2010-10-22

鶏もも塩焼き

懲りずに今日も、鶏もも塩焼き。僕はこれほんとによく作るのだが、好きなのだから仕方ない。だいたい昔は毎日のように焼き鳥屋へ行っていたのだ。それとまったく同じ気持だ。

この鶏もも塩焼きもそうだが、それ以上に、だいたい冷奴とか冷やしトマトとか、ほとんど毎日のように食べてるし、水菜もしょっちゅう食べる。僕はたしかに、何かがいいとなったら、飽きたり、何かの理由でそれができなくなるまで、ひとつのことをやり続けてしまうという性向があるのだが、でもただそれだけでなく、僕がこうやって食べ続けてしまうものを振り返ってみると、飽きないということについて共通の理由があるようには思って、それは、ほとんど手が掛かっていない、ということなのだよな。

冷奴と冷やしトマトは、ただ切るだけ。水菜のおしたしは、ただゆでて水で冷やして、それで切るだけ。鶏もも塩焼きも、ただ塩をふって焼くだけ。手を掛けないということは、ただ手軽であるというだけでなく、飽きない、ということにも直結しているのじゃないかと思う。一人暮らしの男が、料理をしようと思い立って、料理の本を見てその通り作ってみて、でもけっきょく続かずにやめてしまうというのは、僕に言わせると悲劇なのだが、そうならないためにも、「料理」ということについての固定概念を捨てて、あえて料理とすら呼べないような、手を掛けないものを作ってみるということを、料理をしようと思っている一人暮らしの男性には、ぜひとも薦めたいな、僕は。

話はちょっと変わって、昨日コメントで、「ぜひスパイスにチャレンジしてほしい」というのをもらった。そこにも書いたのだが、僕は前から、これだけハマりやすい自分が、スパイスといういかにも奥深そうな世界に手を出してしまったら、きっと抜け出せないに違いないと思って、そこにだけは近付かないようにしてきているのだ。僕はやり出したら間違いなく、あっという間にスパイスの小瓶が何十と並び、そのうちさらにそれでも飽き足らず、ミルで自分で挽いたりするようになる。

でも僕はスパイスというだけでもなく、調味料にはできるだけ凝らないことにしている。というか、基本的に和食と中華、韓国料理、これだけしか作らない。以前はイタリア料理、ってパスタだが、とかも作ってみたりしたものだが、けっきょくイタリア料理のパスタと、中華料理の焼きそばは、調味料と材料が違うだけで、基本的な考え方から作り方まで、まったく同じものなのだ。それは食べれば味は違うが、料理をするという立場からいうと、両方やったからといって、ただオリーブオイルだのハーブだのチーズだのといって、調味料が増えて、置く場所に困るだけで、何も面白いことはないので、それなら片方でいいやと。それで塩味とか醤油味とか、毎回同じ味付けで、飽きるのかといえば、まったくそんなことはなく、むしろ味付けがシンプルであればあるほど、飽きずに食べ続けることができるのだから、こんなにいいことはないわけだ。

といいつつインド料理は、和食や中華、イタリア料理などと、基本的な考え方自体が違うようにも見えて、たしかに興味のある世界なのだよな。いやいやしかし、危ない危ない。

鶏もも塩焼きは、表裏にほんとに塩だけふって焼き、青ネギとレモン汁をかけて食べる。

おしたしは、いつも縦方向に、切り口が上を向くようにして盛り付けてるのだが、これはいちおう考えとしては、こっちの方が、横に置くより、上から醤油をかけたとき、万遍なく味が染みやすいかな、ということはある。