2012-02-15

クリーミーなだしを吸い込んだ白菜が絶品。
「塩鮭のミルク鍋」


「組織は変えられるのか」という問いの、最もよくある答えとして、

「トップが変われば組織は変わる」

というものがあるだろう。

トップは組織についての全ての権限をもっているのだから、トップがその気になれば、組織はいくらでも変えられる・・・。

もちろんそれは、その通りなのだが、日本人の多くは、このことばに無力感を感じているのではないだろうか。



だいたい日本が、もし一つの組織であるとしたならば、この10年ほどのあいだに、日本人は選挙によって、トップを何度も替えてきた。

小泉政権は、国政選挙ではなかったけれど、自民党員をふくめた総裁選挙で成立した。

「自民党をぶっ壊す」と大見得をきり、郵政選挙では抵抗勢力の議員に刺客をたて、大幅な議席増をしたけれど、それでけっきょく、日本はよくなったのか。

ただ大企業の立場と利益をまもり、弱者が切り捨てられ、格差が拡大しただけだったのではないか。



つづいて日本国民は、自民党から民主党への政権交代をもはたした。

民主党は、長年の自民党支配を転換し、自民党にはできなかった数多くの政策を実行してくれるはずだった。

しかし結果は、この体たらくである。

民主党は今では、かつての自民党と何も変わらないことになってしまっている。



自民党も、民主党もダメだった。

それでは政界再編をし、第3極をつくるしかないとのことで、現在さまざまな思惑がうごめいているようだけれど、しかしもう、ただトップの首をすげ替えたからといって、日本が変わるものではないということは、多くの日本人が感じはじめているだろう。

何かもっと、根本的なところで、日本は変わらなければならない。



それが何なのかは、私自身もよくわからないけれど、先週発売された「週刊文春」に、参考になると思えることが書かれていた。

京セラとKDDIを創業し、現在はJALの会長をつとめている、稲盛和夫氏のインタビューだ。



民主党の応援者だった稲森氏は、鳩山元首相の要請をうけ、2年前、倒産したJALの会長に就任した。

「誰がやっても火中の栗を拾うようなものだ」といわれたJAL再建だが、なんと1年後の昨年には、もう黒字化を果たしていたのだという。

現在はJAL生え抜きの社員が社長となり、1年後には稲森氏が会長を退任すべく、準備が進められている。

絵に描いたような、見事な「V字回復」というわけだ。



稲森氏は、まずJALの体質を変えることに専念した。

長年国の政策に依存することでつちかわれた官僚体質が、JALには抜きがたく残っており、稲森氏は幹部からキャビンアテンダントまで、さまざまな社員たちと膝詰めで話をした。

幹部には、

「皆さんのような考え方では、町の八百屋も経営できない」

と言ったのだそうだ。



稲森氏が強調したのは、

「これからJALは、株主のためでもない、政府のためでもない、社員の幸せを目的として経営していく」

ということだ。

それまでは、政府やお役所の横槍がずいぶんあり、それがJALの経営方針を左右することも少なくなかった。

稲森氏は、

「役所の干渉は、一切心配しなくていい。私が全部、正面から受けるから」

と幹部たちに言った。

そうして、社員たちがJALを「自分の会社だ」と思うようになると、骨身を惜しまず努力するようになったのだという。



稲森氏は、

「ふつうの経営者は、経営を『損得』で考えるけれど、そうではなく、経営は本来、『善悪』で考えなければならない」

と言う。

ものごとを善悪で考えるためには、立派な人間性をもっていなくてはならない。

だから経営者はまず、「自分が人間としてどうあるべきか」を考えることが必要となる。



JALはアメリカン航空をリーダーとした「ワンワールド」という航空連合に加盟していたが、ある時ライバルの「スカイチーム」が鞍替えをもちかけてきた。

日本のお役所も、それとはなしに、圧力をかけてきた。

スカイチームはすでに強力な太平洋路線をもっていたから、JALが加盟すれば、さらに大きな勢力となる。

しかしJALが抜けることにより、アメリカン航空は一気に劣勢に追い込まれることとなる。

長年いっしょにやってきたアメリカン航空にたいし、そのような仕打ちをすることは「人間としてそれでいいのか」と、社内で検討させた結果、やはりこれは善悪で判断し、ワンワールドのままで行こうということとなったという。



「社員の幸せ」とか、「人間としての善悪」とか、言われてみれば当たり前のことだ。

しかし組織のトップが、そのことに対し、まっすぐに筋を通そうとすれば、組織から大きな力が生み出されていく。

「会長である自分が、一人でしゃちほこばってやろうとしても、JALのような大きな会社が動くものではない。社員の一人一人が、自分の会社を変えようとしなければ、会社など変わっていかない」

稲森氏のことばは、「これからの日本」を考える上でも、示唆に富むといえるだろう。



「トップが変われば、組織は変わる」

それはたしかに、その通りなのだろう。

JALの再建が、鮮やかにそれを示している。

ただ会社と日本とをくらべて考えてみたとき、異なることは、会社のトップは社員が選ぶわけではないけれど、日本のトップは、国民が選んでいるということだ。

もちろん国民は、首相を個人指名しているわけではないけれど、それなりの選択はしてきている。

もし日本がどうにも立ち行かないのが、トップが悪いためだとしたら、それはそのトップを選んだ、日本国民の責任だ。

日本は、日本国民が悪いから、うまくいかないということなのだろう。



それでは私たち日本国民は、どうしたら「良いトップ」を選ぶことができるのか。

おそらく、それを考えるためには、稲森氏に学ぶことがあるだろう。

「人間としてどうなのか・・・」

「幸せ・・・」

「善悪・・・」

日本人がとうに忘れ去ってしまったような、「古びた」とも思えるこのような考え方が、現代における超巨大企業の再生にすら有効であることを、稲森氏はしめしている。



「人間としてどう生きるべきなのか」

現代ほど、この問いの答えが、見えにくくなってしまっている時代はないのかもしれない。

しかしそれを、日本人の一人一人が、自分の問題として見つけていこうとすることからしか、日本が再生していく道は拓けていかないのではないだろうか。






肉ばかり食べていると、やはり魚が食べたくなる。

魚は健康にいいといわれるが、どう健康にいいのか、詳しいことは知らない。

しかし身体が「食べたい」というものを食べていれば、健康にいいのだろうと、勝手に思っている。



ただこれも、注意が必要だ。

身体は往々にして、すぐに甘えたことを言ってくる。

食べ過ぎた翌日は、すぐにお腹が空く。

身体がどういうつもりで言っているのかについては、耳を澄ませるようにしないといけないだろう。



スーパーに塩鮭が安く売っていたから、これで「ミルク鍋」をすることにした。

ミルク鍋は和風だしを使うが、クリームソースとほぼおなじ味がする。

「鮭のクリームソース」は定番だから、鮭はミルク鍋にも合う道理だ。

入れる野菜は、すこし洋風っぽくジャガイモに玉ねぎ。

あとは白菜、油揚げ、小松菜にシメジ。



昆布と削りぶしでだしを取り、そこにだしと同量の牛乳を注ぎこむ。

みりん、それに少なめのうすくち醤油で味をつけ、塩を足す。

うすくち醤油だけで味付けしてしまってもかまわないが、醤油は少なめにしておいたほうが色がきれいだ。

さらにバターを1かけ落とす。

好みでニンニクのうす切りを入れてもいい。



あとは、鮭、ジャガイモ、玉ねぎ、白菜・・・と、煮えにくいものから鍋に入れていくだけ。



粗びきの黒コショウをかけて食べる。

クリーミーなだしをたっぷりと吸い込んだ、白菜が絶品。



うどんはグラタンのような味で、これがまたいい。