2010-04-10

中村桂子先生インタビュー(2) 「分子生物学という流れ」



高野 1930年代、40年代といえば量子力学が完成したあとですものね。
  
中村 そう、量子力学がほぼ完成して、それまでのニュートン力学のマクロの世界から、新たにミクロの世界が見えてきた。そこからたくさんのことは分かったけれど、しかしまだ分からないことがある。それが何かといったら「生命」であり、さらにハイゼンベルクは「意識」ということを問題にしました。 

生命や意識という問題が量子力学で解けるのかというと、そうではない。すると、量子力学の先に、生命や意識のことを明らかにする学問があるはずです。それは物理学とはまったく別の、何か新しいものか。そういうことを彼らは、一生懸命考え始める。それこそあなたが何回も読んでいるハイゼンベルクの「部分と全体」は、まさにそれでしょう。 
  
高野 ほんとにそうですね。 
  
中村 「部分と全体」は、ハイゼンベルクやボーアのそういう問題意識で満ちみちている。同じような問題意識で、シュレディンガーは「生命とは何か」を書いたわけです。あの素晴らしい人たちでさえ、この新たな問いの答えは見えない。科学として、その答えを見つけたいと思っていたわけです。 

私はそれを、アルプスのような大きな立派な山の上に、ちいちゃな湖がある、というようにイメージするの。その湖は、生命とは何か、意識とは何か、という問いでいっぱいなのだけれど、それを明らかにするためにどうしたらよいか、誰も分からなかったから、この湖からは水は流れ出さない。満ちみちているのだけれど、外へは出ない。さあどうしようと、みんなが考えていたわけです。 

そこへデルブリュックという若い物理学者が現れます。生きものを情報としてとらえ、哲学的に構想するボーアやハイゼンベルクの話を聞き、とにかく具体的にやってみよう、遺伝という現象を追いかけてみようとして、「分子生物学」という流れをつくったのです。ちいちゃなちいちゃな流れが、その湖から流れはじめた。それからもう一方、イギリスのブラッグという物理学者が、DNA分子の構造について、物理学の方法を使って解明していった。 

デルブリュックたちヨーロッパ人の、情報的、哲学的な流れ、そしてブラッグたちイギリス人の、構造的、実体的な流れ、その二つの流れの両方をつなぐような形で、1953年に、DNAの二重らせん構造が発見された。 
  
高野 あ、なるほど、DNAが二重のらせん構造をしているということが、遺伝の情報が間違いなく伝えられていくということについても、はっきりと説明したのですものね。 

中村 これはしかし正直言って、デルブリュックにしてみると、ある意味では面白くないわけです。だってこれまでの物理学とはまったく違ったような、ものすごく新しいことが出てきて、新しい学問が生まれるかと思ったら、そうではなく、DNAという物質で、生きもののことが分かるということになったのだから。デルブリュックは「分子生物学のパイオニア」としてノーベル賞を受賞するのだけれど、ぜんぜん嬉しそうな顔をしていなかったのね。 

高野 あはは、そういう写真があるのですか。 

中村 有名な話です。でもデルブリュックにとってはあまり面白くなかったかもしれないけれど、生物学としては、デルブリュックのおかげで「分子生物学」という流れがはっきりできた。それでワトソンやクリックという人たちが登場して、新しいことをどんどん見つけていって、DNAはどういうふうに複製されるのか、DNAからタンパク質がどのように作られるのかとか、たくさんのことが60年代に分かったわけです。 

(つづく)

中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」

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