2009-07-08

小林秀雄全作品8 精神と情熱とに関する八十一章

小林秀雄の全集、相変わらずちまちま読み続けているのだが、この第8巻は読むのにほんとに時間がかかった。アランというフランスの哲学者、だそうだ、の一冊の本を、小林秀雄が丸々翻訳し、本来これを一冊の本として出版したものが、全集の一巻になっているということで、だからこれは、アランという人が書いたものなのだ。僕は小林秀雄が書いたものを読みたかったから、全集を読み始めたわけで、元々アランという人に興味はない、でも小林秀雄が訳したのならば、なんとかこれを早く終わらせ、次を読みたいと思ったのだが、哲学の本など読みつけないということもあるが、読んでも読んでも頭に入ってこない、取っ掛かりがない、これを書いたアランという人の人格に、触れることができないのである。

半分ほど読んだところで降参し、残りを飛ばし読みして、最後の、小林秀雄が書いた、一ページほどの訳者後記を読んだのだが、そしたらそこに、「原著者はかなり早口に喋っているから、読者はゆっくり読んでほしいと思う」と書いてある。そうか、秀雄が言うことなら仕方ないと思って、もう一度さっきまで読んだところに戻り、今度はゆっくり、一行を二度も三度も目で追うように読んでみると、あら不思議、今度は書いてあることが、嘘のように頭に入ってくる。いやもちろん、きちんとわかるということでもないのだが、あれほど取っ掛かりがなかった文章がまったく姿を変え、アランという人の人となりを感じられるようになったのだ。こういうことってあるんだな。でもそうやってゆっくり読んだものだから、一ヶ月以上の時間が掛かってしまったというわけなのだ。

小林秀雄はこのアラン、ほんとに好きで、若い頃から何度も読み、自分の思考の基礎にしてきたんだな、読んでわかった。随所に、小林秀雄が言っていることの、あ、これが元ネタ、って言葉が悪いが、なんだなということを感じる文章が見つかるのである。それが何なのかを一言で括ることはもちろん不可能で、また今読み終わって、こうやって思い返してみても、これが素晴らしい本だということはわかるのだが、それを評すべき言葉は見当たらないな。だいたい哲学の本なんか、他にあまり読んだことがないし。ただ好きだなと思うところはいくつもあって、その一つ、ゆっくり読み始めてすぐに、僕がアランの人となりを強烈に感じた所を引用してみたいと思う。まあこうやってある一部分だけを引用しても、読んでどれだけ理解してもらえるとも思ってないけど。

「決定論」ということに関することで、決定論とは物理学の世界のように、自然の法則がはっきり存在していて、そうすると原因が決まると、結果は計算によって、はっきりと予言できる。それを物理の世界だけじゃなく、人間の世界も、人間の意志とか希望とかそういうことには関係なく、すべての未来は、実際にそれを計算することは無理だとしても、実は必然的に決まっているのだ、という考え方のこと。以下はそれについてアランが書いている部分だ。

明瞭な決定論に依って、凡ての物は在る所に在るだけという事になると、これは精神を痺(しび)れさせて了(しま)う。立派な忠告に従うのは常によい事だ、僕が従うのが必然であろうが無かろうが。僕が自由に決心する前に動機を計算しようが、或は将来必然に行う処を、動機の調査によって予見しようと努めようが、思案熟考というものが不自然な行為になるわけもない。僕が為ようと誓おうが、為るだろうと正確に知っていようが、決心は決心である。約束でもそうだ、行為でもそうだ、或る人は自分の望んだ処を為たと言うだろうし、或る人は為ないではいられない事を望んだまでだ、というだろう。こういう風に、決定論は、感情、信仰、躊躇(ちゅうちょ)、決断を説明する。スピノザは言った。「叡智(えいち)は君を救うのだ、必然に依って救おうと、何に依って救おうと」。では、僕らは一体何について議論しようというのか。
議論はしまい。何者も約束せず、何者も望まず、僕を好きとも嫌いとも言わぬこの広大なメカニスムを、何物も顧慮しないで、僕は眺める。眺める精神は、少なくともこのメカニスム と同等の物に思われる、広さでは及ばないが、見せてくれる処を遥かに越えてメカニスムの裡(うち)に侵入して行く点で、言わば充分これと比肩(ひけん)するのだ。精神が、事物を捕らえようと事物の上に分散して拡がる様に思われる、と言うのではない。部分や距離が存在するのは、部分も距離もない精神の単一性に依るのだ。部分自体というものは部分自体に過ぎず、即ち部分ではない、二つの部分の間の距離も亦(また)二つの部分に対しては外から附したものに過ぎぬ。従って部分もなくあらゆる事物を包含するこの精神が、何か土竜(もぐら)の穴の様なものの中に閉込められる様な恐れはないわけだ。考えて見給え、若(も)し君の精神が君の身体の裡にあるとすれば、君の精神は、自分の身体と他人の身体との距離を考えられまい。この大組織の本尊は、到る処に同時に存し、到る処で全一でなければならぬ。そんな芸当ができるだろうか。恐れてはいけない。君の精神を信用し給え。
「君の精神を信用したまえ」、かっこいいな。