2011-04-30

京都地酒フェスタ

昨日はウエスティン都ホテル京都で開催された「地酒フェスタ」というのに行ってきた。僕はこれまで、この手の催しは敬遠していて、広島でも「酒まつり」というものが、毎年西条で開かれていて、僕は広島にいるあいだに2回、行こうとおもえば行けて、誘われもしたにもかかわらず、けっきょく行かなかった。だらだらと泥酔してくだを巻くという、以前の僕の飲み方からすると、昼間から酒をのんで、しかも歩き回って、さらに帰りはけっこうな長い時間、電車に乗らなければいけないということに、とうてい耐え切れると思えなかったからなのだが、昨日は正午から飲み始めて、夕方になって電車に乗って場所を変え、さらに夜まで飲むということだったのだけれど、意外に大丈夫だった。最近は僕も、飲み方がおとなしくなったからな。

それでも京都と滋賀の蔵元24軒があつまり、そのすべてを制覇して、1軒につき1~2杯を飲んだから、それぞれはほんのちょっとにしてもらったけれども、それが30ccだったとしても、1リットル、5合くらいは飲んだ計算になるわけで、たしかにかなり酔っ払いはした。初めの頃は、けっこう詳しく、味を分析したりしていたが、後半にはもう、何がなんやらわからなくなってしまった。

これだけたくさんの酒蔵が一堂にあつまると、やはりかなりはっきりとした味の違いというものがあって、それがなかなかおもしろかった。それをまた蔵元の人に質問すると、いちいち詳しく答えてくれるので、僕は昨日一日で、日本酒についてかなり詳しくなったような気がする。

このごろ家でも、地酒を色々飲むようになって、蔵元による味の違いはもちろんのことして、地域ごとに、共通の味があるのがおもしろいなと思っていたら、やはり酒の味というものは、「水」の性質が決めるところが大きいのだそうだ。伏見の酒は、どれも「はんなり」とした味がすると思っていたら、それは水が「軟水」であることによるらしい。逆に灘の酒は「硬水」で、それがああいう、キレのある味を生むのだそうだ。

滋賀県の酒というのが、また京都とはちがって、どれも基本的に、ちょっと「苦い」ような味がする。ワインのような「渋味」というか。蔵元の人も、それは認めていたけれど、そのことは何かのとくべつな努力の結果ということではなく、水や、気候や、そういうもののおかげで、自然とそうなってしまう、というものであるらしい。

「吟醸酒」というものが、米をよく磨いて、米粒の外側の雑味のある部分を取り除くことにより、ああいう果物のような味になるということは知っていたけれど、あとはやはり米自体の品質がよくなければいけないことと、それから低温でじっくりと時間をかけて熟成させるということがあるのだそうだ。「生もと造り」というのは、昔ながらの酒の造り方で、ふつうは「乳酸菌」を加えるところが、空気中の乳酸菌だけによって、やはり時間をかけて熟成させるやり方だとのことだった。

いちばん意外だったのが、「醸造アルコール」の使い方についてで、醸造アルコールというものは、低級な酒を加えて量を水増しするということかと思っていたら、そういうことではまったくなく、大吟醸などに醸造アルコールをほんの少し入れることにより、「香り」が酒粕に残らず、きちんと引き出されるという効果があるのだそうだ。よくだしを取ったとき、塩をほんのちょっぴりふって、だし殻にだしの風味が戻ってしまわないようにするということがあると思うけれど、同じようなことなのだろうな。

ちなみに京都の酒というと、大手の有名どころでは「月桂冠」「松竹梅」「黄桜」があるのだけれど、そのほかにも京都市内だったら「玉乃光」「古都」「富翁」「神蔵」「都鶴」、京都府北部の丹後のほうへ行くと、「玉川」「弥生鶴」、滋賀だと「富鶴」「美冨久」なんてのがある。

それぞれの蔵元で、王道の純米酒や吟醸酒の他に、主に女性をターゲットにした、リキュール系のお酒をいろいろ開発しているのだけれど、なかで一番おもしろいと思ったのが、滋賀の「竹内酒造」というところがやっていた、「ゆずのお酒」というもの。これは日本酒にゆずの果汁を入れたもので、大変うまいのだけれど、1リットルに対して、ゆずを13個、使わないといけなくて、儲けはまったく出ないのだそうだ。