2010-11-30

嵐 山

今日は天気が良かったから、もみじを見に嵐山へ行ってきた。今まで詩仙堂とか、清水寺、南禅寺、東の方ばかりへ行っていたから、西へも行かないと片手落ちなのだ。僕は四条大宮に住んでいるから、嵐山へは嵐山電車で一本。なんと恵まれた環境にいるかってことだが、人生の中でこういう時があっても、べつにバチは当たらないのだ。

嵐山の駅から天龍寺。ここは春に桜を見に来た時、もみじもきれいそうだと思っていたのだ。池の周りのもみじもきれいだったが、

いちばんきれいだと思ったのは、竹林をバックにしたもみじ。朱と青という色合いもいいが、もみじの曲線的でごちゃごちゃしたさまと、青竹のすらっとまっすぐなところの取り合わせが、さすが洒落てますね、先輩、と言いたくなる。

もみじは地面に落ちても芸術的だから、大したやつだ。

額縁。これ本当は、上にあがればもっときれいに撮れるのだが、そのためにはさらに500円、取られるのだ。中は前に見たので、今回は省略。

天龍寺では精進料理を食べた。生まれて初めての精進料理、とてもとても感動したのだが、そのことはまた改めて。

竹林。嵐山は京都盆地の西の外れにあって、山あり谷ありの起伏のある自然が特徴なわけだが、このくらいの地形なら、日本全国津々浦々、どこへ行ってもあるだろう。でもここが違うのは、千年に渡って、風流に適うように手が入れられているのだな。だからただ田舎を歩くというのとは、訳が違うのだ。

亀山公園。

展望台からの眺め。ここはやはり、一つのスポットと言えるのじゃないすか。

川沿いを歩いて駅まで戻る。もみじを眺め、ごちそうを食べ、散歩して、なかなか満ち足りた午後のひと時でござった。


豚バラと豆苗の鍋


鍋というのは、何を入れて、どういう味付けにしようが、間違いなくおいしいという、なんとも凄いヤツなわけだ。それが何故なのかということについては、このブログでも去年から延々と、幾度にも渡って考察を行い、わかったと思ったら、わからなくなり、ということを繰り返していて、こんなに簡単な料理なのに、鍋というのはなんと奥の深いものであるのかと、僕も驚くばかりなのであるが、今これを書き始めて、このことについて改めて考えてみて、また一つ、新たな理論を発見した。

「鍋には出来上がりがない」のではないか。

そもそも鍋とは、いつ出来上がるものなのか。奥さんが台所で材料を切って皿に盛り合わせ、食卓に並べる。これはもちろん出来上がりではない。ご主人が材料を鍋に入れ、程よく煮えたところで「さあみんな、食べなさい」と言うとして、その時が出来上がりであると思いたくなるのだが、もし子供が「お父さん、大根まだ固い」と言ったとする。そうするとその答えは当然、「じゃあ大根はもう少ししたら食べようか」ということになって、さっきのは実は出来上がりじゃなかった、出来上がりはまだこの先にある、ということになるわけだ。

具を全部食べてしまっても、シメの雑炊があるから、鍋はまだ出来上がっていない。そうすると、雑炊が炊けて、ようやく鍋は出来上がることになるわけなのだが、その時にはすでに鍋の主要部分は終わってしまっているわけだ。

「うまい」とか「まずい」とかいう評価は、出来上がったものに対してされるものだろう。いつまでも出来上がらないものについては、評価は下せないのであって、そうすると、鍋を食べながら発せられる感想は、鍋に対する評価ではなく、自分の空腹が満たされることに対する、生理的な快感の表れなのであって、それが「うまい」ということばによって表現されていると。そういうことなのではないでしょうか。

と朝からまた下らないことに頭を使ってしまった。

そういう何をどうやってもうまい鍋だが、その中でも僕は、豚バラ肉の鍋が好きなのだ。これは単に僕が豚肉が好きだから、ということなのだが。

それで昨日は西友で、それほど安くはなかったのだが、国産豚バラ肉の切り落としを買って、それにいつも通り水菜を合わせようと思ったら、目に入ったのが豆苗なのだ。

水菜が198円するところ、豆苗は97円。これはいいと思って、水菜の代わりに入れてみることにした。

ほんとならいつもは、肉や魚は熱湯に通すのだが、もしかしたらそんなことしなくても、べつに問題ないのじゃないかと、喉元過ぎれば熱さ忘れるで、そのまま入れてみたら、やはりアクがたくさん出て、あとでアク取りが大変だった。皆さんやはり、豚肉は熱湯に通してから入れましょう。

あと昨日は、醤油も入れすぎた。醤油は、なんとなくたくさん入れれば、おいしくなるような気がしてきてしまうものなのだが、それは間違いなのだ。調味料はすべて直感で入れるから、時々直感が狂って失敗するが、失敗すればまた反省して直すようになるから、それでいいのだ。

豆苗は、さすがエンドウ豆の新芽というだけあって、エンドウ豆の味がして、おいしかった。でも安いと思ったのは気のせいで、売り場で手に取ったときには、水菜と変わらない大きさと重さがあったから、量も変わらないだろうと思ったのだが、だいたい下には水を含んだ分厚いスポンジが敷かれていて、さらに全体の三分の一くらいは、根の部分ということになって切り落とさなければいけないから、食べられるのはほんのちょびっとになってしまい、水菜一把の半分くらい。けっきょく値段は変わらない、ということなのでした。

昨日も熱燗は3合。昼間にビール飲むと2合で収まるが、そうでない時は3合ということなのだな、僕は。まあしかし、一日3合の酒というのは、ぎりぎり適量、全然飲まないよりむしろ体にいいと、言ってもいいくらいじゃないすか、お嬢さん。


2010-11-29

かれいはうす沙羅

家からわりと近くの、天下一品二条店の東隣にあるこの店、食べログを見てただ激辛が売り物なだけの店かと思っていたら、「おばちゃんが長年やっている」と書いてあるのが気になって、行ってみることにしたのだ。僕はおばちゃんがやってる店、好きなのだな、なぜか。やはり家庭の味に飢えているのか。

外観、店内ともに、落ち着いた、品のいい造り。「おばちゃん」は一度ちょろりと顔を見せただけで、あとは厨房で料理をしているようだったが、娘さんなのか、若くて愛想のいい、丸顔のかわいいオネエちゃんが、心づくしの給仕をしてくれる。

テーブルにはメニューのほかに、「アナログ時子のツイッター」と題して、月替わりと思しき長文のメッセージが置かれている。こういうことを続けてきたからなのだろうな、今年で25周年を迎えたのだそうだ。実際午後1時半過ぎの、ずいぶん遅い時間に行ったのだが、お客さんはまだぽつぽつと切れずに現れていた。

メニューは日替わりが730円、コロッケカレー、カツカレーが780円、激辛の沙羅カレーというのが1,000円、あとはビーフカレーやチキンカレーが900円。カツカレーよりチキンカレーが高いというのは、不思議な値段設定。聞いたら沙羅カレーはかなり辛いというので、僕は辛いのは嫌いじゃないが、とくべつ好きというわけでもないので、無難にカツカレーにしてみた。

まずスープ。鶏がらだしに醤油で味を付けたものかと思ったが、もしかしたら洋風のもっと手の込んだものなのかも。洋風のことはようわからん。

カツカレー。かなり大きな皿に盛られたご飯全体に、カレーがかけられている。僕はこのかけ方は好きだ。ご飯とカレーを半々に盛ってこられると、配分が気になって落ち着いて味わえないのだ。さらにご飯のまわりに、フランス料理のソースみたいにカレーをたらしているところが、ここのおばちゃんの洒落たところなのだな。かわいいな。

味は、ひとことで言うとボンカレー系。レトルトカレーみたいに安っぽいという意味ではなく、系統として、ボンカレーのような味がするという意味。世の中には、ボンカレー系のカレーと、ボンカレー系ではないカレーとがある。何をどうしたら、こういう味になるのかよくわからないが、わりとあっさりしていて、辛味はけっこうあるが、スパイスの風味は弱め、酸味がけっこうあるのと、あとたぶん牛肉のだしがたっぷり入っているのじゃないかと思う。

カツは薄めの肉をかりっと揚げてある。全体としてさっぱりしていて、よくチェーン店のカレーを食べた後のように、胃がもたれるなどということは全くない。

普通といえば普通のカレーだが、店全体として、おばちゃんのもてなしの気持ちが溢れているのだな。

25周年だというので、初めての僕にも、記念品のチョコレートをくれた。また行かなくちゃ。


かれいはうす沙羅 カレー / 二条駅二条城前駅
昼総合点★★★★ 4.0

湯豆腐、鶏もも塩焼き、水菜おしたし

この頃はほぼ毎日鍋を食べてるわけだけど、さすがに違うものが食べたくなることもある。でも寒いから、鍋のようなものが食べたくはなるわけで、そういう場合は湯豆腐。

湯豆腐は今までやったことなかったのだが、簡単にいうと冷奴の冬版なのだ。意味不明。要は単に、豆腐を温めて食べるということなのだな。だからあまり難しく考えずに、温めた豆腐を冷奴と同じタレと薬味で食べれば、十分うまいわけだ。

豆腐は煮るのじゃなく、あくまで温めるだけ。煮ちゃうと変になるからな、豆腐。だから火加減は、沸騰させないように、とろ火にしておく。こないだ一人用の土鍋を使ったのだが、かさが浅くて豆腐が水から顔を出してしまって、そこが乾燥して固くなってしまうということが起こった。だから昨日は、普通の片手鍋。

上の写真では水を豆腐がかぶるくらいに張ったのだが、そうすると食べているうちに豆腐が減って、かさが減ると水面が下がるし、さらに水分は蒸発もするので、あとで水を継ぎ足さなくてはいけなくなったから、水はケチらず上までたっぷり張ってしまうのが正しいと思う。

だし昆布をいちおう入れたが、入れなくても不味くはないのじゃないか。料理の本に書いてあることとか、全部その通りやらないといけないような気がするが、やってもやらなくても大して変わらないことも多いのだ。

何より料理の本を見てしまうと、面倒くさくてやるのが嫌になってしまう場合がある。だったらそんなことは、無視したほうがいいのだ。だいたい料理の本というのは、自分の本に特徴を出そうと思って、余計なことが書いてあるに決まっているのだ。

だし昆布は、純粋にだし昆布専用というものと、食べてもおいしいものとがあって、食べてもおいしいだし昆布は、最後におかずにもなって一石二鳥。

薬味は冷奴を食べる時と同じ。醤油に青ネギ、チューブのしょうがと鰹節。


あとは鶏もも肉の塩焼き。グルメシティの特売で、100グラム98円。

肉はともかく、焼き過ぎか焼き足りないか、どちらかを選ぶとしたら、焼き足りない方が絶対うまい。逆に魚は、焼き足りないと生臭いから、焼き過ぎの方がいい。


水菜のおしたし。鶏もも塩焼きに合わせるのなら、僕はこれが一番いい。


酒は昨日は3合飲んだ。


2010-11-28

広 島

今度広島に用ができて、行くことになった。広島には1年8ヶ月いたが、ブログを本格的に始めたのも、食べ歩きを始めたのも、広島にいた時なのだ。

広島へ行って、まずはお好み屋を色々回ってみた。広島にはお好み屋が、市内で2,000軒、県内で3,000軒あるとのことで、実際商店街などでは全くない、住宅地の裏通りにも、けっこうな頻度でお好み屋を見かけ、それらは曲がりなりにも、経営が成り立っているわけだ。これはお好み屋というものが、これだけたくさん広島にできた経緯が、戦後原爆でご主人を亡くした未亡人が、小さな子供を抱えながら自宅の一角を改造して始めた例が多いということと、関係あるのだと思う。地域の人達がみんなして、そういう未亡人を応援するために、お好み焼きを買ったのだ。

お好み焼きの焼き方には、大きく分けると二種類ある。広島ではお好み焼きに麺を入れるのだが、この麺を、本体とは別に焼いて、あとから合体させるやり方と、初めから本体に入れてしまって、一緒に焼いてしまうやり方だ。元々は後者の、麺と本体を一緒に焼くやり方だったものが、繁華街の店が個数をさばける前者のやり方を編み出して、それが全体に広がったと聞く。今ではソース会社が新規開店の指導をする時に、前者の別に焼くやり方を奨励しているものだから、繁華街ではない、住宅地のお好み屋でも、そうやって焼いていることが多い。でも僕は、麺と本体を一緒に焼いた方がうまいと思う。麺にあらかじめソースの味を付けておくから、焼いているうちにそれがキャベツや何かに広がって、出来上がってから初めてソースを塗るのとは違い、全体がほんのりとしたソース味になるのだ。


あまり知られていないが、広島はラーメンもうまい。醤油豚骨なのだが昆布や鰹節も隠し味として入れてあり、なんともやさしい味がする。広島でラーメンといえば尾道が有名だが、広島も負けていない。もっと宣伝すればいいのにと思うのだが、どうしてなのだろう。広島の老舗店と言われる店は、中心街から遠く離れた、辺鄙な場所にある。また店構えがあまりにボロくて、入るのに躊躇するほどなのに、食べてみるととんでもなくおいしいということも多い。

おあばちゃんがやってる店が多いというのも特徴だ。それから居酒屋はもちろん、焼肉屋や寿司屋、喫茶店などでも、きちんと本格的にスープを取った、けっこううまいラーメンを出していたりする。広島の人に聞くと、ラーメンというのはあまりに当たり前すぎて、それが何ら宣伝に値いする、特別なものとは思えないと言う人が多いのだが、実際西日本というのは、ラーメン文化が地域に根付いている感じがする。逆に考えてみたら、その分、うどん・そばの店は少ない気がするな。


広島はもちろん、魚がおいしい。広島の漁港草津港に、中央卸売市場があって、そこにある食堂に、週に2、3べんは通った。なにしろ朝水揚げされた魚を昼に出したりするわけだから、そのうまさたるや死ぬしかない。しかも激安。ラーメンと、死ぬほどうまい寿司7コのセットが、850円だったりする。お腹いっぱい食べて飲んでも、3,000円以上取られたことない。

ここは今度も行きたいと思ってるのだが、先週連絡してみたけれど、電話に出ない。おばちゃん時々、風邪引いて倒れたりするからな。なんとか僕が行くまでに、回復していてほしい。


朝めし

かまどさんの白めしと、昨日の秋鮭の鍋の残り、じゃこ納豆とキムチ。


秋鮭アラ鍋

昨日はグルメシティで、秋鮭のアラが食べ切れないかなと思うくらい入ったのが、150円。安いよな。早速買って、味噌仕立ての鍋に。

これは昨日のぶりアラの鍋と、まったく同じ作り方。さっと湯に通した秋鮭と、だし昆布、好きな野菜を、酒とみりん、味噌とチューブのしょうがで煮る。

量がけっこうあるから、死ぬかと思うくらいお腹いっぱいになる。あの半分でも足りるんだが、スーパーにはアラは、小さなパックは売ってないのだよな。


2010-11-27

法然院、ますたに

昨日は南禅寺へ行って、それから哲学の道を上り、法然院へ行った。法然院は僕の年配の知人が、皆が皆口を揃えて、とてもいい、京都で一番いい、と言う。春に行った時にはそれほどとは思わなかったのだが、法然院は紅葉の名所としても、ネットにリストアップされているし、見ておかなくてはいけないと思ったのだ。

山寺のような素朴な雰囲気。南禅寺のように木々の一本一本までを計算し尽くして植えるというのとは、対極にあるとも思える、自然のそのままの姿を大事にしているといった様子。悪いとは全く思わないが、やはりまだ僕は修行が足りないのだな。

奈良へ行っても思うことだが、何物をも主張しない、あるがままの自然の調和というものは、ヒレよりロース、クラッシックよりハードロックが好きな僕にとって、どうも退屈なもののように感じられてしまう。あと10年くらい経てば、僕もそういうものが好きになるのか。それとも死ぬまで悟れなかったりして。


法然院から、「ますたに」の今出川店へ回って、ラーメンを食べた。この店は以前食べてとてもうまいと思って、昨日で2回目。昨日もとてもうまかったのだが、やはり以前と同様、どううまいのかがうまく説明できない。不思議なラーメンだと思っていたら、今朝になってわかった。サッポロ一番味噌ラーメンの味なのだ。

だからもしかしたら、このラーメンには隠し味として、味噌が使われているんじゃないか。ますたには背脂やら唐辛子やら、変わったものを入れることで味を作るところがあるから、醤油ラーメンに味噌を入れると考えたとしても不思議じゃない。ほんとのところはわからないし、聞いても教えてくれるわけないが、僕はそれで納得した。


アラ鍋


アラっていうのは魚を三枚に下ろすときに、切り落としてしまう部分なわけだが、骨の近くや腹の部分で、脂が乗っててやわらかくて、味的には切り身の部分よりむしろおいしかったりするのに、半端者の扱いを受けて値段は安く、僕はそういう、人が捨ててしまったお宝を拾うというのは大好きなので、よく食べるのだ。

なのだがこの冬、鍋を多投するようになり、アラというのはなんとなく、煮物ならともかく、鍋には合わない感じがして、あまり使っていなかったのだが、考えてみたらアラ汁というのがあるじゃないか。というわけで昨日、三条商店街の西友で、解凍物のアンコウが399円という信じられない値段で出ていたのには目もくれず、ぶりのアラを買ってきて、味噌仕立ての鍋に入れてみたというわけだ。

アラはさっと熱湯に通すのだが、どうやっているのかと思う人がいるからもしれないから、写真を載せてみる。

鍋、といっても僕の場合はフライパン、に湯を沸かして火を止めて、アラを入れ、箸でちょっとフリフリとしたりする。

この湯を捨てて、水でよく洗う。血合いとかが残っている場合は、ていねいに取り除く。こうするとたいがいの魚や肉のアクや臭みは、劇的に取れてしまうのだ。

このぶりのアラと、だし昆布、好きな野菜を鍋に並べ、味噌とチューブのしょうがを盛り、水を張り、酒とみりんをドボドボと入れて、火にかける。味噌を溶きながら、煮えるのを待って出来上がりなのだが、昨日食べてみてわかったのは、味がしみると、死ぬかと思うくらいうまくなるのだ。だから沸騰したら火を弱め、とろ火にして煮立たないようにして、しばし待つというやり方が、かなり有効だ。

このアラ鍋に熱燗というのは、たまらない取り合わせですね。ほんとに。


2010-11-26

南禅寺

今日は天気も良かったし、南禅寺へ紅葉狩りへ行ってきた。春に桜を見に行ったとき、僕は南禅寺はとてもいいと思って、しかしここは紅葉のほうが有名だと言うので、絶対に来なくちゃいけないと思っていたのだ。

三門へ向かう道へ出たとたん、ため息が出る。清水寺の紅葉や桜のきれいさというものが、寺の伽藍、そして京都の街をひと目で見渡すことができる、あの一発の風景の素晴らしさであるとすると、南禅寺は徹底的に作り込まれた、計算され尽くした美しさなのだな。

とくに印象に残ったのが、松の青々とした色と、紅葉の赤、これが何ともうまいことあしらわれていて、紅葉は緑色を背景とすると、またきれいなわけだが、それが松であるというところが、たまらなく気が利いている。

三門を上がると、正面に、柱と梁でできた四角い空間を通して、一番きれいな紅葉が、まるで額縁に飾られた絵のように、うまい加減で見えるようになっている。

三門を抜けると、庭いっぱいの紅葉が広がるのだ。

裏山をきちんと借景とすることも、もちろん忘れていない。

紅葉は赤いのだけでなく、オレンジなのや、黄色いのや、色々ある。

どこをどういう風に見ても、きれいに見えるように作られていることが、はっきりと伝わってきて、これを設計したのが誰なのか知らないが、ほんとにすごい人だと思い、感動のあまり思わず涙ぐんでしまった。

方丈の庭もまたすごかった。


暗い廊下を曲がると、いきなり広がる鮮やかな風景。

これでもかと言わんばかりの、炸裂しているかのような紅葉。

この落ち葉もまた、計算の結果であるに違いない。

排水溝の落ち葉までもが芸術的。これほんとすごいですわ。