2011-10-23

買い出しほど、たのしい仕事はない。「たらチリ鍋」


檀一雄は「檀流クッキング」の冒頭で、

「この地上で、私は買い出しほど、好きな仕事はない。あっちの野菜屋から、こっちの魚屋と、日に3、4度は買い出してまわっている。 
日本中はおろか、ひょっとしたら世界中の市場を買い漁ってまわっているようなものかもわからない。 
おそらく、私の旅行癖や放浪は、私の買い出し愛好と重大な関係があるのであって、私にとってその土地に出かけていったということは、その土地の魚菜を買い漁り、その土地の流儀を、見様見真似、さまざまのものを煮たきし、食ったということかもわからない」

と書いている。

僕もこのごろ、家のちかくの商店街で買い物をするようになり、買い出しのたのしさを、すこしずつ、感じはじめているところであったのだが、昨日まさに、上の檀一雄のことばを、実感するようなことがあった。



商店で買い出しすることのたのしさは、やはり何といっても、店のおいちゃんやおばちゃん、お兄ちゃんと、やりとりするところにある。

商店はスーパーとちがい、仕入れできるものの点数もかぎられてくるから、スーパーが、「売れるものなら何でもおく」のにたいし、商店は、「店主のおすすめ」を中心として、品揃えされることになる。

これを見るのが、まずたのしい。

八百屋なら、地元の農家から、直接仕入れたものをおいてあるようなところもあるし、魚屋でも、「今日はこれ」という目玉商品がかならずある。

スーパーの目玉商品は、「値段が安い」という以上の意味が、ほとんどないが、商店は、もちろん値段のこともあるにせよ、それを「いい」とおもっておいている。

それがどう「いい」のか、眺めたり、店のひとに直接きいたりすることが、たのしい。

スーパーでは、野菜でも魚でも、旬にかかわりなく、何でもおかれるが、個人商店は、旬のものを中心として、品揃えされるのも、よいところだ。



それから、とくに魚の場合、どう料理したらいいのか、わからないことも多い。魚は肉とちがい、入念な下処理が必要になることも多いし、そのやり方が、魚の種類によって、イチイチちがっていたりする。

そのやり方を、こと細かにきけるのも、商店のいいところだ。

素人だと、かなり初歩的なところから、きかないといけないことになるのだけれど、よっぽど忙しいときは別として、商店の人が、それを嫌がることはない。

自分たちが、スーパーと対抗できるのは、そうやって、お客と、心のかよったコニュニケーションをすることだと、承知しているから、よろこんで教えてくれる。

さらに魚の場合なら、希望すれば、すぐに魚の下処理もしてくれる。しめ鯖にするならしめ鯖用に、鍋にするなら鍋用に、塩を振ったりするところまでやってくれるから、調理の手間もはぶけるし、魚の生ゴミを、ゴミの日まで、家においておく必要もなくなる。



そうやって商店で買い出しするたのしさを知ると、買い物することよりも、商店のおいちゃんやおばちゃんと、話をするために、商店街へいくようにもなる。

とくに、料理のやり方を教えてもらったり、下処理をしてもらった場合など、翌日、その日はその店で買い物しなくても、料理の結果がどうだったのか、報告するためだけでも立ち寄ると、たいへんよろこんでもらえるし、こちらもうれしい。

スーパーももちろん、便利だし、利用価値は高いけれど、もし家のちかくに、個人商店の八百屋や魚屋があるのなら、ぜひ利用してみることをすすめたい。



昨日は、いつも行きつけの、商店街の魚屋へいったら、僕の顔をみるなり、若大将が飛びだしてきた。

「たらのアラの、いいのがあるよ」

という。

僕が店へいき、何にしようか迷っているとき、教えてくれるというのでない。

僕の顔をみた、ほんとにその瞬間に、奥の調理場から飛びだしてきてくれたのだ。

これはおそらく、若大将は、そのたらを仕入れた時点か、店で魚をさばいた時点で、

「あの、アラが好きなお兄ちゃんがきたら、これ買ったらいいのにな」

と、おもっていてくれたにちがいない。

なんともうれしいじゃないか。

そこで僕は、ふたつ返事で、値段もきかずに、それをもらうことにした。

お兄ちゃんが、そうやって、僕に売りたいとおもってくれるのだから、悪いものであるわけがない。



そうやって手に入れた、たらのアラ。


まるまる一匹分のあらがはいっているのだが、このイキのよさといったら、半端がない。

プリプリの、グニャグニャ。

たらは今まで、スーパーでみたりして、どうもしょぼくれた魚だとおもっていたのだけれど、イキのいいのは、やはりこんなにちがうのだ。

僕が鍋に入れるといったら、それ用に塩を振り、もみ込んでくれるところまでやってくれたのが、350円。

考えられない値段だろう。

このたらを使い、おとといの鯛チリ鍋につづき、昨日はたらチリ鍋と、洒落こむことにした。



「チリ鍋」とは、要は水炊きにした魚を、ポン酢で食べることだ。


鍋に水を張り、昆布をいれて、そこにたっぷりと、酒を入れておくようにする。

この酒だが、スーパーなどで売っている、塩分の入った、安い「料理酒」ではダメだ。かならず、塩分の入っていない、「料理用清酒」か、安い「日本酒」を使うようにする。

塩分が入っていると、味付けが狂うし、はじめに酒を入れた時点で塩味までついてしまうと、甘みをつける場合、甘みが材料のなかに、入り込みにくくなる。


今回は、すでに塩を振ってくれていたから、自分でする必要がなかったけれど、一般にアラをつかう場合は、まず塩を振り、しばらくおいておくようにする。これは臭みをとるためだ。

たらの場合、あまり臭みのない魚だから、ただそれを、よく水洗いして、鍋に入れればよいと、魚屋のお兄ちゃんはいっていた。

鯛やぶりのアラの場合だったら、さらに湯通しをする。

野菜は、家族で鍋をする場合だったら、いろいろ入れたらいいが、一人鍋は、鍋に入れる材料の種類を、「どれだけしぼれるか」がポイントとなる。

今回は、池波正太郎の流儀をまねて、長ネギと豆腐。


タレは、ポン酢に、「もみじおろし」となるわけだけれど、めんどうなので、大根おろしに、一味唐辛子を振りこむ。それに青ネギ。


まずアラだけを、アクをとりながらすこし煮て、あとから野菜と豆腐を入れ、ひと煮したら、すぐ火を止める。


魚屋のお兄ちゃんから、

「目のまわりと、口のまわりの、ドロドロのところを味わってください」

と、念を押されたが、実際アラは、目のまわりや口のまわりのところに、コラーゲンのやわらかい部分があり、そこを「ズルッ」と、吸いとるように食べるのが、一番うまい。

アラを食べる場合、基本は、あるていど箸でつまんだら、あとは「骨ごとしゃぶる」ことになる。


このたらチリ鍋と、冷蔵庫に入っていたおかずで、冷や酒を、コップで2杯。

いやこれはたまらん。


食べ終わったら、もちろんのこと、「雑炊」へいかなければならない。

おとといは、雑炊を失敗してしまったのだが、昨日はちゃんと、あらかじめ、米を研ぎ、水にひたしておいた。

これをザルにあけ、鍋に入れる。

米の量は、汁の量の5分の1以下。小さな鍋だから、1カップちょいくらいの汁が、あまっているとしたら、カップに4分の1くらいの生米で、ちょうどいいくらいの量の、おいしい雑炊ができる。


塩だけで味付けし、吹きこぼれないよう、フタをすこしあけ、弱火で15分くらい、コトコト煮る。

煮はじめるとき、米が鍋の底にくっついてしまわないよう、よくかき回しておくとよい。

煮え加減は、雑炊はフタをあけてかまわないから、目でみたり、さじでかき混ぜたりして、水気と米の割合が、好みの具合になったら、火を止めるようにする。

フタをしめ、5分くらい蒸らしてもよい。


たらの出汁をたっぷりと吸い込んだ雑炊。

いやいやいや。

これはほんとに、たまらない。