2010-01-23

小林秀雄全作品25 「人間の建設」

小林秀雄の全集も、読み続けてかれこれ10か月、全33巻中、別冊2巻を先に読んだから、27巻まで来たことになる。最後の2巻は、小林秀雄が書いたものじゃなく、まわりの人が小林秀雄について書いたものだったり、年表などの資料だったりするから、実質あと3巻。もうちょっとだな。

この25巻「人間の建設」は、小林秀雄が1958年から1963年まで取り組んだ、ベルグソンについての連載が中断し、それから2年弱、次の本居宣長についての連載が始まったあたりまでの文章が集められている。
小林秀雄62歳、そろそろ人生も、終わりへ向かって、下り坂に入る頃かと思うが、まだまだまったく、引退するとか、そういうつもりはないのだな。ベルグソンの連載で、未完に終わったとはいえ、はっきりと明確になったテーマがあって、それは一言でいうと、「精神と物質が、どう折り合いをつけられるのか」ということなのだが、未完になっただけに、心の炎がより強く、燃え上がったのだろう、なんとか自分なりの答えを見つけたいと、思い続けているのだ。

ちょっと前に雑誌で、立花隆が書いたものの中に、東大だかの脳科学者が、「脳の研究が発展すれば、そのうち心理学とか、言語学とか、そういう人間の精神に関することはすべて、脳という物質の振る舞いで言い表すことができるようになる、そういう学問は、遠くない将来になくなるだろう」なんてことを言ってるのを見たことがあるが、小林秀雄がいちばん強く批判するのは、そういう考え方だ。
現代科学の発展により、天体の運行とか、原子や電子の振る舞いとか、そしてその延長に、生物の身体の中における、タンパク質とか、核酸とか、そういう分子の振る舞いも、ずいぶん詳しくわかるようになり、それによってたしかに、生物や、そして人間の色々なことが、説明できるようになっている。しかし、そういう、物質が客観的にどんな振る舞いをするのか、ということ、それもたしかに、一つの実在に違いないが、もう一つ、それとはまったく別個に、人間の精神という、これは決して客観的に見ることはできず、自分自身が、主観的に、見るより他ないものなのだが、それももう一方で、はっきりとした実在、たしかに存在するものなのだ。そういう、人間の主観的な側面を忘れ去って、すべてが客観的に言い表されるという幻想を抱いてしまうことが、現代の文明における最大の間違いであると、小林秀雄はデビュー以来、強く主張してきたのだったが、さらにここに来て、ただ間違いであると指摘するだけにとどまらず、それではその、物質と精神という、相異なる、しかしたしかに存在する二つのものが、それではどうしたら、折り合いをつけて、一つの体系としてまとめることができるのか、現代科学という、物質のふるまいのみを扱ったものだけが、体系化されていて、もう一方の、欠かすことができない、精神というものが置き去りにされているから、現代の様々な問題が生まれているのであり、きちんと精神というものが含まれた、より大きな一つの体系、そういうものを、自分自身がすべてを見つけることはできないにしても、その方向くらいは指し示したい、そう思っているのだな、小林秀雄は。

この25巻の中でも、随所にそういうことを、小林秀雄は書いているのだが、中でも圧倒的に面白いのは、この25巻の表題にもなっている、「人間の建設」という、これはもう亡くなった数学者である岡潔という人との対談。
小林秀雄は、ずいぶん色々な人と対談してるのだが、ほとんどはあまり面白くなくて、ずいぶん前の、坂口安吾との対談、これまでは面白いのはこれくらいしかなく、物理学者湯川秀樹との対談も、話がぜんぜん噛み合わず、つまらなかったのだが、今回の岡潔との対談、これはすごい。
岡潔という人は、僕は今回初めて知ったが、かなりの人物なんだな、言うことがいちいち面白いし、さらに小林秀雄と、息がぴったりと合って、お互いに共鳴しあって、お互いの話が、次々と引き出されていくのだ。

小林秀雄は、そしていよいよ、上の問いをもって、本居宣長に挑んでいくわけだ。10年に及ぶ連載だから、すごいよな。小林秀雄の人生の、最終幕が、これから始まるってわけだ。