中村 それで私が次に言ったのは、ゲノムが「レシピ」のようなものであるということ。お料理のレシピ、または演劇の台本。「いちおうこうなります」と。台本はあっても、それを実際に上演する際の役者によって、ちょっと調子がちがったり、どこかにアドリブが入ったりね。じゃあシェイクスピアの「リア王」は、役者がアドリブを入れたらその劇じゃなくなるのかといったら、まあリア王の場合は、アドリブ入れちゃいけないのかもしれないけれど、基本的にはそうではなくて、その時の観客とのかかわりで、ちょっと違うセリフが入ったって、その劇は劇でしょう。お料理のレシピ、カレーライスはできるけど、その時によって、ちょっと辛かったり甘かったりするでしょう。だから、カエルならカエルになるという基本は決まっているけれど、その時の様子によって変わっていく、ゲノムはそういう、台本やレシピのようなものかなと思っていたんです。まあいずれにせよ設計図ではない、もっとゆるいものだと思ってたんです。
ただ、ここで考えなくちゃいけないことは、ゲノムが「こうしなさい」と命令するか、という問題なの。実は、命令していないんです。ゲノムは、そこへタンパク質ならタンパク質がやってきて、「読みとっていく」のですよ。今、外からなにか病原菌が入ってきた。ここで戦わなくちゃいけない。そうなると、必要なものをつくるために、ゲノムのところへ取りにいくわけ、つくる情報を。ゲノムが「つくれ」と言うことはありません。タンパク質などが、ゲノムに情報を取りにいくわけ。だからゲノムは、ある意味では「アーカイブ」になるわけね。こちらからアクセスして取っていくものは、ゲノムに全部入っている。ゲノムから積極的に命令するものではないんですよ。
だから、細胞の中でゲノムがいる場所は図書館みたいなものね。そこにあるのはアーカイブ。これをつくるにはこれだけのものが必要ですよ、いつでも取りにいらっしゃい、となっていて、必要なときにみんなが取りにいく。今私は、ゲノムはそういう「アーカイブ」じゃないかと思っている。ゲノムから命令を出すのじゃないんです。
高野 なるほど、そうすると先生がこの本をお書きになったときとは、ずいぶん違ったゲノムの姿が見えてきた、ということですよね。
中村 今そう思っています。ゲノムから「どうやって取り出すか」ということが大事なので、そこに、その取り出し方に、ある種の構造があるかということなんですね。
このあいだ言語脳科学者の酒井邦嘉さんとお話しして、とっても面白いと思いました。チョムスキーの「生成文法」ですね。人間の言語は辞書の中にある限られた言葉を取り出して、それを組み合わせることによって、無限のものをつくりだすことができる。生きものも、遺伝子の様々な組み合わせがあって、取り出してはつくられるということは同じなわけですね。
そのつくられ方は、「再帰性」を基本にしていますよね。酒井さんがよく例に言う、「チーズを、食べちゃった、ネズミを、追っかけてる、ネコが、入った、家にいた、ジャックが・・・」というふうに、「ジャック」にたいしていくらでも説明をつなげることができる。そういう構造を「再帰性」というのですけれど、この再帰性は、生きものがゲノムを読み解いていくときの構造でもあるのだろうと思っています。それはまだ論文に書けるものではありませんけれど。再帰的な構造をもっているのだろうという感じはします。そこで「生命誌」を読んで、実例をどんどん探していかなきゃいけない。再帰性というのは生物のいろんな反応のなかに常に見られることなので、それは整理していけばそうなるだろうと思っています。