2008-06-27

お好み焼きは愛情

と、下で書いたのだが、広島風お好み焼きの味を決める決定的な要因は、味の素を使うか、使わないか、だと思う。

味の素は、味が足りないから入れるわけだが、なぜ味が足りないかといえば、時間をかけないからだ。キャベツともやし、この二つのうまみを引き出せるか出せないか、ということだ。

カレーを作るとき、たまねぎは弱火でじっくり炒める。飴色にするためには、驚くほど時間がかかる。しかし丁寧に時間をかけさえすれば、誰でも同じ結果を得ることができる。
もやしとキャベツも同じなのだ。時間をかければおいしくなる。

しかしお好み焼き屋も商売でやっている以上、お客の回転率を上げなければならない。そこで葛藤が生まれる。

味の素を使うということは、本当の意味でのおいしさを諦めているということだ。
味の素を使わないということは、難しいながらも、本当のおいしさを追求するということの決意表明である。

中華料理屋も、味の素をよく使う。しかしこれは、中国人の堕落した姿だ。
もやしはあまり強くない火で10分くらい炒めると、本当においしくなる。しかしそれでは商売にならない。だから強火で炒める代わりに味の素を入れることで、2分で済ますのだ。

今日行ったお好み村の店でも、味の素を、ざー、というほどかけていた。
何も知らない観光客が、食い物にされているのだ。