2011-03-25

池波正太郎の母親風すきやき

前の会社を退職してから丸一年がたち、退職金などの蓄えでこれまで生活してきたのだけれど、そろそろ残りも少なくなってきたので、それが完全になくなってしまう前に、アルバイトをはじめることにした。
塾の講師をやりたいとおもっていて、ハローワークで求人情報を調べたり、履歴書を書いたり、これから面接にいったりする。
僕は自分では、塾の講師は向いているのじゃないかとおもっているのだけれど、この不景気のどん底で、地震も起こり、そう簡単には見つからないかもしれないが、いい縁があったらいいなとおもってる。

原稿のほうは、遅々としながらもなんとか進んでいて、基本的な構想もでき、取材もすんで、あとは書くばかりということになっている。
書けば1日、4、5時間で、原稿用紙で換算して10枚から、調子よく進むときには20枚ばかしは書けるのだけれど、まだ先は長いし、たぶんもう一回書き直しをすることになるとおもうし、原稿ができたとしても、今度は出版社をさがしたり、それから編集の作業も入るだろうし、そうすぐには出来上がらない。
桂子先生は、自分が読んでみて、もし良かったら、「まえがき」を書くことを考えてもいいと言ってくれているので、それを励みに、長丁場をなんとか乗り越えていきたいとおもっている。

とにかくすべてのことは、その本を書き上げたそのあとにあるとおもっているので、アルバイトをしながらそこに向かっていくというのは、僕としては悪くない人生であるとおもえる。

履歴書というのも、僕は採用のためにひとの履歴書をみたりすることはあったが、自分が書くのははじめてのことで、ネットで書き方をみたりするところからはじめたら、丸一日かかってしまった。

写真もはじめ無人の3分間写真でジャケットにネクタイをせずに撮ったのだが、ネットをみたら、写真はとても大事だから、きちんとフォーマルな格好をして、写真館でプロに撮ってもらうようにしたほうがいいとのことで、今日数年ぶりでスーツを引っ張りだして、糊のきいたワイシャツにネクタイをしめ、ふたたび写真を撮りにいった。
ネクタイのしめ方はさすがに忘れていなかったが、首まわりがすこし太ったらしく、第一ボタンがきつかった。

今日いった家のちかくの写真館には、ほんとのプロのご主人は不在で、代理の奥さんがなにやら慣れぬ手つきでやってくれ、撮れた写真は首がちょっと曲がっているのだが、まあなに、3分間写真で撮ったのよりだいぶいいから問題はない。

いちおうすこしにこやかな表情にしようとしたのだが、そしたら右側の口角だけが上がってしまっている。
ほんとはもっと芸能人みたいに、きれいな笑顔にしたいのだがな。



昨日の晩めしは、池波正太郎が「そうざい料理帖」に収録されている対談のなかで話している、
「お母さんのつくってくれたすきやき」
を、ふたたびつくってみた。

「水で野菜を煮て、やわらかくなったら牛の細切れ肉をいれ、砂糖としょうゆで甘辛く味付けして、ワーッと煮る」
というやり方なのだけれど、じつは先日つくったときは、このやり方のとおりにやらずに、昆布やだしパックでだしを取ったり、酒やみりんを入れたりしたのだ。
でもそれよりも、今回だしも何もとらず、調味料も砂糖としょうゆだけ、というほうがうまかった。

これはどうしてなのかな、不思議だな。
アクを一切とらないようにしたからなのか、牛のほんのりと甘いだしがしっかりと出ていて、またこれが砂糖としょうゆによく合うのだよな。
牛肉というのは、ヨーロッパでは、だしの王様だとおもうのだけれど、やはり豚とか鶏とかとは、なにか違うところがあるということなのだろうな。

それで今日の昼めしは、それをすこし残しておいて、炊きたての白めしにかけて食べた。
これももちろん、かなりいけましたです。