2013-03-11

京都流「べた焼き」探訪第2弾。
「お好み焼き 吉野」

こんにちは。ご訪問いただきありがとうございます。

このブログは、50歳バツイチ独身ひとり暮らしのおっさん、高野が、日々の自作料理を中心に、ひとり暮らし生活のあれこれを気ままに書き連ねているものです。
「どうか」と思われることは多々あるかと思いますが、お楽しみいただけましたら幸いです。




さて昨日は、お好み焼きを食べに行った。


具と小麦粉のタネを混ぜて焼く、関西式「まぜ焼き」のお好み焼きばかりかと思っていた京都に、実は広島風にも似た「べた焼き」と呼ばれるお好み焼きがあると聞いたのは、最近のこと。
有名店であるたかばし「山本まんぼ」へ2回行き、昨日は島田紳助御用達の店として知られるという「吉野」。



七条通から大和大路通を三十三間堂の壁に沿って南へ行き、塩小路通も越えてちょっと行くと、住宅地の中に赤い提灯が見えてくる。





提灯を東に、細い路地を入って行くと、その奥に店はある。

まわりに店は全くない、辺鄙ともいえる場所なのに、店内はお客さんで一杯。
日曜日は電話してから行かないと、席がないこともあるそうだ。



お好み焼きには、やはりビール。



それにイカ焼きとホソ焼き。

イカは塩味、ホソは「シロ」とも呼ばれ、牛の小腸、お好みソースで味つけしてある。



鉄板焼きを食べ終わったら、お好み焼きを注文。


肉玉そば入り大、1000円。

「肉」は京都では牛肉のこと。
豚肉入りは「豚玉」と呼ばれる。

この店には他にも「イカ玉」「スジ玉」「ホソ玉」「油カス玉」があり、ホルモンを入れるのが特徴らしい。

焼き方は、タネを鉄板に丸くのばし、ソースで味つけして炒めた細切りキャベツと麺、それに具をのせて、最後に目玉焼きを張り付けるという、広島のお好み焼きとも似たやり方。
ただキャベツが量が少なく、炒めるだけで蒸さないところが、広島流とはちがう。



運ばれたお好み焼きは、好みで甘いソースと辛いソース、それに魚粉と青のりを振って食べる。
このコショウの利いた辛いソースが、京都流べた焼きの大きな特徴で、お店ではそれぞれ複数のソースを合わせて炊くなどし、自分で調合したりもするようだ。



吉野のお好み焼きはおいしく食べたけれど、卵を生で落とし、青ねぎをたっぷりと振る山本まんぼのほうが、ぼくにとっては好みだった。






今日は3月11日。
この日は2年前から、ぼくにとって特別な日となっている。

京都にいたから地震自体は感じなかったけれど、それから刻々と明らかになっていく悲惨な状況に、数日間はテレビの前を離れられなかった。

あまりに多くの人が亡くなったことに、日本人として、体の一部を引きちぎられるような思いがした。



震災自体も十分悲惨だったけれど、さらに悲惨だと思ったのが原発事故。
震災は天災だけれど、原発事故は、日本の中枢が機能不全に陥ったことにより起こった人災。

人災により多くの人が、故郷を失い、家族と離れ離れで暮らさなければならなくなっている。

健康の不安を、これから何十年にわたって感じ続けなければいけなくなっている。



ぼくは2年前の震災で、自分が「日本人」であることを痛切に感じた。
この災難は、「東北」ではなく、「日本」が受けたものであり、問題を解決するために、自分も微力を尽くさなければならないと思った。



しかし問題の解決には、これからまだ、長い時間がかかりそうだ。

自分が一つだけ、最低限しなければならないことは、「3月11日を忘れない」ことだと思っている。



「おっさんも目の黒いうちに何かしないとね。」


そんなに時間は残ってないからな。