2011-08-29

やはり秋は焼きナスだろう


ここ数日、気候がめっきり秋らしくなり、日中の気温はそこそこ高くなるのだが、湿気が和らぎ、空気はさわやかだ。京都の夏は、早朝でも、もわっとした生ぬるい空気があたりを覆っていて、さわやかさのかけらもないのだが、もうこの頃はそんなこともない。こないだまではうるさいほど鳴いていた蝉も、もう鳴くのをやめた。ただし蚊だけは相変わらず頑張っていて、さっきも神社でお参りをしたら、10箇所ほど刺されまくった。

蚊に刺されては、ムヒをつけるという生活をしていたが、考えてみたら公園で体操したり、神社でお参りしたりすると、蚊に刺されるのは解っているのだから、刺されてからムヒを塗るよりは、虫除けスプレーを吹きつけてから出かけるようにしたほうが、効率的なんじゃないかと今日思い付いたのだが、もう夏も終わってしまうんだな。

僕は相変わらずパンイチで過ごしているが、いつTシャツを着るか、そろそろ考えどころになってくる。パンイチは単なる暑さ対策にとどまらず、一種のライフスタイルだから、この心地いい生活を、できるだけ継続したいところではある。

夏好き人間にとっては、この時期はまさに夏が終わらんとする、何とも寂しい季節なわけだが、しかしまあ、秋は食い物がすごくなるから、許してやろうという気にもなる。魚だけ考えても、まずサンマが来て、それからサバになり、さらにブリと来る。この三連打には、もう参りましたというしかない。

去年は家のオール電化のワンルームマンション、非力なIHレンジしかなかったため、イマイチうまく魚が焼けなくて、焼き魚をしっかり堪能することが出来なかったわけなのだが、もうIHレンジへのつまらないこだわりはやめ、カセットコンロを使うことにしたから、魚はいくらでも焼き放題だ。今年は去年を挽回するほど、徹底的にやらんといかんな。


野菜も秋は色々あるが、やはりまず筆頭はナスだろう。揚げてよし、炒めてよし、塩もみよし、おしたしもOKと、どうやってもうまいわけだが、一つ選べと言われたら焼きナスじゃないか。焼くというのはやはり日本人にとって、独特の情緒があるんだな。去年は焼き茄子も、IHレンジにフライパンでは今一つうまくいかなかったが、今年はカセットコンロに焼き網で、これもやり放題。いい時代になったもんだ。

「秋茄子は嫁に食わすなと」言われるが、これが何故なんだか、時々考える。ナスは体を冷やすからだとか、また逆にあんまりうまいものを食わすと嫁が図に乗るからだとか、諸説があるらしいが、僕はナスのあまり他人と協調的でない性格によるところもあるのじゃないかと思うのだな。

とにかくナスはアクが強いから、鍋や煮物で他の材料と合わせることが全くできない。単品で料理してやるしかないわけだ。いくらうまいとは言え、こういう協調性のないことでは、嫁としては失格だろう。それで嫁にはナスは食わせず、きちんと協調的な性格を身につけさせろということなのじゃないだろうか。


昨日はあとは、あさりの酒蒸し。これは春が旬のはずだったと思うが、いつまでも安く出ているのだな。また酒蒸しは作るのがあまりに簡単で、短時間でできるにも関わらず、大変うまいときているから、庶民の食卓としてこれを活用しない手はないわけだ。


昨日は実は、昼にもあさりを食った。あさりと大根の雑炊。中国産のむき身のあさりが、100グラム100円ほどで出ているんだよな。この安さが魅力で、僕はしょっちゅうお世話になる。昆布だしにごく淡く味をつけると非常にうまい。


キュウリにセロリの浅漬も作ってみた。この頃ちょっと浅漬にハマっている。簡単に作れるのに、数日にわたってサラダ的な感覚で楽しめる。塩と酢、だし昆布と鷹の爪。これをよく揉み込んでタッパーに放り込み、冷蔵庫に入れておくだけ。キュウリとセロリの組み合わせもかなりいける。


豆腐はほとんど毎日食っている。あまりこだわりなく、スーパーで一番安い木綿豆腐を買うのだが、飽きることはない。


シメは酒蒸しの出汁にうどんを入れた。これはたまらなかったっす。