2011-03-01

生物記号論者・川出由己さんインタビュー (1/4)

(まえがき)

川出さんのインタビュー、まずは大学教授時代のことからです。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

高野 僕は川出先生がお書きになった、「生物記号論」を拝読しまして、すばらしい本であると思いました。

川出 この本は書くのにかなり時間がかかったですよ。これは僕が書いた唯一の本なのですけれど、4、5年かかったかな。

生物学者でほめてくれた人は、ほんのわずかです。京大の古手で前々から付き合いのあった山岸秀夫、村松繁などの他は、池田清彦、団まりな、そして数学出身の経営哲学者村田晴夫くらい。

嬉しかったのは、工学部でロボットの設計をやっている人が、非常に評価してくれたんです。ロボットに記号作用をさせようと思っている人たちがいて、僕はそれは無理だと思うんだけれど(笑)、その人たちが、これは非常にわかりやすくて、参考になったと。彼らは、生物に似た機械をつくろうとしているんです。そのためのアプローチに使えそうだと。

高野 工学の人って、科学にたいするしがらみがないですもんね。実用になるものがつくれればいいわけですから、いい意味でいい加減な、自由な発想から物事を考えはじめる。科学ではとても重要視される、主観と客観の切れ目とか、工学の方は関係ないですもんね。

先生はもともと、分子生物学の研究者として、免疫のことなどを研究されていたわけですが、そうでありながら、現代の生物学がおかしいと思うようになったというのは、どういうきっかけだったのですか。

川出 もともと僕は、理科はあんまり好きじゃなかったんですよ(笑)。それなのに理科に進んだというのは、僕はずるいから、戦争中だったので、理科に行けば兵隊にとられないですむと考えたということで、もともと機械論的な科学は、性にあいませんでした。でも戦後まもない1947年に化学科を卒業して、渡辺格さん、日本に分子生物学を導入した「格さん」に拾われるという幸運に恵まれて、なんとか無事に63歳の定年(1988年)まで過ごして、それでこれ幸いと科学とは縁を切り、自分で勝手な本を読んで、勉強をはじめたのです。

定年になるころにはもう、自然科学はどこかまちがっている、生物を扱うには何かが足りないはずだと思っていました。「生物記号論」にも書きましたが、生き物を機械であると考えることが、どうも自分にはしっくりとこなかったのです。

僕はもともとディレッタントで、高校や大学の時代は、理科系でしたけれど、小説ばかり読んで暮らしていたような気がします。その当時は職も少なかったから、大学を出て商売替えをする勇気がなくて、おとなしく、まともな科学者の生活をしていたのですが、芸術にはずっと興味がありました。自分では、楽器もやらないし、絵を描くこともしないけれど、それをエンジョイすることは好きでした。だから科学者としては、二流、三流というところです。で、この本を書いたことで、ようやく自分の存在意義を自分で認めることができたように感じています。

科学には何か大事なものが足りないはずだと思っても、まわりにはそれを受け止めてくれるような人はいませんでした。ちょうど分子生物学がどんどん伸びているころだから、それに疑いをもつ人など誰もいやしないし、自分自身も感心して尻馬に乗っていました。分子生物学は発展するにつれて、テクノロジー化して、科学全体も技術化していった。ずっと昔ですけれど、アンドレ・ルヴォフという、フランスのパスツール研究所にいた、ノーベル賞をとった微生物学者が、自身がノーベル賞をもらいながら、「このごろノーベル賞というのは、思想に与えられるのではなく、分子に与えられるようだ」と皮肉をいったくらいで、そういう科学全体の傾向が疑問でしたね。

でもだからといって、どうしようということはなく、そういう生物学のテクノロジー化を批判するようなエッセイをいくつか書いたことはあるけれど、それ以上のことはありませんでした。

高野 でもそれは、先生が現役でいらっしゃったころには、そういう批判をしようものなら、へたをしたら生物学者としての職を失いかねないとか、そういう時代だったのですよね。

川出 そう。それで大学を退職する少し前あたりから、免疫系のはたらきが、言語系と似てるような感じがして、言語学の勉強をしているうちに、生物記号論と出会ったんです。非常にラッキーでしたね。