2010-09-25

名古屋

名古屋にいたのは、1年半強なのだけれど、来ると、帰ってきたという感じがするのだ。
僕がいた時期というのが、3年前までの1年半で、名古屋の経済がピークだったときだということや、僕自身の仕事という意味でも、充実していた時期だったということもあると思うが、それだけじゃなく、名古屋の人の気質というものが、僕にとって水が合う、ということもあるのじゃないかと思う。

「名古屋は閉鎖的だ」ということは、僕がこの春まで住んでいた広島や、今いる京都と負けず劣らず、言われることだと思うが、名古屋の人は、その人が自分の「仲間」であるのかないのかということを、するどく見分け、仲間にたいしては徹底的に温かいが、そうでない人間にたいしては冷たい、ということは、たしかにあるのだと思う。
しかし仲間になるというのは、べつに何も難しいことでもなんでもなく、まっすぐに自分を語る、ということに、尽きるのじゃないかという気がする。
そして仲間になってしまうと、そのなかに上下関係は、一切ない。
お互いが対等な、平たい立場で付き合うことができて、僕はそれが、何とも言えず心地よいのだ。

上下関係というものが一切ないということは、自分が何かを主張しようとする場合、立場を上にしたり下にしたりということが、できないということだから、そうなると必然的に、ひたすら濃くなっていく、ということ以外、ありようがない。
昨日は「ブラッサリー・アブサン」という、僕が以前住んでいたとき、毎日のように通い、自宅の居間がわりにしていたフランス食堂へ行って、そのころ知り合った人たちと、再会を喜んだのだが、その人たちがまたみんな、例外なく濃い人ばかりで、ちょっとした話題が、あっという間に、雪だるま式に膨れ上がっていくのを、僕は目をみはって眺めていた。

「アブサン」は、久屋大通の交差点を、ちょっと上がったあたりにある。
外から見ると、中がどうなっているのかよくわからず、僕は名古屋にいたころ、この店のすぐ近くに住んでいて、毎日前を通っていたにもかかわらず、数カ月は入れなかった。
あるとき友人を誘って行ってみたら、バーカウンターもあって、一人でも問題なく時間を過ごせることがわかって、それから入り浸るようになったのだ。

入り口を入ると、細い廊下がつづいているのだが、この左側が個室、先にバーコーナーがあって、その先はテーブル席というつくりになっている。
名古屋の長屋を改造したものなのだが、この工事を、開店当時のオープニングスタッフと社長とで、手作りでやり遂げたのだそうだ。

社長は長崎の人で、長崎といえば和洋折衷の洋館が立ち並ぶことで知られているが、この店の意匠も基本的に、和洋折衷。
和風のような、洋風のような、得も言われぬ微妙な感じがたまらない。

装飾も、社長がみずから蒐集した調度品や新聞の切り抜きなどが使われている。

この店は、まず酒が、ワインからカクテル、そして店名のとおりアブサンなど、膨大な種類があり、ほんとはそれを楽しむものなのだが、僕はここではいつも、まったく洒落気のない、スコッチの水割りを飲む。
ボトルは、ほんとにたまにしか来ないのに、ずっと置いておいてくれていて、今回もこれを飲みきってしまったので、また新しいのを入れてきた。

料理も、フランス式の、ちょっとくだけた料理がいろいろあるが、ひとりで行った場合には、この「ワンプレート」が食べやすい。
1,700円でひと通りのものが付いてきて、さらにこれにパンと、ワンドリンクが付く。

昨日は7時過ぎにここに来て、それから仲間が合流しながら、閉店の午前2時までいて、さらに仲間のひとりに、社長や従業員の人たちといっしょに、タイ料理を食べに行って、明け方の5時にホテルにもどった。
久しぶりに、フルに遊んだわ。