2011-03-26

ぶり大根

原発の問題は収まる兆しがみえず、煙がでたとか、水道に放射能が検出されたとか、今日は海水にも高い放射能が検出されたとのことで、これはこの先どうなるのか。
現場の人たちは、もちろん自分の命もかえりみず、死に物狂いでがんばってくれていることと思うのだけれど、どうも東電とか、原子力安全保安院とかが、事態を掌握していない感じがする。
初動の段階で、事態を甘くみて、原子炉の温存をかんがえ海水を注入するのが遅れたことが、その後の事態の悪化をまねいているとのことだが、おなじようなことが今でも続いているのじゃないのか。
希望的観測にもとづいて対策を練り、ところがその想定を越えることが毎日起こっているようで、そのたび対応が後手後手にまわり、なんだかむかし御巣鷹山で、圧力隔壁がこわれ垂直尾翼がなくなった日航機をダッチロールしながらもなんとかしばらく操縦したが、最後に墜落してしまったということをおもいだす。

だいたい菅首相にしても、東電にしても、捨て身で対応に当たっているという感じがまったく伝わってこず、どちらも「自分の立場がいちばん大事」と思っているようだ。
枝野長官だけは、相変わらずがんばってくれているとおもえるが、菅首相の演説を聞いても、「批判を浴びない」ということを第一に考えているという感じがするし、だいたい東電はなぜ、下をむいて紙を棒読みするようなひとしか記者会見に出してこないのか。
広報担当なのか何なのかわからないが、たぶん組織のラインで、あのひとたちが記者会見するのが妥当であると判断されているということだとおもうけれど、今は非常時で、対応をあやまれば東電の存亡にもかかわってこざるを得ないということとなっているのだから、もっときちんと説明できる技術系のひとを、ちゃんともってきたらよいとおもうのだが、なかなかそうならない。
記者にたいして「僕は寝ていないんだ」とほざいた、もうなくなってしまった某乳業メーカーの社長をおもいだす。

こうなったら、原子炉がこの先最悪の事態になることを想定し、そのための対策をいまから取るということにしたほうがいいのじゃないかとおもうのだが、どうなのだろう。
原子炉の避難の範囲が、20キロとか30キロとかいうことでだいじょうぶなのか。
僕は枝野長官が「だいじょうぶ」というのなら、だいじょうなのだろうとおもうことにしているが、枝野長官がいう「専門家の意見をきいて」という、その「専門家」というのが、ほんとに信用できるのかが心配だ。
どの範囲にどのくらいの放射能が飛び散るのかなどという類の問題は、もともと精密に計算できるものではなく、僕は建築学科だったから多少知っているが、建築の設計では、構造計算をしたあと、そこに安全率として「2倍」を掛けたりするのだ。地震やらなにやらよくわからない不測の事態が起こるから、その「2倍」にそれを含み込んでおくわけだ。
それはまさに「さじ加減」なのであって、建築のばあいは、たくさんの経験によってそのさじ加減も精密化されていくのだろうが、今回のようなこれまで誰も経験したことがない事態にたいしては、そのさじ加減はじゅうぶん大きくとられていないといけないはずだ。
そのさじ加減は、専門家には判断しようがなく、さまざまな影響を天秤にかけた上で、まさに政治が決断しなければいけない事柄なのだから、そろそろ、2倍の「50キロ」の避難指示をだすというくらいのことを、してもいいのじゃないかと思うのだがな。

まあしかし、今回これだけ、期せずして「原発の恐怖」を日本中に知らしめてくれたおかげで、今後日本は「脱原発」に踏み込まざるを得ないのだろうな。
「経済」という観点からすれば、大量の電力を供給してくれる原子力発電所は必要だということになるのだろうけど、ひたすら「経済成長」するというところから、日本はそろそろ脱却しないといけないのだ。
お金はもちろん必要なのだが、お金だけあればいいかといえばそうではないということも確かなのに、日本はこれまで、それを考えるということすらできなかった。
そろそろ一旦立ち止まり、これから日本がどちらに進んでいったらいいのか、真剣に考えなくてはいけないということになっていた、ちょうどそのときに、今回の地震がおきた。
本当に悲惨な災害なのだが、それをこれから、日本にとってプラスに活かしていくように、みなで考え、力を合わせていかないといけないのだとおもう。



昨日はいつも行く「グルメシティ」で、500グラムちかい「ぶりのアラ」が266円の2割引で売っていたので、それでぶり大根。
このごろ他のスーパーも見に行ってみたりするのだけれど、けっきょくそこでは買わずに、グルメシティまで戻ったりしている。何だかんだいっても、グルメシティがいちばん安いとおもうのだよな。
グルメシティにはじめて行ったとき、じつは鮮魚の種類の少なさにびっくりして、「これが京都なのか」とおもったのだが、じつはそうではなく、京都でも他のスーパーにはいろいろな魚が置いてあるのだ。
グルメシティは仕入れる魚の種類を減らし、そのかわりそれを大量に仕入れることで、値段を下げているということなのだとおもうのだよな。
それってダイエーがもともとスーパーをつくった考え方だったわけだ。
置いてある魚の鮮度も、グルメシティはよいとおもうし、だいたい名前も知らないような魚を食べなくったっていいわけだから、それで僕は、最近はほとんどグルメシティで買い物してるというわけなのだ。

でもグルメシティのそういう考えは、どうも他の人にはあまり評価されていないみたいで、おなじ時間帯にスーパーをハシゴしてみると、グルメシティのほうがかならずお客がすくない。
「多様性の時代」に逆行しているということなのだとおもうけれど、がんばってほしいな、グルメシティ。

昨日はあとは湯豆腐。

今日は、ぶり大根は言うまでもなく食べ切れなかったので、それを炊きたての白めしにのせてどんぶり。