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2011-03-02

生物記号論者・川出由己さんインタビュー (2/4)

(まえがき) インタビュー(1/4)

川出さんが、それではどういうきっかけで、「生物記号論」に興味をもつようになられたのかをお伺いしました。

◇ ◇ ◇


川出 僕がそういう方向へ進んでいったというのは、柴谷篤弘さんの影響がありますね。現役のころから、柴谷さんの影響で、「生物学批判」という視点はもっていました。

僕が定年になるすこしまえ、池田清彦さんと柴谷さんが、「構造主義生物学」について、やかましく言い出したころ、柴谷さんが大阪で、外国の、構造主義に興味がある生物学者を数人よんで、研究会をやったのです(1986)。それに僕もよんでもらって、話を聞いて、よくわからなかったけれど、おもしろかった。

そのあとには京都で研究会があって、郡司ペギオ-幸夫さんとか、米本昌平さん、松野孝一郎さん、などといっしょに僕も出席して、座談会がありました。そこで3日間、話をして、それはあとで本にもなりました(1989)。僕はそのころは、そういう方面の知識はなかったけれど、柴谷さんに誘ってもらったんです。

高野 それでは柴谷先生は、以前から、川出先生には見込みがあると思っておられたということなんですね。

川出 そう、僕は渡辺格の弟子なのだけれど、柴谷さんと格さんが、日本の分子生物学の草分けです。この二人は非常に肌合いはちがうのだけれど、二人で日本の分子生物学を指導してきました。

ポーランドの哲学者コラコフスキーがいっているのですが、「どんな社会にも知識人というのがおり、それには2種類ある、ひとつは祭司、もうひとつは道化だ」。祭司と道化が両方いることで、社会は維持されている。祭司は秩序を維持する。道化はそれをときどきかきまわして、活性化する。格さんは、まさに祭司。柴谷さんは道化。それが非常にぴったりあうというのが、僕の実感です。僕はその二人にみちびかれたんです。

高野 そういう意味では、川出先生は、生命とは何かを考えるうえで、いちばんいい場所にいらしたということなのですね。

川出 結果としてね。それで僕は、格さんに忠実であるよりは、柴谷さんに忠実なほうになっていったんです。

柴谷さんは、「構造主義生物学」をやっていて、それがネオダーウィニズム、現代生物学に反対するという趣旨はわかるのだけれど、もうひとつよくわからない。それで僕は、柴谷さんのいうことをちゃんと理解できないままに、ちがう方向をさがして、言語学に助けをもとめたんですね。

高野 先生は、構造主義生物学とおなじように、現代生物学にはまったくない視点から、生命とは何かを明らかにしようとする、松野孝一郎さんが提唱されている「内部観測」は、どう評価されますか。

川出 難しくてよくわからないんです。基本的には、僕の言っていることと通じることがある、つまり自然科学のように、対象を見るのに、その外から、どこだかわからないところに身を置いて見るのではない、生きてはたらく系自身の内部から見るのでなければ、意味や価値をつくりだす主体のことは理解できない、と思うのだけれど、松野さんのいわれていること自体は、よくわからない。

それよりは、おなじ「内部観測」とくくられることがある、郡司ペギオ-幸夫さんの研究のほうが、まだすこしわかります。物と物との関係を論理であらわしたものとして生命をとらえ、それをコンピュータでシミュレーションしている、というくらいのことはわかる。でも「生命の論理」というのは、「生物」とは、ちょっと、ちがうのじゃないかという気がします。郡司さんは「生命壱号」とはいうけれど、「生物壱号」とはいわないでしょう。「生命」と「生物」とは、ちがいがあると思うんです。生物とは、やはり「モノ」、分子などの物質なのであって、僕はそこにこだわるんです。


2011-03-01

豚肉のうどんすき、アサリの小鍋だて

「鍋」というものはおそらく、料理のなかで、最も原始的なもののひとつなのだな。

だいたい物事というのは、もともとは「未分化」な、渾然一体とした状態にあったものが、徐々に分化し、「部分」というものが発生し、それぞれの意味が、他の部分とはちがうものとして、区別されていく、という形で発展していくことになっている。

赤ん坊がことばを話すようになっていく道筋は、まさに典型で、はじめは「泣く」というひとつのことで、すべてを伝えていたものが、そのうちだんだん、いろんな意味をもつ「ことば」を話すようになっていく。

料理もたぶん、おなじように、いまでは「ごはんと汁物」とか、それにたいして「おかず」とか、おかずも「肉類と野菜」とか、それなりに複雑な構造をもっているわけなのだが、元はそれらが渾然一体としたものであったにちがいない。

そう考えると、鍋というものは、まさにそれに当たるものだとおもうのだよな。

鍋というのは、肉も野菜も、すべてをいっしょくたに、ぐつぐつと煮てしまうものなわけだが、それだけならカレーだって、似たようなものだ。でも鍋は、カレーにくらべて、さらに渾然一体の度合いがたかいと僕はおもうのだが、それは「つくる」ということと「食べる」ということが、分離されていないのだな。

ふつうなら料理は、あらかじめつくったものをお膳にならべ、それを食べるということになる。ところが鍋のばあいは、つくりながら食べる。だから「つくり手」と「食べ手」も区別されないし、料理が「完成する」ということもない。誰彼ともなくつくり、みなで食べ、食事の終了とともにすべてが終わるという、はなはだ単純なことになっているわけだ。

この何ともいえないルーズな感じが、鍋の魅力なのであり、僕のように一人で暮らしていると、毎日鍋になってしまうという理由なのだよな。

でももしかしたらこの、「つくり手と食べ手を区別しない」という方式は、東京の文化なのか。

東京のばあい、店にいっても、鍋というのは基本的に客が自分でつくるものだ。僕は大阪にいって、「美々卯」のうどんすきを食べたとき、店員がぜんぶつくってくれるということを知って、びっくりしたものだ。

お好み焼きでも、東京では自分でつくるものだが、関西や広島は、店の人がやってくれる。

あとそれと、ちがうのだけれど似た感じがするものとして、やはりこれも東京の食べ物の代表である、寿司や天ぷらがある。

料理屋というもののひとつの考え方として、「調理場」という、客席とははっきり区別された場所があって、料理はそこでつくられ、ウェイターやウェイトレスによって運ばれてくるというものがあるとおもうのだけれど、東京の寿司屋や天ぷら屋は、基本はカウンターで、料理はそこでつくられ、つくった人がそのまま客の前におく。つくり手と食べ手は、いちおうは別なのだけれど、かぎりなく近いところにいる。

だから寿司や天ぷらは、カウンターで職人と話をして、何がうまいのかをきいたり、こちらの好みを伝えたりしながら、あうんの呼吸で出てくるものを食べるというところに、何ともいえない楽しみがあるわけだ。

東京というのは、何でも細分化されていく場所で、たとえば関西や西日本にならふつうにある、「洋食屋」とか「食堂」とかいう、いろんな食べ物をごちゃまぜにして出す店はほとんどなく、「とんかつ屋」とか、「ハンバーグ屋」、「オムライス屋」、「天ぷら屋」、「うどん屋」などというように、単品の店に特化していく傾向があるとおもうのだが、逆にそういうところで、区別をとりはらい、バランスをとっているところがあるのかもしれないな。

◇ ◇ ◇

ということで、昨日の昼めしも鍋。

豚肉のうどんすき。

昆布とたっぷりの酒を入れた水で、豚コマ肉を煮て、うどんを入れる。うどんはほとんど煮込まず、ほぐれたらすぐ食べる。

しょうゆとみりんを、この煮汁で割って、タレにする。

一人暮しをしていて、簡単な食事をつくろうとおもうと、焼きそばとか焼きうどんをつくりたくなるところかとおもうけれど、それよりもこうやって鍋にするほうが、手間は変わらないのに、ぜんぜんリッチな感じがして、しかもうまい。

昨日はさらに、このスープに塩コショウで味をつけ、レトルトごはんを入れて雑炊にした。

晩酌は、アサリと大根の小鍋だて。

ポン酢ではなく、汁に淡口しょうゆで味をつけた。

それにおとといの残りの、鯛かぶと煮。

酒は佐々木酒造「古都」の、冷やを2合。

生物記号論者・川出由己さんインタビュー (1/4)

(まえがき)

川出さんのインタビュー、まずは大学教授時代のことからです。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

高野 僕は川出先生がお書きになった、「生物記号論」を拝読しまして、すばらしい本であると思いました。

川出 この本は書くのにかなり時間がかかったですよ。これは僕が書いた唯一の本なのですけれど、4、5年かかったかな。

生物学者でほめてくれた人は、ほんのわずかです。京大の古手で前々から付き合いのあった山岸秀夫、村松繁などの他は、池田清彦、団まりな、そして数学出身の経営哲学者村田晴夫くらい。

嬉しかったのは、工学部でロボットの設計をやっている人が、非常に評価してくれたんです。ロボットに記号作用をさせようと思っている人たちがいて、僕はそれは無理だと思うんだけれど(笑)、その人たちが、これは非常にわかりやすくて、参考になったと。彼らは、生物に似た機械をつくろうとしているんです。そのためのアプローチに使えそうだと。

高野 工学の人って、科学にたいするしがらみがないですもんね。実用になるものがつくれればいいわけですから、いい意味でいい加減な、自由な発想から物事を考えはじめる。科学ではとても重要視される、主観と客観の切れ目とか、工学の方は関係ないですもんね。

先生はもともと、分子生物学の研究者として、免疫のことなどを研究されていたわけですが、そうでありながら、現代の生物学がおかしいと思うようになったというのは、どういうきっかけだったのですか。

川出 もともと僕は、理科はあんまり好きじゃなかったんですよ(笑)。それなのに理科に進んだというのは、僕はずるいから、戦争中だったので、理科に行けば兵隊にとられないですむと考えたということで、もともと機械論的な科学は、性にあいませんでした。でも戦後まもない1947年に化学科を卒業して、渡辺格さん、日本に分子生物学を導入した「格さん」に拾われるという幸運に恵まれて、なんとか無事に63歳の定年(1988年)まで過ごして、それでこれ幸いと科学とは縁を切り、自分で勝手な本を読んで、勉強をはじめたのです。

定年になるころにはもう、自然科学はどこかまちがっている、生物を扱うには何かが足りないはずだと思っていました。「生物記号論」にも書きましたが、生き物を機械であると考えることが、どうも自分にはしっくりとこなかったのです。

僕はもともとディレッタントで、高校や大学の時代は、理科系でしたけれど、小説ばかり読んで暮らしていたような気がします。その当時は職も少なかったから、大学を出て商売替えをする勇気がなくて、おとなしく、まともな科学者の生活をしていたのですが、芸術にはずっと興味がありました。自分では、楽器もやらないし、絵を描くこともしないけれど、それをエンジョイすることは好きでした。だから科学者としては、二流、三流というところです。で、この本を書いたことで、ようやく自分の存在意義を自分で認めることができたように感じています。

科学には何か大事なものが足りないはずだと思っても、まわりにはそれを受け止めてくれるような人はいませんでした。ちょうど分子生物学がどんどん伸びているころだから、それに疑いをもつ人など誰もいやしないし、自分自身も感心して尻馬に乗っていました。分子生物学は発展するにつれて、テクノロジー化して、科学全体も技術化していった。ずっと昔ですけれど、アンドレ・ルヴォフという、フランスのパスツール研究所にいた、ノーベル賞をとった微生物学者が、自身がノーベル賞をもらいながら、「このごろノーベル賞というのは、思想に与えられるのではなく、分子に与えられるようだ」と皮肉をいったくらいで、そういう科学全体の傾向が疑問でしたね。

でもだからといって、どうしようということはなく、そういう生物学のテクノロジー化を批判するようなエッセイをいくつか書いたことはあるけれど、それ以上のことはありませんでした。

高野 でもそれは、先生が現役でいらっしゃったころには、そういう批判をしようものなら、へたをしたら生物学者としての職を失いかねないとか、そういう時代だったのですよね。

川出 そう。それで大学を退職する少し前あたりから、免疫系のはたらきが、言語系と似てるような感じがして、言語学の勉強をしているうちに、生物記号論と出会ったんです。非常にラッキーでしたね。