2013-08-20

久しぶりに「スピナーズ」へ行ったら酒が止まらなくなってしまい、今日はまだバリバリに酒が残っているのである。

昨日は昼はキムチと餃子でビールを飲み、夜は久しぶりに「スピナーズ」へ行った。

四条大宮 スピナーズ

2~3杯飲んでさっくり帰るはずが、なぜか何杯飲んだか分からない程飲み、
今日はまた、バリバリで酒が残っているのである。



昼にビールを飲んだのは、いつもの新福菜館三条店。

新福菜館三条店で昼ビール

金曜日の飲みを王将の餃子とちゃんぽんで締めてしまったため、さすがに土曜は、
もう餃子もラーメンも食べる気にならず、日曜はかなり仕事をしたから、
昨日になってしまったという次第。

ぼくは新福三条の中毒だから、次の土曜までは待てないのである。



新福の餃子は、王将の餃子とちょっと似ている。

新福菜館三条店 餃子

王将の餃子を、皮をやや薄くし、ニンニクの量を減らすと、新福の餃子になる。

新福は、同じ京都で王将より前に創業しているわけだから、王将の餃子は、
新福の餃子がモデルになったのではないかとぼくは勝手に推測している。



ラーメンは、昨日も死ぬほどうまかった。

新福菜館三条店 ラーメン

なぜこのラーメンがここまでうまいのかを、昨日は食べながら、改めて考えてみた
のだけれど、やはり結論は以前と変わらず、スープの「甘み」なのだと思う。



老舗ラーメン店の多くは、終戦後すぐに屋台で商売を始めているが、
おそらく当時は、「手軽な麺類」といえば「そば・うどん」が幅を利かせ、
新興勢力であるラーメン店は、「いかにそば・うどんに太刀打ちするか」に
知恵を絞ったに違いない。

その結果として、そば・うどんとの「違い」を強調するため、和風しょうゆ味の
王道である「甘み」を敢えて捨て、当時は新手の調味料だったニンニクと
化学調味料を使った、いわゆる「ラーメンの味」が編み出されたのだとぼくは思う。

ところが新福菜館はそれより以前、戦前の創業だから、そば・うどんとの競争も
まだそれほど激化していなかっただろうし、ニンニクや化学調味料も、
あまり馴染みがなかっただろう。

それで日本人の嗜好に合わせ、素直に甘みをつけたということなのではないかと思うのだが、
それが今となっては他のラーメンとは異なる、新福の大きな特徴となり、
また最大の魅力ともなっている。

甘みを加えたラーメンの味とは、ものすごく大雑把に一言でいえば、
「鴨南そば」の味である。

鴨南そばがうまいのは、日本人なら知れたことだ。



「スピナーズ」へ行ったのは、晩酌前。

四条大宮 スピナーズ

帰って飯を作るはずだったのに、気分がどんどん盛り上がってしまい、
どうにも酒が止まらない。

スピナーズは先週、お盆で休みだったから、ぼくの耐性が低下していた
ような気がする。

ビール祭りはあったけれど、やはり店の外で飲むのと店で飲むのは違うのである。



生ビールを一杯飲んだら、その後は芋焼酎水割り氷抜きを飲んだ。

四条大宮 スピナーズ 芋焼酎水割り氷抜き

市毛良枝似の女性と話し、北野大似の男性と話し、熊の男性と話し、
辺見えみり似の女性と話したのは覚えているが、今日になり、店で写した
写真を見たら、ぼくの隣でチェブ夫を触る、誰だかどうしても思い出せない女性の
後姿が写っていた。



帰ったのは3時過ぎで、それからすぐに布団へ入り、今日の昼まで爆睡した。

自家製梅干しの粥

酒が残って夕方近くまでぼんやりしていたが、手製の梅干しを入れた粥が
うまかったのは救いだった。



「今日は天気も良かったのにね。」

チェブラーシカのチェブ夫

また一日を棒に振ってしまったよ。