2009-04-12

DVD 「ダークナイト」

今更なのだが、バットマン、「ダークナイト」。
ダークナイトというのは、「暗い夜」かと思ったら、そうではなく、「暗黒の騎士」なのだ。
ゴッサム・シティーというアメリカ東海岸の架空の都市で、蔓延する犯罪と戦う、正義のヒーロー、バットマン、その正体は、大企業の若きオーナー、ブルース・ウェイン。
これが原作の元々の設定なわけだが、まあ僕は前作も前々作も見ていないので、詳しい所はわからないが、さすがに大都市の凶悪犯罪に、警官でもない一民間人が一人で立ち向かい、企業オーナーとしての財力と最先端の科学技術の助けを借りるとはいえ成果を挙げ、警察もバットマンを頼り、市民の尊敬を集め、しかもマスクを付けているとはいえ正体がばれない、というのは、あまりに現実味に欠けて、これ以上面白い映画を作るのは難しいと、映画を作るほうとしても思ったのだろう。
そのあたりの無理な設定を今回、全部覆し、バットマンの正義の名の下に行われる法を無視した数々の活動に市民が反感を抱き、バットマンは自らマスクを取り、正体を明かし、バットマンとしての活動を引退しなければならない、という所に追い詰められる。
それが暗黒の騎士としてのバットマンなのだ。
そういう話の舞台回しとして、バットマンに協力する若き新任検事、バービー・デントや、恋人レイチェル・ドーズ、そして楽しみながら暴虐の限りを尽くし、町を混乱の極に陥れる悪役、ジョーカー等が登場する。


さすがにハリウッドの超大作、迫力は満点で、カーチェイスから、巨大な建物が爆破されて崩れ落ちるシーンから、CGも駆使したのだろうが、アメリカのどこかの都市が、撮影に実際に、かなり踏み込んで協力したのだろうなと思わせる凄さだが、基本のストーリーとしては陳腐、要は楽屋落ち、元々有り得なかった設定を、ただ実際に有り得ないとしてみただけ、それを人間の狂気などというもっともらしいテーマ、英雄とは何ぞやという、何やら哲学的な論理や言葉、恋人との確執と別れというお涙頂戴、等々で飾り立てている。

まあこの映画を作ったハリウッドの人たち、人間とは何か、等ということを本当に真剣に考えているのではなく、ただ映画が成功し、お金が儲かれば良いのだろうから、そんなこといちいち指摘するのは意味がないことだが、しかし実際、この映画はアメリカで莫大な興行実績を上げたのだそうで、それっていうのはアメリカ人が、バットマンをほんとに好きだということなのだろうな。
ミッキーマウスが極悪非道の悪人になって、凶悪犯罪を繰り返す、なんて映画を作ったら、やはりものすごくヒットするんじゃないかと思う。
ミッキーが今までの人気者としての自分を、哲学的に振り返るとか、面白そう。
しかしディズニーはやらないよな、そんなこと、だってそうやってミッキーを地に落としてしまったら、ミッキーはそれで終わってしまうから。
今回はバットマン、完全に地には落ちずに、次への希望を抱かせる形で終わっているはいるが、しかし次はあるのか。

今回の成功は、ただ上にあったものを下に降ろしたときに、開放されるエネルギーによって得られたものだ。
何らかの、本質的な意味での創造活動が行われたわけではない。
次にはそのエネルギーは、もう残っていないわけだから、まあ、難しいんじゃないかな。
終わったな、バットマンも。
ロビンとかが出てくるのかな、今回出番なかったし。

あ、わかった、そうじゃなくて、今回は悪役として名を馳せたジョーカーが、今度は最後にはバットマンに協力し、いい者になって死んで終わる、ということで、次は行くんだな。
バットマンを下げることによって得られたエネルギーは、ジョーカーに充填されているんだ。
そうやって、キャラクターを上げたり下げたりして、金を稼いでいくわけだ。
さすが名作は、使い回しが利くんだな。