2010-12-09

市川海老蔵事件

市川海老蔵が泥酔して、元暴走族に殴られた件、おとといの記者会見で海老蔵氏がひと通りの説明をし、マスコミの報道も一段落したのかと思うけれど、僕は歌舞伎にはまったく興味がなく、市川海老蔵のことも小林麻央の結婚相手であるという以上のことは知らないわけなのだが、記者会見の模様をYouTubeで見て、海老蔵氏の堂々とした態度には、まったく大したものだと思った。

さすが歌舞伎役者なのだな。立ち居振る舞いが、人に見られているということを100パーセント意識した、計算されつくしたものになっていて、しかもその計算が、頭で考えているということではなく、無意識のうちに、歌舞伎役者としての本能が、そういう振る舞いをさせていると思わざるを得ないようなものだった。

発する言葉にもまったく淀みがなく、「えー」とか「あのー」みたいなものは一言たりとも出ず、それはあの冒頭の挨拶だけかと思ったら、記者の質問に答える時も変わらず、べつにセリフを覚えて演じるということではなく、そういう振る舞いが自然にできるということなのだろう。海老蔵氏にとってはあの記者会見も、自分の舞台の一つであったということなのかもしれない。

今回は海老蔵氏が、勝手に殴られたというわけであって、迷惑をかけたとしたら興行元である松竹と、海老蔵氏の公演を心待ちにしていたファンの人達ということだろう。そこのところで何らかの折り合いを付けてもらえばいいのであって、外野がとやかく言う問題でもない。

だいたい歌舞伎役者、もっと広く言えば何らかの芸能を生業とする人たちというものは、一般人とは違ったところで力を発揮するべきものであって、それを一般人と同じ尺度で評価しようというのが間違っている。酒癖がどんなに悪かろうが、舞台が良ければそれで良いと、そういうものであるはずだろう。それを自分の会社の同僚や後輩を見るようなつもりで叩いてしまっては、芸能は成り立たない。

大相撲の時も思ったが、もちろんしごきで弟子を死なせるなどということは、まったく論外なのだけれど、大麻やら博打やら、それが暴力団が絡んでいたにしたって、お相撲さんの人数など知れているわけで、暴力団にとっても大した収入になるわけもなく、べつに大目に見たっていいのではないか。休場した朝青龍が、モンゴルでサッカーをしたって、べつにかまわない。日本相撲協会という非営利団体のコーポレート・ガバナンスがどうのこうの、役所が指導してなんとかかんとか、みたいなことは、相撲をつまらなくするということこそあれ、面白くすることがあるとは到底思えない。

背景にはやはり、僕達日本人が、自由だ民主主義だ平等だと言ったって、それは自分で勝ち取ったものではなく、戦後アメリカから強制されたものであって、そのために、日本の伝統が急速に廃れてしまったということがあるのだろう。大相撲にしたって、20年前なら、もしかしたらあのような問題にはならなかったのではないか。戦前生まれの人がもう70を超え、社会的な影響力が少なくなってきた今だからこそ、あのような叩き方がされたという気がする。

もうこの流れは押し留めようがないだろうし、日本の伝統などというものは、これからもっと、なくなってしまうものであると思うけれども、しかしやはり、このままではいけないのだと思う。日本の伝統を復活させろと言うのじゃなく、日本もやはり軍隊が必要だと言うのでもなく、それに替わる新たな何かを見つけなければいけないと思うのだな。日本という国がなくなってしまうわけではないのだから、それでは日本が、これからどんな目標を持てばいいのか、真剣に考えなければいけないのだと思う。