2011-12-30

京都の正月料理を買い出し


京都には、京野菜をはじめとして、独特な食べ物が様々にあるという話は聞くが、普段それほどお目にかかるわけでもない。錦市場へでも行けば、年中いろいろあるのかもしれないが、家の近くの三条会商店街では、豆腐屋に湯葉やひろうずがあったり、漬物屋で京都の漬物を売っていたりする程度だ。

しかし正月ともなれば、話は変わってくる。京都でも普通の人が、京都独特の食品を食べるのは、年に1回のことなのだろう。まさに魚屋でも、八百屋でも、見たことがないもののオンパレードだ。

せっかく京都に住んでいるのだから、一度ぐらいは京都ならではの正月料理を、いくつかは作ってみようと考え、昨日は大々的に買い出しへ行ってきた。これまでは、正月は雑煮を作るだけで、おせち料理はどこかから買うと決めていたのだが、それではもったいない話だ。




まずは絶対に作ってみようと、ずいぶん前から決めていたのは、「芋棒」だ。棒ダラと海老芋をいっしょに煮込んだもので、これは実は、檀一雄の著書に登場する。

檀一雄は東京大学時代、九州柳川の実家へ帰省の折に、かならず京都で途中下車をし、祇園や島原に意味もなく一泊していたのだそうだ。そういう際、円山公園で芋棒を食べたという話が出てくるのだが、棒ダラも海老芋も見たことがなかったので、どんな味がするものなのか、さっぱりわからなかった。

棒ダラは何も京都でだけ食べられていたわけではなく、檀一雄の幼少時代、おばあさんが週に1~2度は、棒ダラを冬瓜やらジャガイモやら玉ネギやらといっしょに煮て、食べさせてくれていたそうだ。それが今では、京都以外では、あまり食べることがなくなってしまったものらしい。

棒ダラは、タラを天日でカチンコチンに干し上げたもので、食べるにはそれを、1週間かけて、水でもどしてから使う。上の写真は、魚屋がすでに水でもどしてくれたもので、それがパックに入れられたものが、一つ900円で売っている。京都でも、ふつうの魚屋でこうやって棒ダラが出てくるのは、正月の時だけだ。




海老芋も、京野菜のひとつで、茶色と白の縞模様で、ちょっととがって曲がった形をしていて、まさに見た目は、海老そっくりだ。写真にあるのは、その親株である頭芋。海老芋と形は違うが、味はいっしょだとのこと。海老芋より値段がだいぶ安いから、芋棒にはこの親芋を小さく刻んで使うことにした。




それからやはり、京都へ来たら、京都風の雑煮を食べてみないといけないだろう。八百屋で雑煮の作り方を、根掘り葉掘り聞いてみると、だしはまず、昆布にかつお節で、それに白味噌だけ溶かして味付けする。材料は、鶏肉など入れずに、野菜だけ。

その野菜も、まず先ほどの頭芋。これは小さく刻まず、丸ごとどんと入れるのだそうだ。そうすると当然、餅が入る場所がなくなるが、京都では、まずホクホクの頭芋を食べ、その後、焼くか茹でるかした餅を、雑煮に入れるとのこと。焼くのと茹でるのでは、京都では半々だろうと言っていた。ただ雑煮の汁で煮てしまうことは、ないとのこと。

入れる野菜は、あとは里芋、これは京都では、「小芋」という。それから上の写真の「祝大根」。これを皮をむき、透けるくらい細く、小口に丸く切って入れる。祝大根はお金の意味があり、縁起を担いでいるのだそうだ。

京都といえば、金時人参が有名だが、これは彩りで入れる人もいるが、べつに入れなくてもいい。あくまで京都の雑煮に欠かせないのは、頭芋と小芋と、祝大根だけだそうだ。

以上は八百屋のお兄ちゃんに聞いたのだが、やけに詳しいと思ったら、京都では三賀日は、ご主人が家事を全部やるのが伝統なのだそうだ。だから八百屋のお兄ちゃんも、毎年雑煮を作っているわけだ。




あとは八百屋を見ていたら、「堀川ゴボウ」という、見たことがないものが売っていたから、何だと聞いてみたら、やはり京野菜のひとつで、3センチほどのぶつ切りにして、こってり煮付けるとおいしいとのこと。もっと太いものは、中を繰り抜いて豚やら鶏やらのひき肉を詰めるそうだが、この堀川ゴボウは、このあたりの地のもので、ちょっと細めだから、それはせず、ただゴボウだけを煮付けるのがいいとのことだった。

堀川ゴボウの話を聞いていたら、八百屋の親父さんのほうが出てきて、堀川ゴボウの話を詳しくしてくれた。なんでも豊臣秀吉の邸宅であった聚楽第が、豊臣秀吉の死後、荒れ果てるままになり、京都の人は、そこへゴミを捨てていた。するとそこに捨てられたゴボウが、年を越すことで大きく太く、育ったのだそうだ。それ以来、京都では、ゴボウを年を越して育てるようになったという。

堀川ゴボウは、普通なら、一度引き抜いたゴボウを、改めて斜めに植えて育てるが、八百屋の親父さんによれば、それでは茎が斜めに出てしまうことになるから、あまりよろしくない。このあたりの堀川ゴボウは、きちんとまっすぐ植えるから、そんじゅそこらの堀川ゴボウとは、また一段と違うのだそうだ。

そんな話を聞いたあと、堀川ゴボウを買うことにしたら、ほんとうは400~500円するものを、親父さん、200円に負けてくれた。若奥さんは、

「話を聞いてもらって、うれしかったのね」

と言っていた。




あとは、角煮大根を作るための豚バラブロック肉やら、魚屋で売っていた出来合いのおせちやらをいくつか買った。今日から少しやり始めているが、基本的には、明日全部やる予定。

ただ肝心の餅を買うのを忘れ、今日もまだ買っていないから、明日買わないといけないことになっている。




昨日の晩飯は、おとといの粕汁がまだ残っていたから、それを食べるのと、あとは油揚げを焼いた。

油揚げの焼いたのは、内田百間の随筆に出てくるもので、百見はこれが、大の好物だった。子供の頃、貧乏な家の子供が友達で、その友達が家で油揚げの焼いたのを食べているのを見て、自分も家で作ってもらったら、これが大変うまい。それ以来大人になってからも、しばしば食べるようになった。

こんがりと焼いた油揚げを、皿にのせるや否や、すぐに醤油をかけると、「ぱりぱりと跳ねる」そうなのだが、昨日は焼き加減が足りなかったのか、ちっとも跳ねなかったのが残念だった。

百間は、成人した後貧乏した頃、友達が家に尋ねてくると、こればかり食べさせたそうだ。友達もその時は、「うまいうまい」と食べるのだが、ほんとうにうまいのだと思い、そのあと貧乏が治ってからも、友達に食べさせていたら、友達が別の知人に、

「あいつはお世辞でうまいと言ったこともわからずに、行けば油揚げを焼いたのばかり食べさせるから閉口する」

とぼやいたのだそうだ。




紅鮭の粕汁は、おとといの出来たてより、昨日の一晩おいたものの方が、断然うまかった。魚を煮たのは、だいたい翌日になると、前日より味が落ちるものだが、粕汁の場合はどういうわけなのか、ちがうらしい。酒粕によって、なにか熟成するようなことがあるのだろう。クリームスープかと思うような、濃厚な味わいだった。