2011-03-13

地震3

地震の発生を知って以来、テレビから目を離すことができず、朝起きてから夜寝るまで、ずっとテレビをつけて、食事や買物で出かける以外はずっと見ている。

今の時点で千人以上の死亡者ということになっているのだが、町の行政機能そのものが、津波によって壊滅してしまい、交通も寸断され通信も途絶え、津波警報で捜索もままならず、状況の把握がまだきちんとできないところがあり、町の人口の半数以上にあたる1万人とまだ連絡がとれないところもあるということだから、じっさいの死者はこんな数ではないのだろう。
家も職場もすべてを失った人や、家族と連絡がとれない人の呆然とし、憔悴しきった顔や、町が津波で押し流されるのを目の当たりにして、悲鳴をあげる住民などの映像をテレビで見るたびに涙がでる。
こんなに多くの人の家や財産や、家族やいのちを、一瞬にしてうばいさる自然の大災害、事態のあまりの大きさに、それを自分でのみこむことが、まだできずにいるのだけれど、とにかくこの光景を、できるかぎり目に焼き付けておくことが今は大事だと、そんな気がしている。

亡くなった方のご冥福を、こころよりお祈り申し上げます。
被害に遭い、つらいおもいをされている方に、こころよりお見舞い申し上げます。

今はまだ、被害の状況をあきらかにし、孤立しているひとを救出し、二次被害などあらたな被害を避けることがなにより大事で、そのために僕が力になれることは、あまりないとおもうのだけれど、アナウンサーが被災者にたいして注意をうながしたり、自衛隊の隊員が生存者を救出したりするのをテレビでみると、ありがたいことだとおもい、またそれで涙がでる。
これから募金や献血や、また何らかの形のボランティアなど、できることもいろいろあるとおもうので、それについてできるだけのことを、僕もしていきたいとおもっている。

こんなに大きな、誰も想定することができなかったような自然の災害というものは、もちろん後々、反省すべき点も多々あるのだろうが、根本的には、誰が悪いというものではないわけで、自然が起こしたことを、人間は受け入れるしかないものだ。
今回自然は、これほどひどいことを、人間にたいして突き付けるものだということを、僕たちははっきり知ったわけなのだけど、自然が善悪をこえた存在である以上、今回の災害は、もしかしたら、僕たちにとって、何かのきっかけになるものであるというような気もする。

今まで日本人同士の気持ちのつながりというものを、これほど感じさせることがあったか。
アメリカや韓国をはじめ、中国やロシアでも、海外からの援助というものを、これほどありがたいとおもえることがあったか。

これから長い時間をかけて、東北を復興していかなければならないわけだが、そのことはもしかしたら、これからあらたな日本をつくっていくことそのものであるという、そういうものであるのかもしれないというおもいがしている。