2011-02-18

ikoi cafe、アサリと白菜の小鍋だて

このごろはニュースを見れば、菅首相と小沢一郎の攻防のようすが目にはいってくる。

小沢一郎の強制起訴にともなって、党員資格停止処分が下されようとすると、手下の議員がそれに抗議して、会派離脱届を提出し、造反のかまえをみせているわけだが、だいたい小沢一郎というのは、民主党が政権をとったとき、幹事長だった人で、首相の鳩山由紀夫は、小沢が代表をおりるとき、党首選挙の準備期間をみじかくし、ほかの人が当選できないように手をうったうえで、代表に当選したということで、民主党政権の初めの内閣や党人事は、小沢の影響力のもとでおこなわれたといっていい。

その内閣は、鳩山元首相が迷走し、世論の支持をうしなって、鳩山は首相の座を手放し、小沢もいっしょに責任をとって、幹事長をおりたということだから、ふつうならしばらくは黒子に徹し、新たに首相になった菅をきちんと応援しながら、自分の失敗の原因をみつめ、何がまちがっていたのかを、きちんと考えるべきところだ。

ところが幹事長をやめたと思ったら、すぐに菅首相の批判をはじめ、代表選に出馬し、敗れたあとも、菅首相の足をひっぱることに余念がない。まったく筋の通らないことをくりかえしている。

今の日本の危機を救うために、小沢の手腕に期待する向きも多いが、もし日本のためにやることがあるのなら、小沢が指導力を発揮した、幹事長の時代にやればよかった。それを党は内閣に口をださないと、自分が首相にさせた鳩山由紀夫と距離をおき、鳩山が失点をつづけるのを助けようともせず、最後にはこれ幸いと、鳩山のはしごをはずし、自分だけが生き残ろうとする。そういう、自分の立場を守ることだけしか考えない小沢一郎に、日本のために、何ができるわけもないのだ。

たいする菅首相も、小沢をはずすことで世論の支持を得たのはいいが、やることは終始、官僚や財界などの守旧派勢力と妥協をくりかえすだけ。自分の権力基盤がそこにあると見定めて、その歓心を買うことしか考えていない。支持率も20パーセントを切り、ふつうならとっくに退陣してもおかしくないのに、小沢が主導権をにぎるよりはマシというだけの理由で、命脈をたもっている。

本来なら若手に期待したいところだが、岡田幹事長、僕はこの人は嫌いじゃないのだが、小沢や菅など、上の世代の人達が、筋の通らないことをするというのを、反面教師としているのだろう、やけに筋論ばかりを言い募る。

反対に閣僚の経験者なのに、分党を提唱し、はやりの地域政党を立ち上げ、人気の橋下や河村と手をむすび、自民の有志とも協力したい、などという、節操のないのもいる。

まったく先の見えない、絶望的な世の中になってしまっているのだが、これがいまの日本のありのままの姿であり、有権者自身の鏡なのだ。

日本は戦後、アメリカの主導のもと、自分の過去を否定して、アメリカのように豊かな生活をおくることを目標とし、それにむけて邁進した。その目標は、たしかに達成されたと思うけれど、ふと気がつくと、自分のことしか考えない人々を大量に生みだして、にっちもさっちもいかなくなっている。

目標としたアメリカは、すでに凋落のきざしをみせ、新たな目標を据えなおさなければいけないときに、金儲けのことしか考えてこなかった僕たちは、何を考えていいのかすらわからない。そういうことになってしまっているのだと思う。

小林秀雄は、太平洋戦争がはじまると、文芸時評をやめてしまった。そしてひたすら、日本の古典の勉強をはじめ、「無常といふ事」「西行」「実朝」などの名作をものにしていく。戦後も文芸時評にはもどることなく、音楽や絵画をへながら、最終的には「本居宣長」に10年以上にわたって取り組んだ。

小林秀雄がいいたかったのは、日本は古来から、西欧流の考え方とはことなる、独自の世界観をつくりあげてきた国であり、現在の危機にあっては、古典に向きあうことにより、それが何であったかを思い出すことが、危機をのりきる力になるのだ、ということだったと僕は思う。

迷ったら原点に帰れとは、よくいわれることだ。それをいま、まさにすべきときなのだと思う。



というわけで、いまの政治の状況について、ちょっと書いてみようと思ったら、えらい暗い気持ちになってしまったわけなのですが、気をとりなおして、きのうの昼めし。

ikoi cafe。

この店のことは最近、この日記にはほとんど書いていないのだけれど、あいもかわらず、週にいっぺんは通っている。

この店には週刊文春がおいてあって、発売日の木曜に行き、それを読むというのがひとつの目的だ。

きのうのランチは、わかさぎの南蛮漬けと、筑前煮。この店はものすごく手をかけたランチを、日替わりで出している。いわゆる家庭料理だから、とくべつ変わったことはないのだけれど、とうがらしとか、高野豆腐とか、京都ならではの材料がつかわれることも多いし、味付けも、角煮があんかけになっていたり、かくし味に柚子胡椒がつかわれていたり、微妙に京都風なのが楽しい。



晩めしは、ほんとは近くに最近できた、広島名物ホルモン天ぷらの店をチェックしにいこうと思っていたが、特売日だったグルメシティを見にいったら、おいしそうなものが山ほどあって、けっきょく家で食べることにした。

いろいろ迷った挙句、買ったのはアサリ。池波正太郎「そうざい料理帖」に「浅蜊と白菜の小鍋だて」というのが何回かでてきて、それを食べてみたいと前々から思っていたのだ。池波正太郎は、アサリのむき身をつかっているが、グルメシティにむき身は売っていないから、貝をそのままつかうことにする。

海水くらいの塩水につけて砂出しをするが、そうするとアサリ君たち、これから煮られてしまうことも知らずに、気持よさそうに首をのばして、プハーと砂を吐いたりするわけだ。食べてしまうのはなんとも申し訳ない気持ちになるが、うまいのだから仕方がない。

野菜は豆腐と、細く切った白菜。これをだし昆布とたっぷりの酒をいれた水で、食べる分だけ煮て、アサリの口があいたら火をとめる。

タレはしょうゆにレモン汁をたらしたポン酢。アサリというのはしみじみうまいな。

佐々木酒造の特選本醸造酒「古都」、きのうは熱燗にしてみた。純米酒の「聚楽菊」は、常温でも熱燗でも、味はほとんど変わらなかったが、こちらは熱燗にしたほうが、ぜんぜんうまい。これはどういうことなのか。本醸造酒というのが、そういうものなのか。

シメはアサリのだしがたっぷり出た汁に、塩で味をつけ、しょうゆをたらして、吸い物にする。いやこれは、アルコールのまわったからだに、じわじわとしみ込んでいくようで、まったくたまらん。


ikoi cafe

佐々木酒造


池波正太郎 「そうざい料理帖」

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利行 土鍋志野 6号 径約19cmicon