2011-03-04

生物記号論者・川出由己さんインタビュー (4/4)

(まえがき) インタビュー(1/4) インタビュー(2/4) インタビュー(3/4)

最後に今後の展開について、川出先生がどうお考えになるかをお伺いしました。

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高野 今後、生物記号論の議論は、どのように深まっていくとお考えですか。

川出 僕はそれがちょっと弱いんですよ。記号論から考えて、生物の理解がこういう方向にいくべきだとか、こういう展開をすることができるはずだということは、僕には一向にわからないんです。

僕にとってはいまのところ、生物記号論というのは、哲学的なもので、解釈するためのものなんです。機械論的生物学が見出してくる知識にたいして、正当な解釈をし、生物や人間存在を理解する、ということのためには必要なものですが、自分で生物学的な知識を開拓するために、どう役立つのかはわかりません。それができることは望ましいけれど、僕の力では無理なんです。ホフマイヤーの最近の本を読んでも、そういうことはあまり考えられていないような感じがしますね。

僕が「生物記号論」のなかでいちばんいいたいことの一つは、生物の「個体」というものは、生物を研究しようとすると、すぐ目につくものですけれど、じつはそれ自身では存在しない、ということです。個体はあくまで、歴史と社会によって構成された、高次階層のなかに存在する。生物個体をそれから切りはなして理解するということは、本来できない、ということです。でも生物学者は、そういうことは考えません。

そういうことをいっても、生物学が進歩するとは思わないけれど、われわれの生物理解に、そしてとくに人間存在の理解には役にたつ、必要なことだと思います。

高野 先生はマイケル・ポランニーは、どう評価されますか。ポランニーは、生物というものが、その発生の初めのときから、「暗黙知の次元」をもち、生物の進化は、科学や芸術における「発見」とまったくおなじように、ただ原因と結果の連鎖としておこるものではなく、未来にむけた「潜在的可能性」によってもたらされる緊張が、偶然の作用をうけながら、行動に解き放たれたものだといいます。またそのとき、「意識」が発生していなければいけないはずだといいます。僕にはこのポランニーのいう「暗黙知の次元」「潜在的可能性」「意識」ということばがさす内容が、先生のおっしゃる「記号の次元」「目的」「心」というものと、おなじものであるように思えるのです。

ポランニーは、そういう「有意味な世界」は、これまでの科学がつくりあげてきた不条理な世界にかわって、「宗教へと共鳴していく可能性をもつ」というわけですけれど、先生はそのあたりのことは、どのようにお考えでしょうか。

川出 ポランニーの本は、日本語の訳のせいか僕にはよくわからないところがあるのですが、Science誌に出た有名な論文(1968)には大いに共感します。僕は生物記号論を、宗教と関連づけて考えたことはありません。僕は生物の進化というものは、「自由の探求」であると思います。

生物は、「自分の系を維持する」という固有の目的をもち、「意味の世界」をつくりあげるという点で、物質の世界による束縛を脱し、新たな自由を手に入れたものだといえます。しかしそうやって手に入れた「自分の系」は、こんどはつねに崩壊の危機にさらされることになるのであって、それは新たな束縛を背負いこむことでもある。

生物とはそうやって、自由と束縛とのあいだで揺れうごきながら、新たな自由を見つけつづけ、それと同時に新たな束縛を背負いこみつづけていく、そういう存在なのではないでしょうか。その延長線上に、人間というものも、まったくおなじものであるということだと思います。