょう匂いがおさえられる。

日本酒は他の酒と違って、飲むほどに「とろん」としてくる。
焼酎やビール、ウィスキーなどは、飲むとギンギンに頭が冴えてきてしまったりして、寝れなくなってしまう場合もあるのだけれど、日本酒はまったくそんなことはない。
つくづく品のよい酒なんだよね。

昨日は広島、賀茂鶴 本醸造爽快辛口。
辛口の酒は、「淡麗辛口」という、すっきりしているだけのものが多いのだけれど、これは違う。
辛口で、たしかにすっきりしているのだけれど、かなり強い、上品なうまみが入っている。
これが飲むと、辛みとうまみが手を取り合って、口の中でダンスをしているようなのだ。
ほんとにうまい。

あまりにうまくて昨日は飲み過ぎそうになったが、なんとか2合半でやめておいた。