2010-09-27

今日の一日

この年になると、疲れはやっぱり、一日じゃ抜けないようで、早めに起きて、ちゃんと朝めし食って、洗濯したりもしたのだが、けっきょくベッドへ逆もどり。
2時間以上寝た。
35を過ぎたあたりから、傷が治りにくくなったり、運動したあとの筋肉痛が、数日後に来てみたり、するようになるのだよな。
若いころに戻りたいと思ったことは一度もないのだが、というのは以前の知恵のない自分に戻るということは、考えたくもないことだからなのだが、知恵は増しても肉体は衰えるわけだから、差し引きゼロということなわけだ。

朝めしは、久しぶりにうどん。
まちがえて昨日のために、おととい買ってしまったイカ天。
もちろんまったく問題なく、つくづくうまい。
だしパックで取っただしに、うす口醤油だけで味を付けるのだけれど、砂糖やみりんを入れたものより、僕はこちらの、甘みがまったく無いもののほうが好きだ。

うどんは加ト吉の冷凍うどんで、これが何故うまいのかということについて、名古屋で聞いたのだけれど、小麦粉がどうのこうのというよりも、切り方が違うのであって、加ト吉はその特許を持っているのだそうだ。
ふつうは細長く搾り出されたものを、一定の長さに切るようにしているのに対して、加ト吉は手打ちうどんの切り方をそのまま再現していて、平たく押し延ばされた生地を、包丁で切るように、横に切っていくらしい。

昼めしは、洋食が食べたくなって、Kiraku
東京ならば、とんかつ屋へ行くところなのだが、東京以外の場所では、とんかつ屋というのはどうもあまりいい店がなく、洋食屋になるのだよな。
とんかつ屋と洋食屋のいちばんの違いは、とんかつに自分でソースをかけるか、ソースがあらかじめかかってくるか、ということじゃないかと思うのだが、このソースを自分でかけさせるという行為、寿司に自分で醤油を付けたり、そばをつゆに付けて食べたりするのと、同じことなのじゃないかと思うのだけれど、これって東京的な食べ方なのだよな、たぶん。
あくまでスナック感覚で、食べるということに腰を落ち着けることを嫌う、ということなのかなと思ったりする。

この店に前に来たときは、店の実力を知りたいと思って、カレーを頼んだのだが、今日は日替わりのランチ。
700円。
オニオンコンソメスープと、ゴボウを牛バラ肉で巻いたものと、明太子と壬生菜入りのポテトサラダ。
それにたっぷりの野菜サラダ。
下には、何だかよく解らないが、穏やかな味のソースがしかれている。

ここのマスター、ほんとにいい人なのだ。
自分の作った料理を、お客に食べてもらうのが、嬉しくて仕方ないのだと思うのだよな。
たぶん明日のランチを何にしようかとか、ワクワクしながら考えるのじゃないかと思う。
ゴボウとか、明太子に壬生菜とか、洋食にあまり使われない材料を使うことを思い付いたりすると、夜寝られなくなったりしたりとか。
前に食べたカレーもそうだったが、この日替わりランチも、そういうマスターの愛があふれていて、なんともうまい。
ライスもいちいち、またこれもいかにも素直そうなオネエちゃんが、テーブルまで持ってきて、量はこのくらいでいいかと聞いてくれる。

コーヒーのフレッシュは、きちんと「めいらく」の乳製品だった。

晩めしは、ぐじの酒蒸し。

「ぐじ」とは甘鯛のことで、京都の人は、鯛よりこちらのほうが、好きなくらいだそうだ。
酒をパラパラとふりかけて、豆腐といっしょに蒸す。
蒸し器はないが、いつも使っている炒め鍋に、小さな深皿を置いて、その上に皿を置くようにすると、バッチリとうまくいく。
ポン酢でもよいが、僕は醤油をかけて食べる。

万願寺の炊いたん。
京都ではこれは、歯応えを残すのではなく、くたっと仕上げるのだよな。
油を使うと煮汁がにごるので、鍋に油をしかず、適当に切った万願寺とじゃこを空煎りし、万願寺がしんなりしてきたら、カップ一杯くらいの水を入れ、酒をスプーン一杯くらい入れて、しばらく炊いて、やはりスプーン一杯くらいのうす口醤油を入れて、汁を煮詰める。
砂糖かみりんを入れてもいいと思うが、今日は無しでやってみたら、やはり僕はこちらのほうが好きだな。

あとは冷やしトマトと梅干し。
酒は松竹梅の熱燗。