2009-11-26

小林秀雄全作品22 近代絵画

小林秀雄、相変わらず読んでいるのだ。全集28巻、プラス別巻4巻のうち、今22巻。やっと3分の2を越えたな。初めのうちは、何を書いてあるのか、よくわからず、でも小林秀雄の語り口が心地よくて、とりあえずただ文字を眼で追っていたことも多かったが、この頃は、読みながら、こういう本の読み方を少しずつ、覚えてきたということもあり、わからないと思うことも、ほとんどなくなった。小林秀雄から僕は、47にして、人生を学んでいると思っていて、小林秀雄を読んでいる時が、いちばん充実して、幸せな時間だな。

前の21巻を読んだとき、小林秀雄の人生のストーリーを、それまでは追いながら読めていたのに、いきなりそれが見えなくなったと思ったのだが、それもそのはず、小林秀雄は昭和28年に、半年間、エジプト、ヨーロッパを旅行し、各国で絵をひたすら見てまわったのをきっかけに、昭和29年から33年までの足掛け5年にわたって、この「近代絵画」を毎月連載し、そこに精魂のすべてを注ぎ込んでいたのであって、21巻に掲載されている文章は、それ以外の、いわば雑文というのに近いようなものだったのだ。わからないはずだ。昭和29年から33年というと、小林秀雄が52歳から56歳、まさに男子の一生で、脂の乗り切った時期だよな。その5年間を、ほとんど一つの仕事に費やすというのはすごいことだよな。まあしかし、そういう時期だからこそ、そうやって腰を落ち着けて一つの仕事にかかりきりになることが、できるようになるものなのかもな。

「近代絵画」だから、まさに近代の絵画について書いてあって、って言うまでもないが、モネから始まり、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ルノアール、ドガ、ピカソが取り上げられている。僕は絵のことはあまり詳しくないから、Googleの画像検索で、いちいち実際に絵を見ながら読んだ。ドストエフスキーについて書かれても、それを読んだことがない、というか、高校生の頃読んで、何が書いてあったか全部忘れてしまった僕のような人間にとっては、どうしてもよくわからないことがあるのだが、絵はすぐに見られるから、まあわかりやすいと言えば、わかりやすい。わかったような気になってるだけだとは思うが。

小林秀雄は、もともと文芸批評家だったわけで、デビューは毎月の文芸時評で、その時々の小説や評論を批評する、ということだったのだが、それがだんだん、現代の小説に嫌気がさして、「西行」やら「実朝」やら、古典文学を取り上げるようになり、さらに「モーツアルト」で音楽の世界に挑戦し、そして今度は絵画なわけだ。それはしかし、多才、ということではなく、そのたびに猛烈に勉強して、出来るかどうかわからないが、やってみる、という、まさに挑戦をしている。この近代絵画の次は、またこれも、何年にもわたって、フランスの哲学者、ベルグソンに挑戦するのだが、それは力およばず、未完のまま連載休止に至り、小林秀雄自身は、それを上梓することも、全集に収録することも禁じたということなのだが、まあすごいことだよな。

小林秀雄の批評は、常にすべてがそうなのだが、作品の技法やら主義やら、そういう表面的なことにはまったく捉われず、もちろんそういうことにも目配りはきちんとしながらも、その作者の人生がどんなものであったのか、それを明らかにしようとしていく。でもそれは、ただ伝記とか、作者の経験した出来事とかいうだけの意味ではなく、作者がどういう時代背景のなかで、どういう課題を持ち、それを創造ということによって、どのように実現したのか、ということを、小林秀雄自身の想像力によって、明らかにしようとしていくのだ。芸術家の内側で起こる創造活動そのものを見ようとしなければ、その作品を理解することはできないという、まさにもっともなことなのだが、現代という時代は、それを異端として排除しようとする枠組みになっている。客観的な事実だけが、真理を明らかにする唯一の道だからだ、と考えられているからだが、しかし本当にそうなのか、芸術家の内面を見ることなしに、芸術を論ずることはできないではないか、と小林秀雄は、この「近代絵画」で、後半、かなり激烈な現代文明批判をしている。

小林秀雄はもともと、それが考えの中心にある人だと思うのだが、それがあらわな形で出ていた初期の頃から、だんだん、それを抑えて、もっと穏やかになり、戦争に向けて時代がいよいよ難しくなっていくと、何とかそれを、理解してもらおうということに変わり、戦争中は、それに触れないことが、最大の批判であるとばかりに、日本の古典文学に没頭し、戦後は、また一常識人として、穏やかな感じでいたのだが、ここに来て、どうもまた、我慢ができなくなってきたみたいだな。世は高度経済成長で、科学技術一色、経済一色に、どんどん向かっていった頃だろう。何か言っておかなくてはいけない、と思っているということが、ひしひしと伝わってきた。

小林秀雄が次に挑戦したベルグソンという人は、小林秀雄はたぶん、そういう現代の文明と、折り合いを付けながらも、次の時代を見通せるような、そういう思想を見つけられるのじゃないかと思って、取り上げることにしたのじゃないかという感じがする。ベルグソンについての文章は、小林秀雄は全集に収録することを禁止したが、新しい全集には別巻として収録されていて、次の23巻を読む前に、本来はここに来るべきだった別巻を先に読むことにした。まあ、それがどういうことで、どう挫折したのか、これからまた楽しみだわ。

小林秀雄全作品〈22〉近代絵画