2011-07-08

色々考えると分からなくなるのは仕方ない

日本は一度「江戸時代」に戻ってみたらいいんじゃないかと思うのだが、それはダメなのかな。

だいたいが小さな国土で、山が多いから住める場所も少なくて、資源も限られている。そこで自然と調和し、限られた資源の範囲で出来ることだけをやる。

そういう生活に戻ってみたらどうなのかと思うんだがな。

例えば会社なんかで、無理に無理を重ねて一生懸命仕事をする。そうするとどうしたってストレスが溜まって、それを解消するために、仕事が終わると盛り場に繰り出さないと気が済まなくなる。
そうやって、「生産」と「消費」とを左右に大きく振りながら生活していくことが、経済を成り立たせ、日本を豊かにしていくことだ。
これまでそういう風に考えて、日本は世界の経済戦争に参戦してきたわけだ。

その行き着く先に、今の原発問題もある。

結局これまでの経済状態を保つためには、多大な電力が必要だから、それを賄うためには原子力発電所が必要だと、そういう論理だ。

でもそろそろ、そうやって頑張って頑張って、経済戦争を戦い抜くということは、やめてみてもいいのかもしれないという気がするんだよな。

ただ問題は、それをやめると日本はどうなるのかということだ。

まあ経済的に貧しくなるのは間違いないわけだ。

安くて大量の電力が必要な大企業は、日本から出ていく。だいたいそれ以前に国民が物を買わなくなるわけだから、つぶれる企業も出てくる。失業者は街にあふれる。外でお酒を飲んだりもしなくなるから、飲み屋もつぶれる。等々。

それはたしかに、あまり幸せなこととは言えないから、諸手を上げて「それでもいい」とは言えないわけだよな。やはりきちんと食って、生活していくということも大事なことだ。

僕の場合、このところ、日本のことをあれこれ考え出すと、そのあたりでどうしたら良いのか分からなくなって、思考停止状態になる。
もっと慎ましい生活をしてみてもいいと思うが、かと言って他人の不幸を推奨するわけにもいかない。

まあしかしべつに、何もかも分かっている必要などないわけだ。日本だってこれから、なるようにしかならない。
結局は日本人の「総意」というものが、この国のこれからを決めていくことになる。
でもその総意の中の、1億分の1には、僕も入っているわけだから、それなりに真面目に考えたいとは思うのだよな。


一昨日の昼めしは、キャベツのソーミンチャンプルー。まあうまかったのだけれども、作り方の手順を失敗したと思うのだよな。

僕がこれまで作っていたソーミンチャンプルーは、ニラを使っていた。ニラは瞬間的に火が通るから、フライパンにツナ缶を入れて、ニラを入れて、それからゆでた素麺を入れて…という作り方で問題なかった。
同じ手順でキャベツをやってみたのだけれど、キャベツはニラと違って火が通るのに時間がかかるものだから、延々と炒めるうちにツナが乾いて焦げ付いてしまった。
僕が思うにこれは、素麺を茹でる時、キャベツも一緒に下茹でしてしまったら良いのじゃないか。
今度作る時はそういうやり方をしてみるつもり。


昨日の昼めしは馴染みの喫茶店「ikoi cafe」のランチ。豚ロース肉の生姜焼きに万願寺とじゃこの炊いたん、その他。

万願寺はヘタも取らず、種もそのままで、大きくぶつ切りにするだけで炊いていた。僕は今までわざわざヘタと種を取り、小さく刻んでいたのだが、そんな必要ないんだな。


晩めしは肉じゃが。グルメシティでは毎週木曜の特売で、オーストラリア産の牛コマ肉を安く出すので、いつもそれを使って肉じゃがを作るのだ。
作り方は極めてシンプル。カップ一杯の水に砂糖と醤油で味をつけて、野菜と肉を煮汁がなくなるまで煮る。以上。
調味料は他に一切入れないし、アクも取らない。
調味料を入れるタイミングとか、最後に煮汁を煮詰めるためにフライパンを煽りながら上下を返したりとか、多少のテクニックがないわけではないが、別にそんなのどうだって、そこそこ美味しくいくはずだ。

ただ大切なポイントは、「七味をかけて食べる」こと。これをするのとしないのとでは、味が10倍くらいは違う。
肉じゃがに青ネギをかけるというのは、広島で覚えたやり方。これは好みでどちらでもいい。

酒は福島、大七からくち生もと。昨日もこれを2合。