2010-11-15

紅葉狩り (詩仙堂、圓光寺、曼殊院)

いよいよ紅葉狩りの季節がやってきた。こうやって京都に住んでいる以上、やはり桜と紅葉は見ないとな。

春に桜を見て、つくづく思ったことは、京都で桜を見るというのは、ただ桜の木を見るということとは、ぜんぜん違うのだよな。桜はもちろん、木そのものもきれいなわけだが、それが黒っぽい色の日本建築に、うまい具合にあしらわれていると、きれいさの次元がまったく違うものになる。これは完全に、一つの芸術であると言って、間違いないと思うのだ。京都ではそれを、都であった千年以上の長きにわたって、磨きに磨きをかけてきたのだと思うのだよな。だからハッとするくらいきれいな桜というのがいくつもあった。

というわけで、紅葉もやはり、見なくちゃいけないなと思い、11月に入ったあたりから、ネットで見頃情報をチェックしていたのだが、今日になって初めて、見頃マークが点灯したので、早速行ってきたというわけなのだ。

今日は詩仙堂、圓光寺、曼殊院へ行ったのだけれど、この中では僕は、圓光寺がいちばん良かったな。そのなかでもベストショットはこれ。


圓光寺の庭の鐘堂近くの風景。ちょうど右斜め上から日が射すようになっていて、鐘堂の手前と上の、紅色に染まった紅葉が、日を浴びて透き通ったようになっている。奥には緑や黄色の紅葉があって、さらに奥には青竹の林。建物を回りこんでいって、右に曲がると突然見える光景なのだが、思わず「おー」と声が出てしまった。


圓光寺は書院からの眺めも悪くない。ここはなにより、人が少ないのがいいのだ。

書院の座敷、ちょうどこの写真を撮ったあたりに、二人くらい、ずっと長い間座って、庭を眺めている人がいた。たしかに庭の景色は、こうやって建物の屋根や柱によって切り取られたものを眺めるほうが、同じ景色を直接見るより、趣きが深いのだよな。


これは上の写真を、直接見た光景だが、もちろん悪くはないのだが、部屋の中から写した写真のほうが、鮮やかな印象があることが感じてもらえるのじゃないかと思う。

だから建物の中から見る庭園の風景というものは、絵画のようなものなのだよな。庭園自体がまず、木々の一本一本を、きれいに見えるように、計算して植えるわけだろうが、さらにそれを、建物によって切り取ってみせることで、一層きれいに見えるというわけなのだ。昔の人達、すごく色々考え、研究したのだろうな。たいしたものだ。


これは詩仙堂。書院から見える光景自体は、圓光寺より詩仙堂のほうが、たしかにきれいなのだけれど、いかんせんここは人が多い。今日は平日だったから、まだマシだったのだろうが、それでも次から次へと団体がやって来て、ゆっくり落ち着いて景色を眺めるということには、なかなかならない。あと庭に出て見る光景は、詩仙堂より圓光寺のほうがきれいだった。
 

曼殊院は、紅葉は今ひとつという感じだったな。松ですな、ここは。


圓光寺は、帰り際に見える風景も、とても良かった。


虹まで見えるというおまけ付きだった。