2010-09-30

鶏の水炊き

千本五条上ルのあたりに「スーパーマツモト」というスーパーがあって、家からはちょっと遠いめなのだが、値段はそれほど、ほかのスーパーと変わらないが、ものすごく巨大で、品揃えが豊富なので、この頃ちょくちょく利用するようになっている。
だいたい冷凍うどんが、安いのから高いのまで4種類もある。
上の2種類は加ト吉なわけだけれど、グルメシティにしても西友にしても、自社ブランドのやつ一種類しか置いてないからな。
そのほかにも目に付いたところだと、身欠きにしんとか、ソフトニシンとか、ほかには置いていないのに、ここにはちゃんとある。
本社が亀岡市にあるそうで、京都の食生活については、きちんと解っているのだな。

今朝折り込みチラシが入っていて、鶏もも肉が100グラム68円ということだったので、いや68円って、ブラジル産ならよくあるが、日本産では見たことないだろう、それを買おうと思って行ったのだが、考えてみたら鶏もも肉の塩焼きは、おととい食べたばかりだったから、さすがに芸がないなと思っていたら、鶏もものぶつ切り、98円とのことで、それを買って水炊きにすることにした。

水炊きに入れる野菜として、まずお揚げ。
昨日コメントをもらって、鍋には豆腐じゃなくて、お揚げもおいしいとのこと、考えてみたらそうだよな、お揚げは味をよく吸うわけだから、今日はそれでいってみることにした。
それからえのき。

そして長ネギ。
ここまでは当確なのだよな。

これに本来なら、白菜と春菊とか、いきたいところなのだが、白菜は1/4カットしか売っていないし、春菊も一束298円、これどう考えても食べきれないのだ。
白菜と春菊を、一品で兼ね備えるような、そういう野菜がないかと思って、いろいろ探したら、あったのだな。

はくさい菜。
198円。
これは要は、白菜の上の部分だけを集中的に育てたもののようで、白菜でありながら菜っ葉、まさにこれを探していたのだ。

鍋に水をはって昆布を入れて、鶏肉を入れてしばらく煮て、あとから野菜を入れる。

タレはポン酢に大根おろし、青ネギ。

熱燗は松竹梅。
まあ言うまでもない、いつもの布陣だが、エンジョイしております。


昼めし

今日は雨だったので、家からそれほど遠くない、以前一度だけ行ったことがある昔からの食堂へ行ったのだ。
以前は日替わり定食を食べたのだが、「ラーメン定食」というのがあり、それが気になっていて、まあうどんを中心とした食堂だから、ラーメンといってもそう大したことはないだろうというのは承知していたが、しかしこういうものは、実際食べてみないと、ボロい店のラーメンが異常にうまかったりするというのは、しばしばあることだからな。

ラーメンが単品430円、それを定食にすると、ご飯と、小鉢が二つ、それに漬物がついて、660円、あまりに激安なので、どういうことなのかと思っていたら、理由がわかった。
これはほぼ間違いなく、スーパーとかに売っている生ラーメン、あれだな。
スープも麺も、完全にその味がする。
ほかに「みそラーメン」「ちゃんぽん」「黒ラーメン」と、ラーメンだけで4種類もあるのだが、全部違った種類の生ラーメンを使っているんだろう。

まあ値段が安いから、べつに文句を言う筋合いもないが、店の人も多少の罪悪感があるのだろう、僕がカメラで写真とか撮ってたからだとは思うが、食べ終わってからやけにしゃべりかけてきて、愛想よくしていた。
ブログとかに、下手なこと書かれないようにということだろう。
ほんとにまずい店って、そういうこと多いのだよな。
大丈夫です、零細企業にムチ打つような真似は、いたしませんので。


朝めし、タバコ

昨夜の鍋は、食べる量はいつもと変わらないのだが、いつもよりお腹がいっぱいになって、酒もいつもは3合くらい飲むところ、1合でけっこうぼうっとしてきて、2合で完全に十分だった。
なぜかな、不思議だな。
いつもは冷えたものを延々と食べてるわけだが、鍋だから、温かかったというのが違いだったわけだが、それが理由なのかな。
とにかく鍋は、たしかに満足感が高いな。
不思議だが。

それで朝は当然、昨日の鍋の残り汁で、うどんにするわけだ。
豚バラ肉の鍋だから、朝見て、豚の脂がべっとりと固まっていたりとかしたら、やめようと思っていたが、いやいや全然、とくべつ脂っこそうには見えなかったので、使うことにした。
あ、しかしこれは、もしかしたら、鍋を冷蔵庫に入れなかったからかもな。
まあしかし、問題ないのはまちがいない。

この汁にうす口醤油で味を付けてみたが、うん、これはかなりイケる。
下手な天ぷらなどは載せないことにしたが、それで正解。
豚と昆布のだしだからな、ちょっとラーメンのような味もする。
いいっすね、やっぱり、鍋は。


明日からいよいよ、タバコが値上がりするわけだが、僕は買い溜めはしないんだ。
そんなことで、いちいちジタバタしない。 
ただ本数は、ちょっと減らすつもり。
昨日から本数を減らす挑戦をしているのだが、意外に大丈夫だな。
ほんとに吸いたい時だけ、吸うようにすればいいのだ。

しかしこのところの、タバコに対するパッシングは、目に余るものがあるな。
昔はタバコは、大人の息抜きだったりしたと思うのだが、そういうものをどんどん取り上げていくから、社会が窮屈になり、逃げ場がなくなって、だいたい自殺者数年間3万人、ひきこもり40万人、うつ病1,000万人、とかいうことになるのじゃないのか。
うつ病1,000万人ってすごい話だよな。
日本人の13人にひとりが、うつ病ってことなのか。

僕は思うに、自殺する人とか、うつ病の人とかに、タバコを吸わせたら、症状が改善するなんってこと、あるのじゃないのか。
実際僕は昔、喘息を持っていて、今はまったく治ったのだけれど、20代の頃は、会社でちょっとひどく怒られたりとかすると、その夜喘息の発作が出たりしていた。
1年に1回か、そのくらいだが。
そういう時はだいたい、タバコをスパスパ吸って、しばらくは咳込むから苦しいのだけれど、そのうちきれいに発作が収まったもんだ。
精神的な症状に対する、タバコの治療効果とか、真剣に検討したらいいのにな。

考えてみたら、昔は「本音と建前」とか言って、社会ではほんとはこうしないといけないことになっているけど、実際自分たちはこうする、みたいなこと、日本人って普通にあったのじゃないかと思うのだが、今は本音と建前なんて言葉、ほとんど死語に近いものな。
本音と建前を使い分けることが、必ずしもいいことだとは言わないが、しかし少なくとも昔は、それを使い分けることによって、それが一種の逃げ場みたいになって、精神の健康が保たれる、みたいなことが、たぶんあったのだよな。
今はどうなんだ。

何から何まで、それは病気だと言って、タバコも依存症という病気だと言って、何でもかんでも病気として片付けていたら、そこいら中病気の人ばかりになって、健康保険料ばかり使うことになって、いいことないじゃないか。
それよりタバコ吸ったっていいよ、酒飲んだっていいよ、それであんたが幸せならば、みたいなことのほうが、世の中楽しいのじゃないか。
それでタバコ吸ってる人が、肺がんで死んだら、保険料や年金だって節約になるし、こんなにいいことないと思うんだがな。

どうなんだ。


2010-09-29

豚バラ肉と水菜の鍋

スーパーへ行くと、何かと鍋一色になっていて、豆腐もこのあいだまで冷奴用が置かれていた場所に、湯豆腐用というのが来たり、鮮魚コーナーにも鍋用のセットが出ていたりするわけだ。
たしかに今日なども、朝や夜はすこし肌寒いくらいになってきたし、僕は飲むときは、こうやってブログを更新したり、チャットをしながらになるので、キーボードをパチパチしながら、さらに鍋も作るというのは、ちょっと面倒くさいのだが、それには目をつぶって、時勢に従ってみることにした。

皮切りとしては、やはり豚バラ肉。
鍋につかう肉類、魚類のなかでは、僕は豚バラ肉が一番うまいのじゃないかと思うのだよな。
昆布だしであっさり煮て、それをポン酢で食べる。
ちょうどいい加減に脂も落ちて、しかもモチモチで、たまらんな。
半分だけテーブルに出して、あとは冷蔵庫に入れてある。

取り合わせは、豚バラ肉と相性バツグンの水菜。
それにしめじと焼き豆腐。
材料は一度に鍋に入れてしまうのではなく、一回に食べる分だけ入れて、食べ終わったらまた入れるというようにする。

ポン酢には、大根おろしと青ネギ。

酒はもちろん、松竹梅の熱燗。
いやいやいや。
日本人に生まれてよかったとは、まさにこのことすね。


昼めし

じつはこの「だいこんのはな」のとんかつ定食は、僕が昼めしに何を食べようか考えるときに、けっこうな頻度でまず浮かぶものなのだ。
中毒になり、食べずにはいられない、ということにまではならないので、ほかの店を新規開拓しようということにすれば、忘れてしまうようなものなのだが、でもかならず、しばらくするとまた食べたくなる。
僕がとんかつが好きで、東京にいたころには週に一度はとんかつを食べていたということもあるとは思うし、この店が家から近く、また僕がこれまで京都で食べたとんかつのなかでは、この店のがいちばんうまいということも、たしかに理由としてあると思うが、なんとなくそれだけとも思えない。
この店の「個性」ともいうべきものが、僕を引きつけるということも、大きいような気がするのだな。

この店のとんかつ、でかいのだ。

超ドでかい。
値段は924円。
これをぺろりと平らげることのできる人、僕は少ないのじゃないかと思うくらいの大きさなのだ。
常識的な考えからすれば、もう少し大きさを小さくして、値段を安くしたほうが、お客さんは増えるのじゃないかと思うのだが、この店のマスターはそうはしないわけだ。
なぜなのか。

そう、この「なぜなのか」という問いに、この店でとんかつを食べた者は、自ずと向き合わざるを得ない。
とんかつを食べながら、なぜこんなにでかいのかと、あれこれ考えてしまうことになるのだ。

定食にはお吸い物が付いているのだが、これがまた、具がたっぷり入って、そこにさらに、素麺が入っている。
この素麺、これだけでかいとんかつがあり、たっぷりのご飯があれば、それ以上の炭水化物はまったく必要ないと思えるのにもかかわらず、入っているわけだ。
なぜなのか。
ここで再び、問いを発せざるを得なくなる。

これらの問いにはおそらく、答えがないのだ。
ライオンのたてがみは、なぜ金色かを問うというようなものなのだろう。
答えがないと解っていながら、問いを発せざるを得ない、そういう状況をこそ、不条理と呼ぶべきものではないだろうか。
この店の、そういう不条理さというものも、僕を引きつけてやまない、大きな理由になっているという気がするのだ。
だからどうしたって話だが。


だいこんのはな 定食・食堂 / 四条大宮駅大宮駅二条駅
昼総合点★★★★ 4.0

アジ天うどん

グルメシティで買ったアジ天、128円。
惣菜コーナーで売っている魚の天ぷらの値段って、鮮魚コーナーで売っている同じ魚の値段よりも、安かったりする場合が多いんじゃないかと思うのが、それって鮮魚コーナーで売れ残った魚を、調理して出しているからなのだろうな。
今日は隠し味程度に砂糖を入れてみたが、味が丸くなって悪くはない。
しかし砂糖を入れると、その分醤油も追加しないと、塩気が足りない感じになるから、塩分的には増えるのだよな。


2010-09-28

鶏もも塩焼き

鶏もも肉の塩焼きは、極端にいえば、僕は毎日食べてもいいんじゃないかと思うくらいなのだが、さすがにそこまではせず、スーパーへ行って、鶏肉が安いときに買うようにしている。
今日は100グラム108円。
塩焼きは、塩を両面にすりこんで、まずは皮目から、フライパンのフタをせず、弱火でじっくり焼き、青ネギとレモン汁をふりかけるのだが、僕はこの食べ方が、いちばん好きだ。
ただ焼くのに、皮のがわで20分、裏返して10分くらいはかかる。

ピーマンの塩ゆで。
おかかと醤油をかけて食べる。
ピーマンもこの食べ方、僕的には王道だな。

あとは冷奴と冷しトマト、酒は松竹梅の熱燗という、いつもながらの鉄板メニュー。

今日スーパーへ行ったら、時代、じゃなく、季節は鍋、鍋の材料として色んなものがフューチャーされてたが、鍋もとても好きなのだけど、僕はだらだらと、2時間も3時間もかけて、酒を飲むものだから、冷めるとあまりうまくないものは、どうもつまみにしづらいのだな。
卓上で、一口分ずつ鍋に入れていくというやり方も、なくはないのだがな。


「日本的想像力の未来」(東 浩紀編)


東浩紀というのはれっきとした大学教授なのだが、「オタク文化」についての批評家で、この本は、「クール・ジャパノロジーの可能性」と題するシンポジウムの講演と討論を、文字に起こしたもの。
日本および海外の、現代日本文化についての研究者、芸術家、映画監督などが、アニメを中心とした現代日本文化の分析および、いま海外で日本のアニメが大流行しているという現象についての分析を語り合う。

僕は文化論などにはまったく疎いので、この本に書いてあることの受け売りをすれば、日本文化論はもともと、「西洋は罪の文化で、日本は恥の文化だ」みたいな、西洋を比較対象とした文脈のなかで論じられてきたものが、浅田彰らのポストモダン的批評、ってどんなものだかよく解らないが、を経ながら、2000年以降、東浩紀や宮台真司などの、「オタク文化」や「女子高生文化」など、具体的なフィールドワークを踏まえた、新しい批評が登場してきている。
様々な立場の人たちが話しあうことによって、この新たな批評の可能性について探る、ということが、このシンポジウムの目的だったらしい。

現代日本文化の特徴として、「かわいい」ということばに代表される、「未熟さ」を前面に押し出すということがあり、これが既存社会からの「大人になれ」という要請にたいする、防波堤のような役割を果たし、若者が自分の居場所を見つけるための、重要な役割を果たしている。
これはしかし、ただ日本でだけ求められるものではなく、世界中で、若者は、日本と同じような状況にいるわけだから、日本のオタク文化は、海外においても必要とされるものになりつつあるのであり、延長線上に、世界中のオタクが、トランスナショナルな連帯をし、ひとつの運動を形成するというようなこともあり得るのではないかという、かなり威勢のよい、オタク批評家の立場から見て、明るい未来を思い描いていたりする。

まあこれは、売り出し中の東浩紀が、大風呂敷を広げている、というものであると思うけれど、世の中には、どんなものでも、それを研究する人がいて、またそれが学問として成立したりするのだということに、けっこう驚く。
というか、オタク批評を学問として成立させようと、一生懸命がんばって、難しいことばを使い、批判を退け、偉そうにふるまうところが、批評というものが本来、一般人に開かれたものであるはずであるということを考えると、なんともイタイ。


★★ 2.0
日本的想像力の未来~クール・ジャパノロジーの可能性 (NHKブックス)

昼めし

家からわりと近くにあるぎょうざの店、「龍園」。
二度目の訪問なのだ。

ぎょうざの店ということで、思わずビールを注文。

ぎょうざ一人前、400円。
ここは焼く直前に、手押しの機械で皮をのばし、あんを包むようにしているみたいで、たぶんそうしないと、皮が溶けてしまうからだと思うのだが、このモチモチの皮が、まずうまい。
野菜のたっぷり入っているあんは、けっこうな量。
ジューシーというよりは、ホクホクした食べごたえなのだ。

ギョウザに付けるタレは、ふつうに酢醤油でもいいし、べつに特性の味噌ダレも置いてある。
これにラー油を加えて食べると、かなりうまい。

ぎょうざを食べ終わったらラーメン。
570円。
完全に澄んだ鶏がらスープで、ほんのりショウガの香りがする。
チャーシューは歯ごたえよく炊かれたバラ肉。
具はそれに青ネギだけ。

麺はちょっと透明な感じの、弾力のあるタイプ。
中華料理屋的なラーメンだな。

ここは完全に、壬生の住宅地の中にあり、お客さんも近所の人以外はほとんど来ないのじゃないかと思うが、ぎょうざがメインの店というのは、それほど多くないこともあり、たまに行く価値のある店、ローテーションのひとつに入れて、悪くないところだと思う。
もともとこの店をやっていた大将が亡くなり、女将さんがあとを受け継いて、今は娘さん二人がおもにやっているということらしく、大将のやり方を、そのまま伝えているということなのだと思うが、きちんとした味がする。
そういう、亡くなった大将を護る店だということのためなのか、この店、透明感のある静寂が店内を支配していて、まるで京都の寺に来たみたいで、とても癒される。

「ぎょうざ定食」がメインのメニューで、一人前8個入りが600円、12個入りが760円、16個入りが900円となっている。
ほかにチャーハン、天津飯、天津麺などもあり。


龍園 餃子 / 二条駅西院駅(京福)西大路三条駅
昼総合点★★★★ 4.0

ハモ天うどん

今朝はハモ天うどん。
ハモの天ぷらは、西友の惣菜コーナーで買ったのだが、けっこうなでかさのが105円。
すごいよな。
西友の惣菜コーナーは、グルメシティにくらべて、置いてある物の種類は少ないが、値段は安い。
「フレスコ」というスーパーも近くにあるのだが、ここは西友より品数が少ないが、値段はさらに安い。

今朝はめちゃくちゃ秋、という感じの空。

昨日はちょっと寒かったので、家から徒歩0分という、目と鼻の先にある銭湯へ、初めて行ってみた。
外観はなんとなくボロいし、入ると番台があって、いかにも昔ながらなのだが、浴室は最近改装したのだろう、かなりきれいで、サウナもあった。
大きな湯船にゆっくり浸かるのは、気持いいんだよな、やはり。
夜7時ごろ行ったのだが、食事どきだったからだろう、ほかにお客さんもあまりいなくて、大きな風呂を独占状態。
僕はからだを洗うのに、石鹸を使わないから、石鹸が置いていない銭湯に行くのにも、持っていくのは手ぬぐいとヒゲソリだけ。
簡単でいいのだ。
とこんなこと書いていたら、また行きたくなってしまった。


2010-09-27

今日の一日

この年になると、疲れはやっぱり、一日じゃ抜けないようで、早めに起きて、ちゃんと朝めし食って、洗濯したりもしたのだが、けっきょくベッドへ逆もどり。
2時間以上寝た。
35を過ぎたあたりから、傷が治りにくくなったり、運動したあとの筋肉痛が、数日後に来てみたり、するようになるのだよな。
若いころに戻りたいと思ったことは一度もないのだが、というのは以前の知恵のない自分に戻るということは、考えたくもないことだからなのだが、知恵は増しても肉体は衰えるわけだから、差し引きゼロということなわけだ。

朝めしは、久しぶりにうどん。
まちがえて昨日のために、おととい買ってしまったイカ天。
もちろんまったく問題なく、つくづくうまい。
だしパックで取っただしに、うす口醤油だけで味を付けるのだけれど、砂糖やみりんを入れたものより、僕はこちらの、甘みがまったく無いもののほうが好きだ。

うどんは加ト吉の冷凍うどんで、これが何故うまいのかということについて、名古屋で聞いたのだけれど、小麦粉がどうのこうのというよりも、切り方が違うのであって、加ト吉はその特許を持っているのだそうだ。
ふつうは細長く搾り出されたものを、一定の長さに切るようにしているのに対して、加ト吉は手打ちうどんの切り方をそのまま再現していて、平たく押し延ばされた生地を、包丁で切るように、横に切っていくらしい。

昼めしは、洋食が食べたくなって、Kiraku
東京ならば、とんかつ屋へ行くところなのだが、東京以外の場所では、とんかつ屋というのはどうもあまりいい店がなく、洋食屋になるのだよな。
とんかつ屋と洋食屋のいちばんの違いは、とんかつに自分でソースをかけるか、ソースがあらかじめかかってくるか、ということじゃないかと思うのだが、このソースを自分でかけさせるという行為、寿司に自分で醤油を付けたり、そばをつゆに付けて食べたりするのと、同じことなのじゃないかと思うのだけれど、これって東京的な食べ方なのだよな、たぶん。
あくまでスナック感覚で、食べるということに腰を落ち着けることを嫌う、ということなのかなと思ったりする。

この店に前に来たときは、店の実力を知りたいと思って、カレーを頼んだのだが、今日は日替わりのランチ。
700円。
オニオンコンソメスープと、ゴボウを牛バラ肉で巻いたものと、明太子と壬生菜入りのポテトサラダ。
それにたっぷりの野菜サラダ。
下には、何だかよく解らないが、穏やかな味のソースがしかれている。

ここのマスター、ほんとにいい人なのだ。
自分の作った料理を、お客に食べてもらうのが、嬉しくて仕方ないのだと思うのだよな。
たぶん明日のランチを何にしようかとか、ワクワクしながら考えるのじゃないかと思う。
ゴボウとか、明太子に壬生菜とか、洋食にあまり使われない材料を使うことを思い付いたりすると、夜寝られなくなったりしたりとか。
前に食べたカレーもそうだったが、この日替わりランチも、そういうマスターの愛があふれていて、なんともうまい。
ライスもいちいち、またこれもいかにも素直そうなオネエちゃんが、テーブルまで持ってきて、量はこのくらいでいいかと聞いてくれる。

コーヒーのフレッシュは、きちんと「めいらく」の乳製品だった。

晩めしは、ぐじの酒蒸し。

「ぐじ」とは甘鯛のことで、京都の人は、鯛よりこちらのほうが、好きなくらいだそうだ。
酒をパラパラとふりかけて、豆腐といっしょに蒸す。
蒸し器はないが、いつも使っている炒め鍋に、小さな深皿を置いて、その上に皿を置くようにすると、バッチリとうまくいく。
ポン酢でもよいが、僕は醤油をかけて食べる。

万願寺の炊いたん。
京都ではこれは、歯応えを残すのではなく、くたっと仕上げるのだよな。
油を使うと煮汁がにごるので、鍋に油をしかず、適当に切った万願寺とじゃこを空煎りし、万願寺がしんなりしてきたら、カップ一杯くらいの水を入れ、酒をスプーン一杯くらい入れて、しばらく炊いて、やはりスプーン一杯くらいのうす口醤油を入れて、汁を煮詰める。
砂糖かみりんを入れてもいいと思うが、今日は無しでやってみたら、やはり僕はこちらのほうが好きだな。

あとは冷やしトマトと梅干し。
酒は松竹梅の熱燗。


2010-09-26

今日の一日

昨夜はつまみを作って晩酌を始めたものの、だいたいおとといの夜は、明け方4時すぎまで遊んでいたわけで、すぐに眠くなってしまって、11時ごろには床に入った。
6時ごろ一度トイレに起きたが、また寝たら、起きたら9時半。
10時間睡眠を達成なのだ。
40を過ぎた頃からか、10代の頃のように、いくらでも寝れるというわけにはいかなくなって、考えてみたら高校生の頃とか、16時間睡眠とか、ふつうにしていて、起きて学校に出かけようと家をでたら、12時間ちがって夜だった、みたいなこと、けっこうあったわけだが、今じゃ10時間寝れたというだけでも、かなりの達成感がある。

起きたら顔も洗わず、そのままサウナ。
朝のサウナというものは、人生の幸せのなかでも、かなりの上位にランクインするな。
今日一日、有意義なことはひとつもしないぞ、という、宣言みたいなものだからな、これは。

そして、サウナの休憩室で、朝ビール。
昨日までさんざん酒を飲んだから、べつにそれほどビールが飲みたいというわけでもなかったのだが、休日にサウナに入って、ビールを飲まないというわけには、いかないわけだ、僕としては。

そして今日は、2週間ぶりの新福菜館三条店。
大盛りラーメン麺かため卵入りと、小ライス。
さすがに京都を離れているときは、いくら中毒になっているとは言え、このラーメンのことを思い出すことはなかったが、帰ってくると、まずこのラーメンを食べないわけにはいかなくなる。
そして当然、今日もうまい。
たぶん僕は、もし死ぬまで一週間にいっぺん、このラーメンを食べ続けたとしても、飽きることはないな。
というか、これは中毒なわけだから、「飽きる」という概念自体が、ハナから存在しないわけだ。

家に帰ったら、昼寝。
3時間も寝た。
これでほとんど、この一週間の疲れは解消したな。

今日は「五条楽園」という、遊郭地帯で何かイベントがあるというのを、ずいぶん前に「ikoi cafe」で聞いていて、五条通あたりにあるカフェや飲食店が共同で主催するイベントということなのだが、なぜそれを五条楽園という、京都でも唯一といえる、激しく怪しい、ディープな場所で開催するのか、ちょっと興味があったので、ちょうどいい時間に昼寝から目を覚ましたし、出かけてみることにした。

「五条会館」という、五条楽園の中にある、歌舞練場が会場で、ちょっとした出店もでて、飲み物や、手作りのつまみなぞも買うことができるようになっている。

生ギターの弾き語りやら、セクシーオネエちゃんのベリーダンスやら、ジャズのトリオやらが出演していたので、僕もちょこちょことつまみを買って、生ビールやら日本酒やらを飲みながら、座って見物した。

カフェのオーナーや、その関係者、お客、が集まるイベントだったようで、そこにいたのは、20代から30代の、わりと洒落た格好をした、おとなしい若者がたくさんいるという感じで、会もなんともゆるい、趣旨がまったく不明で、それを説明すらされることがないというものだったが、趣旨など説明しないというのが、イマ風なのだろうな。
だいたいこの不景気で、若者の失業率も高く、閉塞感に充ち溢れた時代、60年代のフォークイベントではないのだから、何かの主張などしても、どうにもなるものでもないということは、皆よくわかっているのだろう。
それなりに居心地のよい場がそこにあれば、それで良しということなのだよな。

この会を五条楽園でなぜ開催したのか、ということだが、主催者に聞いたわけではないが、とくべつな理由はなく、五条楽園というのも、若い人たちにとっては、どういう場所だか、あまり実感としてないのだろう。
古い町家を改装してカフェをやるみたいな、そういう感覚で、この場所を使った、というだけのことだったのだと思う。

僕もその雰囲気を、そこそこ楽しんで、適当に引き上げてきて、今はまたちょっとしたつまみで、熱燗を飲んでいる。

このところ大阪地検特捜部のフロッピー改ざん問題とか、尖閣諸島の問題とか、まさに内憂外患、日本の屋台骨をゆるがしかねない問題が続出しているわけで、発足したばかりの菅内閣、早速試練に見舞われているわけだ。
尖閣諸島の件については、相手が怒っているから、何でもよいからとにかく返してしまおうという、菅首相のああいうやり方については、僕もかなり疑問を感じるわけで、どうも菅首相は、部下の言ったことを、自分でよく考えることもなく、面倒くさいからじゃあそれでいいよ、みたいな形で、通してしまうという癖があるみたいだな。
日本をどうしたいということよりも、部下に好かれる上司でありたいということが、先に立っているみたいだ。
それじゃあダメなのだよな。

たぶん菅首相は、前任の鳩山元首相を反面教師としていて、鳩山元首相が、理想論ばかりぶち上げて、実務的にまったく無能力だったものだから、自分はそうはならないぞと思っているのだ。
消費税10%というのを、首相になった初めに言ったというのも、鳩山元首相が、あとから追い込まれて方針を転換して、支持率が落ちたものだから、自分はそうなならないぞということで、あとから難しくなりそうな問題について、初めに言ってしまっておきたいと思った、ということであるような気がする。
なんかそういうのって、考え方が小さくてイヤだな。
目くそ鼻くそを笑う、みたいなもんだ。
どうなってしまうんだかな、日本は、これから。