2010-10-16

マッサージ

今日も朝からめしも食わずにサウナへ行き、汗をたっぷりかいたあとビール、それからめしを食い、マッサージ。まさにおやじのゴールデンコースを歩んできた。

最近何回か、続けて行ってるマッサージは、「ほぐし処なごみ」というところ。ここはまず何より安いのがよくて、1時間やってもらって4,000円。マッサージは1時間1,000円というのが相場だから、だいぶ安い。自宅の2階でやっているから、家賃がかからないということなのだな。

30代くらいの女性がやってくれるが、中国やタイのお寺で修行したという人で、かなり本格的。弟子も二人いるそうだ。僕はいつも、背中や肩、腰などはやらずに、四肢と頭だけやってもらう。ちなみに明日から11月5日までは、研修のため休むそうだ。

マッサージには僕は、もう十数年は、あちこちちょこちょこ、通い続けているのだが、きっかけになったのは、「クイーンズウェイ」という足裏マッサージに行き始めてからだ。それまでマッサージというと、スポーツマッサージとか、整体とか、指圧とか、どちらかというと治療に近いようなイメージで、僕はとくべつ肩も凝らないし、痛いのは嫌いだし、まったく興味がなかったのだが、このクイーンズウェイにはハマった。

「英国式リフレクソロジー」という触れ込みで、かなり一世を風靡したが、この英国式という名称、べつにイギリスで実際にそういうマッサージをやっているということではなく、なんとなくイメージ的にいいので、勝手に拝借したのだとか。トルコ風呂とか、戸越銀座とかいうのと同じようなセンスなわけで、このことからも解るように、このクイーンズウェイ、まず商売がうまい。人がハマるような仕組みを、うまいこと作り上げているわけなのだ。でもただ商売上手ということではなく、マッサージの方法という意味でも、かなりの新しさがあったのじゃないかと思う。

ひとことで言うとクイーンズウェイのマッサージは、治療ではなく、「癒し」なのだな。からだの何かの不具合を解消するためのものではなく、マッサージされているうちに眠ってしまうほどの気持よさで、気分をリフレッシュするという、そちらに重点がおかれているのだ。

その気持ちよさの秘密というものが、何回も通っているうちにだんだん解ってきたのだが、マッサージだからもちろん、押したりさすったりするわけなのだが、それと同時に、空いている方の手でからだを触っている、その触り方に細心の注意が払われているのだな。押したりさすったりするだけならば治療なのだが、そうではなく、純粋に人の手がからだに触るということの気持よさを、この店は追求したということなのだ。とくに触る瞬間とか、手を離すときの、その離し方とか、そういうものがなんとも絶妙。治療のことを「手当て」というくらいだから、人間のからだを手で触るということそのものが、すでに大きな治療効果をもつということなのだろう。

こういうことって、何もマッサージに限ったことでもないようにも思える。例えば人に話したり、こうやって文章を書いたりするというときも、もちろん目的という言い方をすれば、何らかの用件を伝えようとしているわけだけれど、性急に用件だけを伝えようとしても、なかなかうまく伝わるものではなく、やはり相手と話すということそのもの、誰かに文章を読んでもらうということそのものを、まずは楽しむということがないと、それは用件を伝えるということとは、一見関係なさそうに見えるのだけれど、うまくいかないものだったりする。

何かを成就させようと、その目標に向けてがむしゃらに頑張るということも、たしかに大事なことなのだけれど、昔井上陽水の歌に、「探すのをやめたとき見つかることもよくある話で」なんてのがあったみたいに、「目的とそれを実現するための方法」とか、「原因と結果」とかいう、理詰めの考え方だけではつかまえることのできない、漠然としてはいるのだけれど大切なことって、あるのだと思う。

サン・テグジュペリ「星の王子様」の中のことばに、「いちばん大切なことは、眼に見えないんだよ」というのがあるけれど、それも同じことを指し示そうとしているように思える。郡司ペギオ幸夫さんが「タイプとトークン」、それは「全体と部分」という意味だといってもいいのだけれど、このことばによって伝えようとしている内容というものも、それと同じものなのだと僕は思う。