2012-03-21

なんちゃって京都風の晩酌。
「なっぱ煮」「梅干しの卵焼き」「サバ味噌煮」




先日も、山口美江やら楢崎弥之助やらが一人暮らしの自宅で亡くなっているのが発見され、「孤独死」の問題がいろいろ取り上げられるようになっているけれど、実際に一人で暮らし、いつ孤独死するかもしれない立場の人間からしてみると、孤独死はそれほど悪いものとも思えない。

生きている人から見れば、死はつねに不可解なものであり、1回きりの、とり替えのきかない体験となるわけだけれど、いずれは誰だって、死ななければいけない。

しかも自殺でなく、人生をそれなりに全うしようと思うとしたら、人間に死に方を選ぶ方法はないのだから、べつにそれが早いのか遅いのか、どんな状況だったのかなど、大した問題ではないでしょう。

お迎えが来たら、「わかりました」と言って、素直に従うよりほかないことになる。



楢崎弥之助の場合などは、91歳で一人暮らしをしていたというのだから、初めから一人で死ぬつもりだったのでしょう。

一人暮らしの自由を謳歌し、そのまま自由に死ぬというのだから、まったくうらやましい限りです。

山口美江は、まだこれからもうひと花咲かせようと思っていたかもしれないけれど、「一人で暮らす」ことは、いろいろな事情もあるにせよ、本人の選択の結果でもあるのだろうから、それによって一人で死ぬことが、本人にとってそう悪いことであったとも思えない。

まわりの人間からしてみると、「もっと何かしてあげたかった」と思ってしまうところはあるわけだけれど、本人が一人暮らしを選んでいる以上、その死を前向きに受け止めてあげることしかないですよね。



自分の「理想の死に方」を考えるとすれば、僕はパリで野垂れ死にたい。

世界を旅し、気ままに暮らし、そのどこかで、人知れず死んでいたい。

以前健康診断で、医者に「65歳で死にたい」と言ったら、

「そうそううまくいくかどうかは分かりませんよ、えへへ」

と笑われたけど、物事、思い続けていれば、意外に実現したりするもんだ。






おととい「山ふく」で食べた「なっぱ煮」がとてもうまかったので、昨日は家で、おなじものを作ってみた。

山ふくのなっぱ煮に入っていたなっぱ、あれは何だったのだろう、たぶん「しろ菜」じゃなかったかと思うのだけれど、昨日は八百屋で「畑菜」を買ってみました。

畑菜は京都の地野菜で、冬のあいだだけ出回るものだけれど、いかにも「なっぱ」という風情の、素朴でやさしい味がする。



なっぱをすまし汁のタネにするわけだから、やはりなっぱのアクは、ちゃんと抜いておかなくてはいけない。

さっと下ゆでしておきました。

あとは昆布と削りぶしで取っただしに、酒とうすくち醤油で味付けし、油揚げをすこし煮てから、水にさらしてよくしぼり、食べやすい大きさに切ったなっぱをサッと煮る。



これは死にました。

ぷんと香るだしの風味に、なっぱの素朴な味がほんとによく合う。

油揚げがまた、いい味を出しています。

さすが京都、質素でありながら、神経の行きとどいた食べ物です。



このごろ卵焼きを作るようになり、新たな世界が拓けたような気がしているのだけれど、卵焼きのあのほっくりと甘い味と、梅干しが合うのではないかと思って、やってみた。

卵にそぎ切りした梅干し、砂糖、みりんと醤油をひとたらしして、これをふつうに焼く。



まだ卵焼きがあまりうまく焼けず、ちょっと焦げて形も不恰好になってしまったけれど、これはイケます。

予想どおり、卵と梅干しは相性抜群。

これ誰か、ぜひ試してみてほしいです。



あとは80円で買ったサバの半身で、サバ味噌煮。

だし昆布に水と酒をあわせて1カップ、砂糖とみりん、赤だし味噌で味を付け、きざみショウガをふり込む。

サバを入れ、落としブタをして、強めの中火で煮ること10分。



これも大変おいしく出来ました。

味噌は麹味噌より赤だし味噌が、コクがあっていいですね。



あとはスグキで、テーマは「なんちゃって京都風」。

大変けっこうな晩酌でした。



朝めしの、なっぱうどんも死にました。