2012-01-05

だしを取ると、料理にハマる。
「肉豆腐」


前日のおでんのだしを、ただ捨ててしまうのは、もはや犯罪とすら、言えるでしょう。

昆布と削りぶしで、しっかりだしを取り、さらに鶏肉のだしまでたっぷり出ているのだから、こんなにおいしいものはない。



だしなんですが、もしあまり料理に興味がもてない人がいたら、ぜひ自分でだしを取ってみることを、おすすめしたいです。

僕自身が、もう10年以上前になりますが、それまでも、まったく料理をしなかったわけではないけれど、料理の楽しさをほんとうに知ったと思えたのが、自分でだしを取ったことがきっかけだったんです。

後になり、ある料理が非常に好きな男性に、なんで料理をするようになったのかと聞いたら、やはりだしを取ったことがきっかけだと言っていました。

また別の友だち、それも男性ですけど、彼にだしを自分で取ってみるよう勧めたところ、彼も嘘のように、料理にハマっていました。

ですからとくに男性で、料理に興味はあるけれど、まだそれほど面白いとは思わないという人がいたら、ぜひ自分で、だしを取ってみてください。



なぜだしを取ると、料理の楽しさがわかるかといえば、おいしいだしがあると、そのだしを使って、何かが作りたくなるんですよね。それで実際作ってみても、だしがおいしいから、あまり失敗がなく大変おいしくできることになる。

この、作りたいものが「何か」であることが、重要なんだと思うんです。



まだあまり料理になじみがないと、何かのレシピを見て、その通りに作ってみることが、たぶん多くなるでしょう。

もちろんそれは、決して悪いことではないのだけど、そこにあるのは、料理の「作業」としての側面なんですよね。

ところが料理には、「創作」の側面がある。

自分で何を作ろうか考え、実際にその通りやってみて、できた料理を食べてみる。すると「おいしかった」とか「イマイチだった」とかいう反省があり、それを踏まえて、また新たな料理法に挑戦してみる。

そこに料理の大きな楽しさがあると、僕は思うんです。



ところが、この作業から創作への移行が、意外にむずかしい。

下手な創作をしても、つまらないものしかできず、食べてもまずいからなんですね。

やはり創作をするには、まずは基本をおさえる必要がある。

その基本が、日本料理においては、「だし」であるということなんですね。



だしから出発するかぎり、やっていることが、基本を大きく外れることはない。

しかもだしがおいしければ、出来たものは、どうやっても、だいたいうまい。

そういうことがあるから、だしを自分で取ってみると、料理の「創作」としての側面に、一挙に飛び移れるということなのじゃないかと思うんです。






さてそういうわけで、昨日は前日のおでんだしを使い、「肉豆腐」を作ることにしました。

毎日寒いから、やはりあったかいものが食べたいですよね。



肉豆腐を作るには、牛肉か、豚肉かの選択肢があるわけですけど、僕は関東の出身だからか、肉豆腐には、やはり豚肉。しかもバラ肉が、やはりおいしいですよね。

スーパーで、焼き豆腐とバラ肉を買い、そこにあと、何を加えようかを考えるのが、また楽しい。

豚肉にも豆腐にも合い、そのまま煮てだいじょうぶで、色合いもいいものということで、小松菜。

さらにその三者を、うまく補うようなものとして、しめじ。

それだけ決まれば、あとはこの材料を、おでんのだしで、グツグツ煮るだけです。


ただ全部をいっぺんに鍋に入れ、おでんだしを張り、10分か20分か、豚肉に火が通り、小松菜がやわらかくなるまで、弱火でコトコト煮る。

昨日は芋棒のだしが、そちらもまだ余っていたので、おでんだしにブレンドして使いました。

削りぶしに、鶏に、棒ダラに、今回の豚肉。

最強のだしになってしまった。




これは家族のばあいだと、成立するものかどうか、分からないけれど、ひとりだと、卓上でコトコトやるのが、また楽しいんです。

お酒につまみを用意しておいて、チビチビやりながら、鍋を煮る。

こういう場合、時間を短縮するために、鍋にフタをしたり、火を大きくしたりしてしまうと、つまらないんです。

キャンプファイアーとおなじようなもので、鍋が沸くのをぼうっとしながら眺め、ゆっくりと時間がたっていくのが、なんともいいんですね。




七味をかけると、またうまいです。