2011-04-17

カラスカレイの煮付け


おとといの晩はグルメシティでカナダ産の「カラスカレイ」が見切りで2割引でもあり、二切れで200円そこそこで売っていたので、それを煮付けにした。

「煮付け」というのは、長年にわたって醤油をつかって魚を食べてきた、日本独特の極めてすぐれた料理法だと僕はおもうのだよな。

歴史とかを調べたことはないんだが。

魚の、特に切り身なんてのは、煮過ぎたらパサパサになってしまうわけで、せいぜい10分くらいで煮上げてしまわないといけない。ところで魚にたいしては、醤油味のばあいだったらこってりとした甘辛いのが合うわけで、そのためには煮汁はかなりのていど煮詰まらなければならない。

これはまさに、いま流行りの「トレードオフ」、二律背反の関係にあるのであって、煮過ぎればパサパサになるし、煮足りなければ味がうすいしで、これを両立させるというのは、「煮る」というのが
「材料がかぶるくらいの量の煮汁で煮る」
と考えている限り、あり得ないことなわけだ。

煮付けのばあい、結論を先に言ってしまうと、
「煮汁の量を、魚がパサパサにならないギリギリの時間で煮詰まるくらいに少なくする」
ことで解決したのだけれど、しかしそれだって、ただ煮汁の量を減らしてしまうと、材料が煮汁の上に顔を出してしまって、火が通らなくなるし、かといって火を通すためにフタをしてしまったら、水気がこもって煮詰まらなくなるし、それだけだと解決には不十分であるということになる。

ここで誰が発明したのか知らないが、誕生したのが
「落としぶた」
なわけなのだよな。

落としぶたというのは、それをすることによって、水気は逃がすから煮汁が煮詰まることは妨げないが、ある程度の熱気をこもらせるから、煮汁をきちんと沸騰させ、さらに材料の上が覆われることによって、沸騰した煮汁が材料の上にまわるようにさせるという効果がある。それによって材料が煮汁の水面から大きく顔を出していても、きちんと火が通り、さらに味も付く、ということになる。

しかしこの「材料の上に煮汁がまわる」という効果は、おそらく、
「醤油をつかって魚を煮る」
というとき限定なのだ。

すべての場合を確かめたわけではないから、完全にそうだとはいい切れないのだが、砂糖とみりんだけで魚を煮ていても、煮汁はきちんと上にまわらない。醤油を入れて初めて、煮汁が上までまわるようになるのだな。さらに肉を煮るときには醤油をつかったおなじ味付けでも煮汁はまわらず、魚を煮るときでないとそうはならない。

これは要は、魚の脂肪分かなにかと醤油が何らかのかたちで反応することにより、煮汁に「粘り気」がでて、それによって煮汁が沸騰する際の泡が高く上がるようになり、このことが「落としぶた」との相乗作用によって、煮汁を材料の上に回らしめると、そういうことではないかとおもうのだ。

だからこれは、醤油味で魚を煮るという際にのみ有効な、トレードオフの解決法なのだといえるのだよな。

世界広しといえども、こういう料理の仕方をするところは他にないんじゃないか。中国とかどうなのかな。よくわからんが。

まあでも、いずれにせよ、この「煮付け」という料理法が、日本人の偉大な発明であるということは、確かにいえることなのじゃないかと僕はおもう。

というわけでカナダ産カラスカレイの煮付け、とろけるかとおもう位やわらかくて、死ぬほどうまかった。

あとはほうれん草のおしたし。

湯どうふ。タレは醤油におかかを入れたもの。

酒はこの日から、岩手の「あさ開(あさびらき)純米酒」。

表側の古風なラベルに似合わず、裏側のラベルには「商品の特徴」「商品特性」「商品のタイプ」など、地元のみならず一般消費者を意識した詳しい表示がされていて、「商品の特徴」のところには、
「あさ開純米酒は、ふうわりとした旨みを持つ、なめらかなやや辛口の酒です」
と書かれている。

たしかにその通りで、今まで飲んでた福島の酒とはだいぶちがって、いわゆる「日本酒らしいコク」はかなり抑えめで、同時に「アルコール感」をちょっときつめに感じさせるようになっている。でも「淡麗」というのともすこしちがって、独特の、ちょっと甘みを感じるようなコクがあるのだな。だから、「甘辛い」という感じの味なのだ。

岩手の酒は、ほかのもこういう感じなのかな。いろいろ飲んでみたくなりますな。