2011-01-07

新福菜館三条店初め

新福菜館の三条店は、僕がいちばん好きなラーメン屋、というか、僕が唯一通い続けているラーメン屋で、だいたい週に一ぺんのペースで行っている。
年末には当然行って、新年、昨日行こうかどうしようか迷って、けっきょくikoi cafeで肉じゃがランチを食べたのだが、そうするともう今日には、行かずには我慢できなくなってしまう。
完全に中毒症状なのだ。
これは僕は京都を離れたらどうなってしまうのかな。
このあたりに住んでいて、今広島へ転勤で行っている人も、こちらへ帰ってくると、三条店へ行っているようだった。
新福菜館は、生ラーメンがネットで帰るようになってるみたいなのだが、それとはやっぱり、ちがうだろうしな。

これだけ通えば、ふつうは常連というものであって、店の人とも仲良くなったりするものだが、この店では僕はいまだに、注文とお会計以外、大将や店の人とは話したことがない。
ほかのお客さんもみんなそうで、この店はそういう場所なのだ。
つまり僕がこの店に通うのは、義理とか人情とか、そういう人間関係的なものはまったく関係なく、純粋にこの店のラーメンの味に惹かれているということだ。
すごいことだよな。
歴史が長いということは、そういうことを可能にするわけだ。

今日は新年早々だから、いつものビール小瓶にキムチの他に、

ギョウザも頼んでみた。
このギョウザ、とくべつ変わったことはないのだが、けっこう大きめで中身がしっかり詰まっていて、きちんとした味がする。
でありながら250円。

中華そば大盛り。
言うまでもなく、今日もうまい。
ひとことで言うと、無骨な味なのだな。
第一旭のラーメンを平安時代としたら、これは奈良時代。
戦前の創業だからな。

戦後のラーメンは、味の素とニンニクでコクを出すというのが、常套手段になったのじゃないかと思うのだが、これは戦前だから、たぶんまだどちらも一般的になっていなかったのじゃないかと思うのだよな。
だから、ストレートに日本流、醤油にみりんで味が付けられている。
いわゆる煮魚の汁のような、甘辛いやつで、今の日本のラーメンの基準からいうと、ずいぶん外れるわけなのだが、こういう味だからこそ、ストレートに、日本人に訴えかけてくるということなのだろうな。
僕が食べずには我慢できなくなってしまうというのは、たぶんそういうことなのだ。

こういう味が、ラーメンとしてちょっと時代遅れになっているということは、たぶん店のほうでもわかっていて、実際河原町店とか、新福菜館の他の支店では、甘さをおさえニンニクの風味を増すという、いまどき、といってもそれもすでに時代遅れだが、そういう味に変えている。
この三条店は、しかし、いまだに頑なに、昔の味を守っているということなのだろう。
それで商売が成り立っているというのだから、それだけの大したラーメンを、新福菜館の創業者は生み出したということなのだよな。
たぶん同じように戦前に創業したラーメン屋は、ほかにもあっただろうに、いまでは潰れてしまって残っていないということなのだから、風雪に耐え、生き残ってきたということ自体が、このラーメンのすごさを物語っているともいえるわけだ。

僕が中毒になってしまうのも、これは致し方ないということだよな。