2009-01-05

ナンシー関


ナンシー関というのは「テレビ評論家」で、まあもしかしたら知らない人が多いかもしれないけれど、一時は連載を10本くらい抱える超売れっ子のコラムニストだった。
「週刊文春」にも連載をしていて、僕はそれを毎週ほんとに楽しみにして、ナンシー関のテレビ評論を読むために週刊文春を買うといっても過言ではない位だったのだが、あ、それはちょっと過言だが、あるとき突然、亡くなってしまい、連載も終了し、深い喪失感をおぼえたのだった。
それから6年半がたつが、それ以来もほぼ毎週買っている週刊文春、ナンシー関のコラムに匹敵するコラムは未だ見かけない。
椎名誠のくらいかな。

夏に近くのブックオフでナンシー関の文庫本が5、6冊あるのを見つけ、買って来たのだが、改めて読むとあまりに面白く、Amazon.co.jpで手に入るだけの文庫本を買い求め、それ以来4ヶ月間、トイレで、風呂で、移動中、寝る前、ナンシー三昧を続けてきたのである。
しかし楽しいことは長くは続かない、とうとう最後の一冊を読み終えてしまい、これから僕の人生どうしたらいいんだと、ちょっと呆然としているところである。
大袈裟だが。

ナンシー関はテレビが好きで、一日十数時間、テレビを見続け、あ、そうそう忘れてはいけないが、ナンシー関はまず「消しゴム版画家」として世に出たのである。
というか、肩書きは死ぬまで、「消しゴム版画家」であった。
テレビを見続け、そこに登場する芸能人、タレントを、思わずにやっとしてしまう毒のある切り口、「そうそう、言うよねこの人、そういうこと」と思うような、そういう消しゴム版画にしてしまうのである。
http://www.bonken.co.jp/index2.html
ここにナンシー関が生前やっていたホームページがそのまま残されていて、消しゴム版画もいくつも掲載されているので、ちょっと見てみたらいいかも。
消しゴム版画の横につけた説明文が始まりで、それが拡大して、週刊誌1ページ位のコラムを書くようになったという訳だ。

一般にナンシー関のコラムは「辛口」批評と言われる。
芸能人やタレントの、本来はこうでなければいけない筈なのに、欲がからんでつい露出してしまう恥ずかしい部分、そこをナンシーは(と無断で名前を呼び捨てにしてしまうことにするが)見逃さず、徹底的に突くのである。
それを真っ直ぐ、攻撃的に表現してしまうのでは、まあ僕などもよく書きがちな、二流の論文、ただの感想文になってしまうだろう。
しかしナンシーがすごいのは、それを常に、「にやりと笑ってしまう」というところに持っていくことだ。
「あー、そうそう、そうだよね」と膝をうつ快感、ナンシーのコラムはすべてが、そういうものを感じさせてくれるのだ。

どうしてそんな、曲芸のようなことが可能であるのか、読みながらしばしば考えるのだが、まあそれをここで開陳しても、「オヤジの持論」以上のものにはなりようがなく、やめておく。
また同様、僕はナンシーが亡くなったことが残念でたまらず、「なぜ彼女は死んでしまったのか」と、こんな風に書くとまるで恋人にでも対するような言い草で照れるが、それを何度も考えてしまうのだが、これにも意味がない。
人は誰でも、いつか死ぬのである。
それがただ、早いか、遅いかの違いだけなのだ。

ナンシー関は、僕と同い年である。
享年39歳、早すぎる死であるが、それがナンシーの人生だったのだと諦めるしかない。