2013-06-08

内田百閒 『御馳走帖』

内田百閒 『御馳走帖』


ぼくは、「グルメ情報」についてはあまり興味が持てない。

それは世の中にうまいものは、星の数ほどあるだろうけれど、その甲乙をつけるだけの話なら、お金があれば誰でもできる話だ。

「だからどうした」と、金がないぼくにしてみれば、馬鹿にしたい気持ちになる。

しかし、その人の「食に対するこだわり」については、話が別だ。

食欲は人間の最も根源的な欲求だから、食のこだわりは、その人の「人となり」をはっきり表すものになると思う。

さらにそのこだわりが、変わっていればいるほど面白い。

「食のエッセイ」を読む楽しみは、そういう筆者独特の、食のこだわりを知るところにあると思う。





『御馳走帖』の筆者内田百閒(うちだひゃっけん)は、大正から昭和にかけて活躍した小説家・随筆家で、夏目漱石の弟子でもあった。

文章が格調高いことには定評があり、芥川龍之介からも敬愛されていたのだそうだ。

生家の造り酒屋が傾き、東京へ出てきて、陸軍士官学校のドイツ語教授をしていたが、贅沢な暮らしがたたって破産、職を辞し、家庭生活を放棄して、4年にわたって世間との交渉を絶ち、高利貸しからの追及を逃れる一人暮らし生活が続いた。

その後は妻とは別の女性と同居し、小説家としても頭角を現していく。



内田百閒は鉄道を、「目のなかに汽車を入れて走らせても痛くない」というほど愛し、ただ汽車に乗るだけのために旅行して、紀行文を著したことで知られているが、食に対しても並々ならぬこだわりを持ち、それがこの 『御馳走帖』には存分に発揮されている。

内田百閒の食へのこだわりが筋金入りであることは、『御馳走帖』 の冒頭、「序に代へて」という一文から、最も鮮やかに窺えると思う。

昭和20年7月13日から8月4日、終戦直前の日記という体裁で、ここにはビールやら米やら、代用粉やらをどうやって手に入れ、どうして食べたということが、事細かく記されている。

「悲惨」というよりは、「食い意地が張っている」という面持ちがする文章で、飄々としながらも、「人生の一大事は、戦況より食い物だ」ということを、確信犯的に伝えようとしているように思える。



また終戦前年、昭和19年に書かれた「餓鬼道肴蔬目録」という文章も、趣き深い。

これは戦争で、だんだん食べ物がなくなってきたということで、せめてうまいもの、食べたいものを思い出そうと、食べ物の品目だけを、100近くもずらずらと書き並べたものである。

その内容もさることながら、これを大の大人が、自分が嘱託をしている職場の自室で書いているといういじましさが興味深い。



内田百閒は、食べることはもちろんだが、それよりむしろ、食べるまでの過程を大事にした人であるように思える。

朝はビスケット、昼は蕎麦をすするだけにして、きちんとした食事は夜一食しか食べない。

その食事を楽しみに、楽しみにして一日を送る。

だから、出先で予期せぬ夕食をごちそうになってしまったりすると、「すべてが台無しになってしまった」と嘆く。



『御馳走帖』 には、役に立つことはあまり書かれていない。

しかし全編にわたって、内田百閒の食へのこだわりが色濃く描かれており、「だからどうした」ということはないのだけれど、とても幸せな気持ちになる。



「おっさんが一日一食なのは内田百閒と関係あるの?」

チェブラーシカのチェブ夫と『御馳走帖』

 ちょっとは影響受けてるよ。



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