2010-03-13

四条大宮上ル寛遊園内 「みよちゃん」

四条大宮から、真北に上がって、ちょっと行った右側の、小さな飲み屋がごしゃごしゃと集まっている場所、名前はなんというのだろうと思っていたのだが、わかったのだ。「寛遊園」というのだそうだ。四条大宮には同じような場所がほかにも2つあって、その3カ所をあわせて、「大宮銀座」と呼ぶのだそうだ。昨日1軒目に行ったこの「みよちゃん」で、お客さんに教えてもらった。
寛遊園も、日曜だから休みの店が多かったのだが、なぜか僕は、外で飲もうと思い立つのが、日曜日になりがちなのだよな。空いてた5、6軒の店の前をうろうろして、中を伺ったりして、これってちょっと怪しいよなと、我ながら思いながら、どの店に行こうか物色するのだが、今まで行ったところは除外、スナックは除外、明らかにお客さんがまったくいない店は除外、として、残った3軒の店のうち、あとはえいやと、この店の戸を開けてみた。けっこう緊張するのだが、この緊張感が、飲み屋開拓の醍醐味だよな。
7時半頃だったと思うが、4人のお客さんが入っていて、それに僕が入ったら、カウンターだけのこの店は、ほぼ満員。それからも僕が帰った9時半頃まで、お客さんが入れ替わりながら、終始満員。
一つにはまずこの店、安いのだな。寛遊園のほかの店、安いといってもここより高いそうで、前に行った隣の店もそうだったが、だいたいどこでも、セット価格が2千円で、それでビール一本と、つまみが何品か、ついてくるようになっている。ところがこの店は、焼酎のボトルが3千円で、それが入っていれば、つまみはたのんでも、たのまなくても良し、ミネラルが100円、アイスが100円、それだけで飲めるそうだ。たしかにそれはお得だな。僕も昨日は、ビールと熱燗1本ずつに、おでんと板わさ、写真は撮り忘れたが、おばちゃんのご飯である焼きそばのおすそ分け、それにカラオケ2曲で、あわせて2千円だった。たしかに安い。カラオケは、ふつう200円とられると思うが、ここは100円。
ママは、68だと言っていたが、正司歌江にすこし似たところもある、肝っ玉かあさん風。どんとかまえて、「げへへ」と笑いながら、お客さんどおしの会話を、うまく取りもつ。この場所で5年、その前に近くで5年、やっていると言っていた。
早い時間からいる4人は、みな60代くらい、男3人に女性が一人。「ルパン三世」の次元大介を60代にしたような人、正ちゃん帽をかぶった、作家の山口瞳を、もう少し可愛らしく、愛嬌よくしたような人、障害がある人、それに女性は、目がギョロッとしていて、こういうたとえは申し訳ないが、岡本太郎に似ていた。みな一人で暮らしているみたいだ。女性は酔いが回ると、最後は全部脱いでしまうこともあるそうだが、昨日はそれを目にする前、トレーナーの片肌を脱いだあたりで、僕は失礼した。
その人たちが、また、よく話しかけてくれるわけだ。狭い店のなかで、顔を突き合わせているということもあるが、それだけじゃなく、どこの店へ行っても、京都の人は、お客さんどうしが、よく話しかけてくれるよな。でもたぶん、これは必ずしも、親切というわけじゃないな。一種の警戒なのじゃないかと思う。
京都は千年以上、都だったわけで、そうするとそこには当然、僕のような得体の知れない人間が、たくさん入り込んでくるわけだ。悪さをする人だって、それは多かっただろうから、知らない人がいたら、まずは愛想よく話しかけて、いい人なのか、悪い人なのか、相手を見極めて、さらに関係をつくってしまって、悪さができないようにしてしまう、ということなのじゃないかという気がする。
まあしかし、昨日の人たちは、そこまで深読みしなくても、一期一会を大事にしたいと思ってくれていたのだと思うし、自分が行きつけの店に、新しいお客さんが増えるということに、貢献したいと思っていたのだとも思う。
やりとりされる会話は、他愛もないものだが、こちらも得体が知れないが、相手も十分、得体が知れないわけで、得体の知れない者どうして一期一会を喜び合うという、かなりディープな世界なのだな。どこに住んでるのかとか、仕事は何をしているのかとか、いっさい聞かれない。しかし広島から越してきたといえば、広島の話題になり、東京出身だといえば、東京の話題になり、京都で桜が見たいといえば、桜の名所の話題になりで、融通無碍、一見の客を酒の肴に、みなで楽しんでいるというところなのだろう。
あとから、僕と同じくらいの年の人も、2、3人、入れ替わりで入ってきたのだが、またこの人たちも、年配の先客に負けず劣らず得体が知れず、そのうちの一人は僕にお銚子をご馳走してくれて、京都が変われば日本が変わる、そのために自分は、こういう最下層の人たちが集まる飲み屋街へ飛び込んで、そこから世界を変えようとしているのだと、熱く語ってくれた。最後には、「ぜひいっしょに革命を起こしましょう」と、握手までした。
その人によれば京都という街は、千年以上都だったにもかかわらず、明治維新でその座を奪われ、天皇を東京へ持っていかれて、それで京都の人たちは、人間不信になり、自分の殻に閉じこもってしまったところがあるのだ、とのことだった。そのあたりのこと、僕はよくわからないが、でもたしかに、そういうところもあるのかもしれないなとは思った。名古屋の話にもなって、名古屋もやはり、明治維新でやられてしまった徳川の本家本元だから、いまだに現代社会にたいして、ある不信の念をもっているところがあると思うと言ったら、まさにその通り、そういう意味で、京都と名古屋は似たところがあるとのことだった。
四条大宮という街は、もともと阪急電車がここを終着駅としていて、昔はかなり栄えていたのだが、電車が河原町まで延び、中心がそちらに移ってしまって、それからすこし寂れてしまったのだそうだ。そういう意味じゃこのあたり、昔の繁華街の雰囲気を今に残しているわけで、僕はそういうのがとても好きだから、ここを選んだのは偶然だったが、いい場所に越してこられたと思うよな。