2011-12-31
ビールとの相性抜群。
「アサリの入ったカレー鍋」
カレー鍋は、日本酒に合わないと決めつけて、敬遠していたのだけれど、実際のところどうだかは、食べてみなければ分からない話だ。ご飯を添えて食べるカレーライスが、日本酒に合わないことは言うまでもないけれど、カレー鍋はまたそれとはまったく別だから、だいじょうぶかもしれない。
カレー鍋といっても色々あるわけで、何といっても、洋風か和風かの選択がある。ニンニクやローリエを入れて煮込む洋風にしてしまえば、やはりワインがないとイマイチ、ということになる可能性は高いが、カレーうどんというものもあることだし、和風にしてしまえば、日本酒がまったく合わないということはなさそうだ。
和風というと、きちんとだしを取れば、おいしくなるに決まっているけれど、家で作るのならば、できればだしを使わずに、簡単にできるのがいい。さらにもちろん、ほんだしなどの化学調味料も、できれば使いたくないところだ。そこで入れる材料を工夫して、だしを使わなくても、おいしくカレー鍋が作れるやり方を、試してみることにした。
だしを使わないといっても、だしが出るものをなにか入れないといけないのは、言うまでもないことだ。そこで豚バラ肉。200グラム。豚バラ肉は、不思議なことに、肉屋で買うと、スーパーより断然安く、日本産のおいしいのが買える。これに塩コショウをして炒める。炒めるときに塩コショウをしないと、煮込んでしまう場合は、肉に味が付かなくなってしまうからダメだ。平らなパッドにでも置いてやってもいいが、直接鍋に入れて塩コショウしてしまう。並べたら1位列じゃすまなかったので、まず1列肉を並べて、塩コショウし、さらにもう1列肉を並べて、また塩コショウした。
豚肉を中火で炒め、ひと通り色が変わったら、今度は玉ねぎを、うす切りしたのを炒める。これも色が透きとおる程度に、わりとていねいに炒める。玉ねぎはていねいに炒めたほうが、だしの味がうまくなる。
ここにS&Bカレー粉を、ドバっと入れる。そしてさらにていねいに炒める。カレー粉も、ちゃんと火を通したほうが、辛さが引き立つものだ。
カレー粉をひと通り炒めたら、水を入れる。600ccくらいとか。それからだし昆布。だし昆布でとりあえず、最低限のだしを出してもらう。肉のだしと昆布のだしは、動物と植物で、相性がいい。あとは日本酒。鬼ころしなどの安いやつ。これはスーパーで、2リットルの酒パックが500円ほどで売っているから、料理酒と比べてもそれほど高いこともない。こないだ行ったおでん屋も、やはり料理に使う酒は、鬼ころしを使っていた。日本酒は、1カップくらい、たっぷり入れる。だしを取らない場合、日本酒をたっぷり入れると、いいうまみを出してくれる。さらに日本酒は、肉の臭みも取ってくれるから、言うことない。
味付けは、あまり早い段階でやってしまうと、狂う場合があるから、先にキャベツを入れる。しかしこれは、やってみてわかったのは、キャベツより白菜のほうがうまかったのじゃないかと思う。このレシピでカレー鍋を作る場合は、ぜひ白菜でやってもらいたい。
10分ほど煮込んで、肉からも野菜からも、味がしみ出してきたところで、味をみる。その上で、まず醤油。これは入れすぎないことが肝心だ。味付けは、あとになるほど、汁が煮詰まって濃くなったりしがちだから、ちょっと足りないくらいで留めておいて、もし足りなければ、最後に醤油でも塩でも足せばいい。
それからトマトピューレー。これはケチャップでも可。ケチャップを入れる場合は、言うまでもないが、醤油を少なめにしておく。やはりカレーは、ちょっと酸味がないと寂しい。生のトマトなどを入れてしまうというのも、悪くないのじゃないかと思う。
今回、考えてみたら、甘みをまったく入れなかったが、もしかしたら少し、みりんを入れたほうが良かったのかも。
それから、ショウガなどをすりおろしたのを、入れてもよかったかも。
さらに実は、ここで痛恨の失敗をしたのだ。せっかく買ってあった、豆腐屋のおいしい油揚げを、ここで入れるのを忘れた。あとからアサリを入れたから、煮直すわけにもいかず、泣く泣くあきらめたが、油揚げを入れれば、絶対にまちがいなく、100倍はうまかった。このレシピを見てカレー鍋をつくろうと思う人は、ぜひ油揚げだけは、忘れずに入れてほしい。
さらに10分か15分くらい煮て、キャベツがくたくたに柔らかくなったら、しめじ。
そしてよく洗ったアサリ。スーパーで、水の入ったパックに入っているアサリを買うのなら、砂出しは別にしなくてもいい。砂出しが必要だったら、海水くらいの濃さの塩水に、アサリを1時間ほどひたしておく。
あさりの口がひらけば出来あがり。青ネギをふって食べる。
このカレー鍋は、レシピを見てのとおり、だしは取らなかったのだけれど、うま味にはまったく不足がない。豚肉やら玉ねぎやら、それにキャベツにアサリだから、それで十分なのだ。甘みだの、ショウガだのがあったらいいような気は、食べながらしたから、それは次回の課題ということにさせてもらう。
どう考えても、このカレー鍋にはビールが合いそうな感じがしたから、まずはビールを飲んでみた。抜群の相性。このカレー鍋は、ビールのためにあると言っても過言ではない。ビールが好きな人には、まさにおすすめだ。
このあと、日本酒に切り替えてみたが、決して悪くない。最高の相性とまでは言えないが、十分ありだと思う。
あとこのカレー鍋は、これも言うまでもないかもしれないが、まちがいなく、うどんが最高に合う。はじめからうどんを入れてしまい、うどんすき風にするのも悪くないだろうし、残り汁をうどんでしめるのもいい。
2011-12-30
京都の正月料理を買い出し
京都には、京野菜をはじめとして、独特な食べ物が様々にあるという話は聞くが、普段それほどお目にかかるわけでもない。錦市場へでも行けば、年中いろいろあるのかもしれないが、家の近くの三条会商店街では、豆腐屋に湯葉やひろうずがあったり、漬物屋で京都の漬物を売っていたりする程度だ。
しかし正月ともなれば、話は変わってくる。京都でも普通の人が、京都独特の食品を食べるのは、年に1回のことなのだろう。まさに魚屋でも、八百屋でも、見たことがないもののオンパレードだ。
せっかく京都に住んでいるのだから、一度ぐらいは京都ならではの正月料理を、いくつかは作ってみようと考え、昨日は大々的に買い出しへ行ってきた。これまでは、正月は雑煮を作るだけで、おせち料理はどこかから買うと決めていたのだが、それではもったいない話だ。
まずは絶対に作ってみようと、ずいぶん前から決めていたのは、「芋棒」だ。棒ダラと海老芋をいっしょに煮込んだもので、これは実は、檀一雄の著書に登場する。
檀一雄は東京大学時代、九州柳川の実家へ帰省の折に、かならず京都で途中下車をし、祇園や島原に意味もなく一泊していたのだそうだ。そういう際、円山公園で芋棒を食べたという話が出てくるのだが、棒ダラも海老芋も見たことがなかったので、どんな味がするものなのか、さっぱりわからなかった。
棒ダラは何も京都でだけ食べられていたわけではなく、檀一雄の幼少時代、おばあさんが週に1~2度は、棒ダラを冬瓜やらジャガイモやら玉ネギやらといっしょに煮て、食べさせてくれていたそうだ。それが今では、京都以外では、あまり食べることがなくなってしまったものらしい。
棒ダラは、タラを天日でカチンコチンに干し上げたもので、食べるにはそれを、1週間かけて、水でもどしてから使う。上の写真は、魚屋がすでに水でもどしてくれたもので、それがパックに入れられたものが、一つ900円で売っている。京都でも、ふつうの魚屋でこうやって棒ダラが出てくるのは、正月の時だけだ。
海老芋も、京野菜のひとつで、茶色と白の縞模様で、ちょっととがって曲がった形をしていて、まさに見た目は、海老そっくりだ。写真にあるのは、その親株である頭芋。海老芋と形は違うが、味はいっしょだとのこと。海老芋より値段がだいぶ安いから、芋棒にはこの親芋を小さく刻んで使うことにした。
それからやはり、京都へ来たら、京都風の雑煮を食べてみないといけないだろう。八百屋で雑煮の作り方を、根掘り葉掘り聞いてみると、だしはまず、昆布にかつお節で、それに白味噌だけ溶かして味付けする。材料は、鶏肉など入れずに、野菜だけ。
その野菜も、まず先ほどの頭芋。これは小さく刻まず、丸ごとどんと入れるのだそうだ。そうすると当然、餅が入る場所がなくなるが、京都では、まずホクホクの頭芋を食べ、その後、焼くか茹でるかした餅を、雑煮に入れるとのこと。焼くのと茹でるのでは、京都では半々だろうと言っていた。ただ雑煮の汁で煮てしまうことは、ないとのこと。
入れる野菜は、あとは里芋、これは京都では、「小芋」という。それから上の写真の「祝大根」。これを皮をむき、透けるくらい細く、小口に丸く切って入れる。祝大根はお金の意味があり、縁起を担いでいるのだそうだ。
京都といえば、金時人参が有名だが、これは彩りで入れる人もいるが、べつに入れなくてもいい。あくまで京都の雑煮に欠かせないのは、頭芋と小芋と、祝大根だけだそうだ。
以上は八百屋のお兄ちゃんに聞いたのだが、やけに詳しいと思ったら、京都では三賀日は、ご主人が家事を全部やるのが伝統なのだそうだ。だから八百屋のお兄ちゃんも、毎年雑煮を作っているわけだ。
あとは八百屋を見ていたら、「堀川ゴボウ」という、見たことがないものが売っていたから、何だと聞いてみたら、やはり京野菜のひとつで、3センチほどのぶつ切りにして、こってり煮付けるとおいしいとのこと。もっと太いものは、中を繰り抜いて豚やら鶏やらのひき肉を詰めるそうだが、この堀川ゴボウは、このあたりの地のもので、ちょっと細めだから、それはせず、ただゴボウだけを煮付けるのがいいとのことだった。
堀川ゴボウの話を聞いていたら、八百屋の親父さんのほうが出てきて、堀川ゴボウの話を詳しくしてくれた。なんでも豊臣秀吉の邸宅であった聚楽第が、豊臣秀吉の死後、荒れ果てるままになり、京都の人は、そこへゴミを捨てていた。するとそこに捨てられたゴボウが、年を越すことで大きく太く、育ったのだそうだ。それ以来、京都では、ゴボウを年を越して育てるようになったという。
堀川ゴボウは、普通なら、一度引き抜いたゴボウを、改めて斜めに植えて育てるが、八百屋の親父さんによれば、それでは茎が斜めに出てしまうことになるから、あまりよろしくない。このあたりの堀川ゴボウは、きちんとまっすぐ植えるから、そんじゅそこらの堀川ゴボウとは、また一段と違うのだそうだ。
そんな話を聞いたあと、堀川ゴボウを買うことにしたら、ほんとうは400~500円するものを、親父さん、200円に負けてくれた。若奥さんは、
「話を聞いてもらって、うれしかったのね」
と言っていた。
あとは、角煮大根を作るための豚バラブロック肉やら、魚屋で売っていた出来合いのおせちやらをいくつか買った。今日から少しやり始めているが、基本的には、明日全部やる予定。
ただ肝心の餅を買うのを忘れ、今日もまだ買っていないから、明日買わないといけないことになっている。
昨日の晩飯は、おとといの粕汁がまだ残っていたから、それを食べるのと、あとは油揚げを焼いた。
油揚げの焼いたのは、内田百間の随筆に出てくるもので、百見はこれが、大の好物だった。子供の頃、貧乏な家の子供が友達で、その友達が家で油揚げの焼いたのを食べているのを見て、自分も家で作ってもらったら、これが大変うまい。それ以来大人になってからも、しばしば食べるようになった。
こんがりと焼いた油揚げを、皿にのせるや否や、すぐに醤油をかけると、「ぱりぱりと跳ねる」そうなのだが、昨日は焼き加減が足りなかったのか、ちっとも跳ねなかったのが残念だった。
百間は、成人した後貧乏した頃、友達が家に尋ねてくると、こればかり食べさせたそうだ。友達もその時は、「うまいうまい」と食べるのだが、ほんとうにうまいのだと思い、そのあと貧乏が治ってからも、友達に食べさせていたら、友達が別の知人に、
「あいつはお世辞でうまいと言ったこともわからずに、行けば油揚げを焼いたのばかり食べさせるから閉口する」
とぼやいたのだそうだ。
紅鮭の粕汁は、おとといの出来たてより、昨日の一晩おいたものの方が、断然うまかった。魚を煮たのは、だいたい翌日になると、前日より味が落ちるものだが、粕汁の場合はどういうわけなのか、ちがうらしい。酒粕によって、なにか熟成するようなことがあるのだろう。クリームスープかと思うような、濃厚な味わいだった。
2011-12-29
京都式に作る。
「紅鮭の粕汁」
晩めしの献立を、いちおうは家で考えてみるのだが、なかなか思いつかないことも少なくない。自分が食べたいものを思い浮かべようとしたり、料理本をパラパラ眺めたりしてもダメなときは、思い切って店へ行ってしまう。そうすると、食べたいものがそれなりに見つかるから不思議だ。
ただ昨日は、晩めしに食いたいものは、きちんと見つかったのだけれど、昼めしに食べるものを、どうも思いつくことが出来なかった。もしや自分は、たいして昼めしを食べたくないのではと思い至り、昨日は昼めしを食べずに過ごしてみた。
もちろん何も食べないでは、血糖値が下がって朦朧としてしまうから、チョコやお煎餅を時々かじる。そうすると、意外に夜まで、問題なく過ごし、仕事をすることもできた。
今まで昼めしを食べないといけないと信じていた理由は、手がかじかんでしまうことだ。朝から晩まで、キーボードを打ち続ける仕事をしているから、手がかじかむと仕事にならない。めしを食い、体内で食べ物を燃焼させるからこそ、手がかじかまないと思っていたのだけれど、原因はそんなところにあるのではなかった。
今まで冬でも、のどが渇くと麦茶を飲んでいたのだけれど、最近それをやめ、番茶を煎れて飲むようにしはじめた。小さなヤカンに湯を沸かし、そこに番茶の葉っぱを入れて、机においておく。のどが渇いたら、それを飲むようにする。
すると、めしを食わなくても、まったく手がかじかまない。あたたかいものを飲むことも、理由の一つかもしれないけれど、たぶん麦茶が、身体を冷やすのじゃないかと思う。麦茶は夏はいいが、冬に飲むのは良くないということだ。
腹が減っていること自体は、それほど嫌いではない。食事をするのは、それなりに面倒くさいし、食べ終わると眠くなる。たいして食べたくないものを食べてしまうくらいだったら、食べずに我慢していたほうが、晩めしがうまい。さらに晩めしでも、できるだけすぐに腹をいっぱいにしてしまわないよう、チビチビ酒をのみ、肴をつまむようにすれば、これが最も晩めしをたのしむ方法だということになる。
さて昨日魚屋へ行って、鯛のアラでも買って、鯛チリにしようと手を伸ばした瞬間、大将が
「これあるよ」
と、紅鮭のアラを持ってきてくれた。一匹分の頭とカマの部分に、さらに切り身の部分もつけてあるのが450円。迷わずそれを買うことにした。魚屋や、スーパーでも同じだが、いいものを買おうと思ったら、早い時間に行かないといけない。紅鮭のアラなど、一日にいくつも出るわけではないから、夕方などに行ってしまうと、もう売り切れてしまって残っていない。
紅鮭を買ったら、「これで粕汁を作ったらいい」と、魚屋のおばちゃんが教えてくれた。
「粕汁は、よく豚肉で作るという人がいるけれど、なんといっても紅鮭がおいしいんですよ」
と、美人の若女将もうれしそうに言う。
入れるものを聞いたら、大根とニンジンを短冊に切ったのと、あとは油揚げ、それにセリを刻んだのをかけるのが本当だが、青ネギを小口に切ったのをかけておけばいいとのこと。ゴボウやらコンニャクやら、余分なもの入れないのが京都流らしい。これは魚屋のおばちゃんだけでなく、油揚げを買いに行った、豆腐屋のおばちゃんも、まったく同じことを言っていたからまちがいない。
紅鮭のアラは、まず湯通しする。わざわざ湯を沸かさなくても、給湯器のお湯の温度が、80~90度もあれば、それを使うので十分だ。器にアラを入れ、湯を入れてちょっと揺すると、アクがたくさん出てくるから、それを捨て、あとはていねいに水洗いして、血のかたまりや表面のぬめりなどを落とすようにする。アラを使うときには、この手間だけは省いてはいけない。
だしは昆布だけで取ることにした。紅鮭の切り身を使うのなら、さらに煮干しや削り節のだしを使ったほうがいいと思うが、アラならたっぷりだしが出るから必要ない。
水にひたした昆布とアラとを火にかけて、沸騰したら昆布は取り出し、アクを取りながら15分ほど煮る。
それと同時に、細かくちぎった酒粕を器に入れ、そこに鍋のだしをすこし入れ、酒粕を溶かしておくようにする。
15分煮た鍋に酒粕を入れ、短冊に切った大根とニンジン、それに油揚げを入れる。野菜が煮えるまで、10分程度煮る。
最後に味をみて、味が足りなければ、うすくち醤油を足す。ただ紅鮭には塩があるから、汁は甘すぎるくらいで、食べるときには丁度よい。
青ネギを振っていただく。酒粕で身体があたたまり、冬にはうってつけの一品。酒粕には、さらに不思議なことに、酒で疲れた肝臓を、回復させる効果もあるそうだ。
あとはスグキ。三条会商店街に露店を出すスグキのおばちゃんが、今年も今週から、漬かったスグキを売りはじめた。
おばちゃんは、店で買うより半額から3分の1程度の値段でスグキを売るから、いつも行列ができている。京都へ来てスグキを買うなら、ここはおすすめだ。大宮通三条の角の公園の前に、いつもいる。ただしスグキのシーズン中のみ。春までかな。
ちなみにスグキも、肝臓にいいそうだ。実際スグキをあてに酒をのむと、あまりに酔い加減がいいので、ついのみ過ぎてしまう。
2011-12-28
「読んで楽しい料理本」
独断ランキング
このブログでは、料理本、料理エッセイをいろいろ取り上げてきていますが、これまで紹介していないものも含め、「読んで楽しい料理本」を、改めてまとめてみました。
順位もつけてみましたが、これは高野の独断と偏見により決められています。
第1位 「檀流クッキング」(檀一雄)
不動の1位。和食から中華、韓国、スペイン、ロシアなど、各国の料理を網羅。この1冊で、料理の基本がマスターできるのみならず、「料理の楽しさ」を実感できる。レシピを参考にするのもよし、ただ読んでみるのもよし。まさに座右の書となりうる一冊。実際にレシピ通りに作ってみると、檀一雄の人間性に、より肉迫できるのが魅力。分量などが細かく書いていないのもいい。
第2位 「食卓の情景」(池波正太郎)
池波正太郎は、それほど自分で料理をするわけではないが、池波の「食」についての考え方や感じ方が、風情があって非常にいい。10代のころ株屋で働き、相場で儲けていたため、感性の豊かな時期に遊びたおした池波は、「日本人の食」について確固たる考え方をもっている。古風ともいえるその考え方は、現代においては貴重。文章の、流れるようなリズム感が、またいい。
第3位 「向田邦子の手料理」(向田和子監修)
脚本家向田邦子の死後、妹さんの向田和子がまとめたもの。向田邦子も、毎日自分が食べるものについて、こだわり続けた人で、料理について様々なチャレンジをしている。一見それほど特別に思えないレシピも、実際にその通り作ってみると、脚本家らしい向田邦子のセンスが感じられるのが楽しい。「おきゃんな女性」向田邦子の、人間性に触れられる一冊。
第4位 「そうざい料理帖」(池波正太郎)
池波正太郎が書いたエッセイの中から、料理について書いたものだけを抜粋し、編集したもの。イラストに簡単なレシピも載っているから、自分で作って見ることで、池波正太郎の世界を体験できるのが魅力。
第5位 「わが百味真髄」(檀一雄)
「檀流クッキング」が「サンケイ新聞」に連載され、主婦向けに書かれたものであるのにたいし、こちらは初め「週刊現代」に連載され、男性読者を想定している。細かいレシピはそれほど多くないが、日本および世界の津々浦々の様々な料理を、軽妙な筆致で紹介している。
第6位 「御馳走帖」(内田百けん)
夏目漱石の弟子内田百けんが、「食」について書いたエッセイ。百けん自身は料理はしないが、食にたいして独自のこだわりがあり、それを「いじましい」とも感じられる書き方をしているのが微笑ましい。明治から昭和初期の食文化、生活風俗が感じられるのもいい。
第7位 「美味放浪記」(檀一雄)
日本および世界の料理を、土地ごとに紹介している。もともと旅行雑誌に連載されたものだから、旅のガイドブック的趣きがある。
第8位 「そうざい料理帖 巻二」(池波正太郎)
「そうざい料理帖」の続編で、読者が自分で作れる料理が少ないのが難点だが、端々に池波が家で食べてきた料理について書かれているのがいい。
第9位 「うまい!海軍めし」(海軍めし愛好会)
戦前・戦中の、男ばかりの世界である海軍で、どのような物が食べられていたのか垣間見ることができるのが魅力。家で自分で料理できるよう、詳しいレシピも載せられている。
第10位 「ごちそうちゃんこ」(中山暢子)
男ばかりの世界である、相撲部屋のちゃんこ料理を紹介。鍋料理が多いが、一品料理も多数掲載。詳しいレシピ付き。
番外1 「魯山人味道」(北大路魯山人)
伝説の料理人で陶芸家、魯山人のエッセイ。日本料理についてのうんちくは、大変参考になるが、ちょっと攻撃的で暗いのが難。
番外2 「食は広州に在り」(邱永漢)
作家であり、多数の会社の経営者でもあった、邱永漢の食についてのエッセイ。レシピも一部載っているが、邱永漢自身は、それほど料理したわけでもないらしい。何かというと中国料理の自慢話になるのが難。
番外3 「男のだいどこ」(荻昌弘)
映画評論家荻昌弘の、食に関するエッセイ。荻は休日になると、料理に腕を振るったようだが、すこしマニアックなところが難。
順位もつけてみましたが、これは高野の独断と偏見により決められています。
第1位 「檀流クッキング」(檀一雄)
不動の1位。和食から中華、韓国、スペイン、ロシアなど、各国の料理を網羅。この1冊で、料理の基本がマスターできるのみならず、「料理の楽しさ」を実感できる。レシピを参考にするのもよし、ただ読んでみるのもよし。まさに座右の書となりうる一冊。実際にレシピ通りに作ってみると、檀一雄の人間性に、より肉迫できるのが魅力。分量などが細かく書いていないのもいい。
第2位 「食卓の情景」(池波正太郎)
池波正太郎は、それほど自分で料理をするわけではないが、池波の「食」についての考え方や感じ方が、風情があって非常にいい。10代のころ株屋で働き、相場で儲けていたため、感性の豊かな時期に遊びたおした池波は、「日本人の食」について確固たる考え方をもっている。古風ともいえるその考え方は、現代においては貴重。文章の、流れるようなリズム感が、またいい。
第3位 「向田邦子の手料理」(向田和子監修)
脚本家向田邦子の死後、妹さんの向田和子がまとめたもの。向田邦子も、毎日自分が食べるものについて、こだわり続けた人で、料理について様々なチャレンジをしている。一見それほど特別に思えないレシピも、実際にその通り作ってみると、脚本家らしい向田邦子のセンスが感じられるのが楽しい。「おきゃんな女性」向田邦子の、人間性に触れられる一冊。
第4位 「そうざい料理帖」(池波正太郎)
池波正太郎が書いたエッセイの中から、料理について書いたものだけを抜粋し、編集したもの。イラストに簡単なレシピも載っているから、自分で作って見ることで、池波正太郎の世界を体験できるのが魅力。
第5位 「わが百味真髄」(檀一雄)
「檀流クッキング」が「サンケイ新聞」に連載され、主婦向けに書かれたものであるのにたいし、こちらは初め「週刊現代」に連載され、男性読者を想定している。細かいレシピはそれほど多くないが、日本および世界の津々浦々の様々な料理を、軽妙な筆致で紹介している。
第6位 「御馳走帖」(内田百けん)
夏目漱石の弟子内田百けんが、「食」について書いたエッセイ。百けん自身は料理はしないが、食にたいして独自のこだわりがあり、それを「いじましい」とも感じられる書き方をしているのが微笑ましい。明治から昭和初期の食文化、生活風俗が感じられるのもいい。
第7位 「美味放浪記」(檀一雄)
日本および世界の料理を、土地ごとに紹介している。もともと旅行雑誌に連載されたものだから、旅のガイドブック的趣きがある。
第8位 「そうざい料理帖 巻二」(池波正太郎)
「そうざい料理帖」の続編で、読者が自分で作れる料理が少ないのが難点だが、端々に池波が家で食べてきた料理について書かれているのがいい。
第9位 「うまい!海軍めし」(海軍めし愛好会)
戦前・戦中の、男ばかりの世界である海軍で、どのような物が食べられていたのか垣間見ることができるのが魅力。家で自分で料理できるよう、詳しいレシピも載せられている。
第10位 「ごちそうちゃんこ」(中山暢子)
男ばかりの世界である、相撲部屋のちゃんこ料理を紹介。鍋料理が多いが、一品料理も多数掲載。詳しいレシピ付き。
番外1 「魯山人味道」(北大路魯山人)
伝説の料理人で陶芸家、魯山人のエッセイ。日本料理についてのうんちくは、大変参考になるが、ちょっと攻撃的で暗いのが難。
番外2 「食は広州に在り」(邱永漢)
作家であり、多数の会社の経営者でもあった、邱永漢の食についてのエッセイ。レシピも一部載っているが、邱永漢自身は、それほど料理したわけでもないらしい。何かというと中国料理の自慢話になるのが難。
番外3 「男のだいどこ」(荻昌弘)
映画評論家荻昌弘の、食に関するエッセイ。荻は休日になると、料理に腕を振るったようだが、すこしマニアックなところが難。
2011-12-27
濃厚なハマグリの出汁は、二日酔いにもいい。
「ハマグリの粥」
縄文時代の貝塚から出土する貝殻は、ハマグリなのだそうだ。ハマグリは河口付近の浅瀬に生息するから、特別な仕掛けなどもたない縄文人でも、海へ行って拾うことができたのだろう。それ以来、ハマグリは「日本を代表する貝」といわれながら、水質汚染の影響をうけやすいため、日本ではもうほとんど、絶滅の危機に瀕しているそうだ。
1年のハマグリの漁獲量が、日本では数百トン程度しかないところ、中国産のハマグリは、その100倍、数万トンがあるそうだ。日本のハマグリは、中国産とはすこし種類がちがうようだが、もう庶民の口に入ることは、ないといってもいいのだろう。
昼飯になにを食べようかと、魚屋をのぞいてみたら、箱に詰められたハマグリが、安い値段で、山ほど出ていた。もちろん中国産だろうけれども、べつに中国産がまずいわけではないから、問題はない。
ハマグリは、なんといっても、出汁がうまい。アサリやシジミも、それぞれうまい出汁をだしてくれるが、ハマグリの濃厚で、品のある出汁にはかなわない。ハマグリの出汁に匹敵するのは、あとは鯛くらいのものなのじゃないか。
昼飯には、昨日の酒で二日酔いだったこともあり、ハマグリの粥にすることにした。ハマグリの出汁は、詳しいことは分からぬが、アルコール漬けの身体に、何かいい作用をしてくれるような感じがする。
魚屋で、いちおう砂出しはしておいてくれているとのことだったが、念のため家でも、1時間ほど、塩水につけておく。塩水の濃さは、よく100ccの水に対して、塩3グラムと書いてある。この3グラムの塩が、スプーンでいうとどのくらいだか、さっぱり分からないのだが、3%の塩水というのは、要は海水とおなじくらいの濃度という意味だ。だから塩を水に適当に溶かしてみて、それを味見して、むかし海水浴で、海の水を飲み込んでしまった時のことを思い出し、それとおなじくらいの塩辛さに調整するようにする。ハマグリ君たちは、自分がいつも住んでいる場所と、おなじような状態になるものだから、安心してくつろいで、砂を吐き出すことになるわけだ。
貝を砂出しするときは、フタをして暗くしておくと、やつらはさらに安心して、砂を吐き出すようになる。フタをいきなり開けると、アサリなどの場合には、ずいぶんと長く伸ばした口の部分を、驚いてさっと引っ込めたりする。アサリによって、敏感と鈍感なやつがいるみたいで、フタを開けただけで、さっと口を引っ込めるやつもいるかと思えば、そのままのやつもいる。少しゆすぶったりしても、まだそのまま口を伸ばしたままの、ボケたやつも中にはいるところが、人間を見るようでおかしい。
しかしハマグリは、あまり口を伸ばしたりはしないみたいだ。ハマグリの砂出しをしても、砂は吐き出すのだけれど、口を伸ばしているのを見たことがない。
砂出しが終わったら、貝殻をこすり合わせるようにしてよく洗う。貝の表面に付いているヌメリを、ていねいに取るようにする。
粥は、生米から炊く。よく洗った生米を、5~6杯量の水にひたしておく。その時昆布をいっしょに入れておく。昆布は30分から1時間程度も、水にひたしておけば、もうそれで出汁はでているから、火にかける前にとり出してしまう。
今回ハマグリといっしょに粥に入れることにしたのは、大根。貝の出汁は、魚や肉の出汁にくらべると、ずいぶん淡いから、クセのある味の野菜を入れてしまうと、まったく台無しになってしまう。長ネギやしめじなどでも、味が強すぎるのじゃないかと思う。
大根は、すぐ火が通るように、細めに切っておく。
昆布をとり出した鍋に、大根とハマグリを入れ、火にかける。すぐにアクが出てくるから、これはていねいにとり除く。
そのうち貝が開いてくるから、開いたらすぐ、救出し、皿にでも入れておく。日本産のハマグリはだいじょうぶらしいが、中国産のハマグリは、煮るとあっという間に、小さく縮んでしまう。
ハマグリは、今回は見た目が豪華に見えるから、もどすとき、貝殻はそのままにしたけれど、食べやすさを優先するなら、むき身にしてしまったほうがいい。
ハマグリは、中国産だからかどうかしらないが、死んでいるやつが多い。煮ても貝がひらかないのは、死んでいる証拠だから、それは使わない。ただハマグリの場合、ずいぶんたってから、ようやく口を開けるやつもいるから、なかなか口が開かなくても、ある程度はちゃんと煮てみるようにする。
味付けは、まずは日本酒。日本酒は、塩分が入っている安い料理酒じゃなく、かならず塩分の入っていない、ふつうの日本酒を使う。鬼ごろしとかの、安いやつでいい。これを、ドバドバ入れるのではなく、ちょっと控えめに入れる。酒もあまり入れすぎると、ハマグリの出汁の味を殺してしまうことになる。
それから塩。塩もくれぐれも、入れすぎないのが肝心だ。料理は何でもそうだが、塩を入れすぎると、取り返しがつかない。はじめは「足りないかな」というくらいにしておいて、最後にもう一度味見をし、味を決めるようにする。
とくにハマグリなど貝の場合、貝自体に塩気があるから、まずなにも入れずに味見してみて、それから塩を入れるようにする。
あとはうすくち醤油。これもハマグリの出汁の味を殺してしまわないように、ほんの風味づけ程度、少なめに入れるようにする。
あとは15分ほど煮て、米と水気の加減が好みの具合になってきたところで、ハマグリをもどし、器に盛って、三つ葉をふる。
ハマグリの出汁は、なんともうまい。