2011-03-01

豚肉のうどんすき、アサリの小鍋だて

「鍋」というものはおそらく、料理のなかで、最も原始的なもののひとつなのだな。

だいたい物事というのは、もともとは「未分化」な、渾然一体とした状態にあったものが、徐々に分化し、「部分」というものが発生し、それぞれの意味が、他の部分とはちがうものとして、区別されていく、という形で発展していくことになっている。

赤ん坊がことばを話すようになっていく道筋は、まさに典型で、はじめは「泣く」というひとつのことで、すべてを伝えていたものが、そのうちだんだん、いろんな意味をもつ「ことば」を話すようになっていく。

料理もたぶん、おなじように、いまでは「ごはんと汁物」とか、それにたいして「おかず」とか、おかずも「肉類と野菜」とか、それなりに複雑な構造をもっているわけなのだが、元はそれらが渾然一体としたものであったにちがいない。

そう考えると、鍋というものは、まさにそれに当たるものだとおもうのだよな。

鍋というのは、肉も野菜も、すべてをいっしょくたに、ぐつぐつと煮てしまうものなわけだが、それだけならカレーだって、似たようなものだ。でも鍋は、カレーにくらべて、さらに渾然一体の度合いがたかいと僕はおもうのだが、それは「つくる」ということと「食べる」ということが、分離されていないのだな。

ふつうなら料理は、あらかじめつくったものをお膳にならべ、それを食べるということになる。ところが鍋のばあいは、つくりながら食べる。だから「つくり手」と「食べ手」も区別されないし、料理が「完成する」ということもない。誰彼ともなくつくり、みなで食べ、食事の終了とともにすべてが終わるという、はなはだ単純なことになっているわけだ。

この何ともいえないルーズな感じが、鍋の魅力なのであり、僕のように一人で暮らしていると、毎日鍋になってしまうという理由なのだよな。

でももしかしたらこの、「つくり手と食べ手を区別しない」という方式は、東京の文化なのか。

東京のばあい、店にいっても、鍋というのは基本的に客が自分でつくるものだ。僕は大阪にいって、「美々卯」のうどんすきを食べたとき、店員がぜんぶつくってくれるということを知って、びっくりしたものだ。

お好み焼きでも、東京では自分でつくるものだが、関西や広島は、店の人がやってくれる。

あとそれと、ちがうのだけれど似た感じがするものとして、やはりこれも東京の食べ物の代表である、寿司や天ぷらがある。

料理屋というもののひとつの考え方として、「調理場」という、客席とははっきり区別された場所があって、料理はそこでつくられ、ウェイターやウェイトレスによって運ばれてくるというものがあるとおもうのだけれど、東京の寿司屋や天ぷら屋は、基本はカウンターで、料理はそこでつくられ、つくった人がそのまま客の前におく。つくり手と食べ手は、いちおうは別なのだけれど、かぎりなく近いところにいる。

だから寿司や天ぷらは、カウンターで職人と話をして、何がうまいのかをきいたり、こちらの好みを伝えたりしながら、あうんの呼吸で出てくるものを食べるというところに、何ともいえない楽しみがあるわけだ。

東京というのは、何でも細分化されていく場所で、たとえば関西や西日本にならふつうにある、「洋食屋」とか「食堂」とかいう、いろんな食べ物をごちゃまぜにして出す店はほとんどなく、「とんかつ屋」とか、「ハンバーグ屋」、「オムライス屋」、「天ぷら屋」、「うどん屋」などというように、単品の店に特化していく傾向があるとおもうのだが、逆にそういうところで、区別をとりはらい、バランスをとっているところがあるのかもしれないな。

◇ ◇ ◇

ということで、昨日の昼めしも鍋。

豚肉のうどんすき。

昆布とたっぷりの酒を入れた水で、豚コマ肉を煮て、うどんを入れる。うどんはほとんど煮込まず、ほぐれたらすぐ食べる。

しょうゆとみりんを、この煮汁で割って、タレにする。

一人暮しをしていて、簡単な食事をつくろうとおもうと、焼きそばとか焼きうどんをつくりたくなるところかとおもうけれど、それよりもこうやって鍋にするほうが、手間は変わらないのに、ぜんぜんリッチな感じがして、しかもうまい。

昨日はさらに、このスープに塩コショウで味をつけ、レトルトごはんを入れて雑炊にした。

晩酌は、アサリと大根の小鍋だて。

ポン酢ではなく、汁に淡口しょうゆで味をつけた。

それにおとといの残りの、鯛かぶと煮。

酒は佐々木酒造「古都」の、冷やを2合。