2011-10-19

池波正太郎流、鶏細切れ肉の水炊き


池波正太郎は、小学校を卒業すると、株の仲買店へ奉公にでた。

給料は、それほど高いこともなかったろうが、小遣い銭やチップを元手に、内緒で相場をやり、給料を上回る儲けを得ていたのだそうだ。その金で、池上は読書や観劇をし、歌舞伎の理解を深めるために長唄まで習い、それがその後の、作家生活へとつながっていったわけだが、遊びもずいぶんと、派手にやっていたらしい。

東京はもちろんのこと、京都、大阪、その他全国の、名の知れた店を食べ歩き、吉原にも出入りした。

10代の多感な時期に、そうやって池波は、遊び倒していたからだろう、池波の書いたものを読むと、戦前の東京下町の、「粋」の文化を垣間見られる心地がして、それがなんとも、たまらないところだ。



そうざい料理帖」は、池波が自分の家で食べるものについて、書いたものを中心に、まとめてあるのだが、ごくごく質素な食べ物のなかに、やはりこの「粋」が感じられ、興味が尽きない。

おもしろいものはいくつもあるが、その中でも「小鍋だて」は、たいへん惹かれるもののひとつだ。



池波にとって、冬になると、底の浅い、小さな土鍋が、

「何よりの友だち・・・」

となる。

魚介や肉、野菜などを、この小鍋で、煮ながら食べる。さまざまな変化をつけることができるので、池波はこの「小鍋だて」を、毎日のように食べても、飽きることがなかったそうだ。

「たとえば、小鍋に酒3、水7の割合で煮立て、浅蜊のムキミと白菜を入れて、さっと火が通ったところを引き出し、ポン酢で食べる。 
小鍋だては、煮すぎてはいけない。だから白菜なども、細く薄く切っておく。 
この2品を、おでんをする時の出汁で煮て、七味唐辛子で食べると、また味が変わる・・・」

小鍋だては、むかしから洒落たものとされていて、高級な材料をこたつの上で煮ながら、好きな女と一杯やるのは、たまらないそうだ。しかし池波は、たとえば鶏肉だったら、細切れのもっとも安い肉を使う。

池波が小鍋だてをおぼえたのは、浅草にあった「騎西屋」とか、「三州屋」とかの大衆食堂においてだった。

まだ小学生だった池波は、ここで出される、牛なべやら、豚なべ、鳥なべ、蛤なべ、やらの小鍋だてが、食べたくてたまらず、親からもらった小遣いをためこんでは、食べに出かけていたのだそうだ。

終戦直後には、家を焼かれた池波は、そのころ暮らしていた焼け残りのビルの一室で、上野にいた浮浪者から買った、銅製の小さな鍋を使い、毎日のように小鍋だてをやっていた。



そうやって池波が、長年にわたって食べつづけた小鍋だてだから、何気なく書かれているようなことの中にも、池波の食にたいする好みを、あらわしているように感じられるものがある。

池波は、水炊きをやるときには、鶏肉は細切れを使う。それに、

「葱と豆腐、人参の細切れ」

を入れる。

「まことに、うまい」

と書いている。


昨夜は、この「池波流」、鶏の水炊き。

定番の白菜を使わずに、ねぎとニンジンだけにしぼってくるのが、憎いところだ。鶏肉とねぎは、焼き鳥などを見てもわかるとおり、たいへん相性がいい。

ニンジンを「細切り」にするのが、また独特なのではないかと思うところなのだが、この細切りのニンジンが、鍋に泳ぐさまが、意外性があり美しい。この切り方は、池波のこだわりなのだろう。


薬味については、池波は何も書いていないが、ポン酢に大根おろし、青ねぎと、一味唐辛子を振りこんだ。


池波は水炊きを食べ終わったら、鍋に残った濃厚なスープを、塩とコショウで味をととのえ、熱い飯にかけて食べる。

「うまいこと、おびただしい」

と書いている。

僕はいつも、それに倣いたいと思うのだけれど、かならず鍋や肴だけで腹がいっぱいになってしまい、そこまでたどりつけない。




2日目のしめ鯖。初日のぷりぷりした食べごたえもいいが、こちらは味がなじんで、まさにとろけんばかりになっている。




などなどの肴で、昨夜は冷や酒をコップに2杯。




昼飯にはソーミンチャンプルー。

暑い時期には、毎日のように食べていたのだが、久しぶりに食べると、やはりうまい。

野菜は、ほんとうはニラがうまいが、長ネギを細く斜め切りしたものでもよい。

そうめんは、普通どおりのゆで時間でゆで、ざるに上げ水で洗って、よく水を切っておく。

熱したフライパンに、ツナ缶を、中に入っている油もすべて、そのまま入れる。長ねぎを入れる。そうめんを入れ、塩コショウして炒める。

そうめんは、あるていど炒めたほうがうまいが、炒めすぎると粘りがでてきてまずくなる。その微妙な炒め加減が、コツといえばコツの、非常に簡単な料理。