2011-03-23

鶏の水炊き

僕は特定の宗教団体に所属するということについてはまったく興味がなく、神様が自分を救ってくれるともおもわないのだが、今回東日本大震災をきっかけに近所の神社にお参りするようになり、
「祈る」
ということの意味をしばしば考えるようになった。

べつに自分が祈ったからといって、「世界が変わるわけではない」、「被災者のひとたちの苦しい状況や気持ちが改善されるわけではない」という言い方はたしかにできる。祈ったって、祈らなくたって、世界は変わらず存在しているわけだ。
でももう一方で、「自分にとっての世界」は、あくまで「自分が見る世界」である。どんなにテレビやネットで一見自分にはかかわらない「客観的な情報」が飛び交っているように見えても、じつはその情報を受けとって、「世界」というかたちに統合しているのは、あくまで自分自身なのだ。

たとえば「希望」というものがあるとして、それは客観的な情報には存在しない。自分自身のなかにだけあるものだ。
一見どんなに絶望的な状況にあっても、そこに希望を見出すひとはいるし、逆に恵まれて見える状況にあって絶望するひともいる。

自分がなかなかたいして役に立つことができない被災者のひとたちのことをおもって祈りを捧げるとき、すくなくとも亡くなったひともふくめて、被災者にとって今より明るい未来というものを自分なりにおもい描くのであって、それは被災者のひとたちをふくめた日本の未来をこれからつくり上げていくという作業に、自分も最低限の参加をしているということにはなるのだとおもう。



昨日の晩は、冷蔵庫にはいっていた鶏もも肉をつかって水炊き。
鶏もも肉を使った料理は、僕のばあい塩焼きか水炊きかの二者択一になるのだが、どちらも甲乙つけがたくうまいが、かかる手間を考えにいれると水炊きの圧勝となる。

いれる野菜は豆腐に長ねぎ、にんじんの池波流。これを昆布と酒をたっぷりと入れた水で煮る。

タレはしょうゆにレモン汁、そして韓国唐辛子。

昨日買ってきた福島の酒、「大七 純米生もと」。
「美味しい熱燗第一位」に選ばれたとのことなのだが、たしかに日本酒のしっかりした、そして上品なコクがあって、冷やも悪くなかったが、熱燗にしたらうまそうだ。
このごろ各地の地酒をすこしずつ飲みはじめているわけなのだが、おなじ日本酒でも地域や銘柄によってかなりのちがいがあって、ずいぶんと奥深い世界があるものなのだな。



鶏の水炊きをしたあとには、死ぬかとおもうくらい濃厚な、おいしい残り汁ができるので、これは吸物にして簡単に飲んでしまわないで、翌日の昼めしとしてきちんと一品にする。
池波正太郎はこの汁を白めしにぶっかけるというが、今日はそれよりはむしろつくるのが簡単なおじや。

残り汁をペーパータオルで濾し、塩で味をつけて、冷たいままのレトルトごはんを残しておいた鶏肉や野菜などといっしょに煮る。器によそってコショウをふる。

発泡酒を買いわすれたので、日本酒をほんのちょっぴり。
おいしいものを食べるとき酒をのまないということは、僕にはちょっと考えられないのだな。


大七酒造ホームページ