2008-06-10

宮島



宮島へ行った。
厳島神社を見て、ロープウエイに乗って、と思っていたら、広島の知人が、それはぜったい、歩いて登らなければいけない、と。広島生まれの広島育ち。広島にかんしては、厳しいのだ。言われたとおりスニーカーをはき、ペットボトルに水を入れ、出発した。
最寄の駅からJRで20分、船で10分。歩きと待ちの時間を入れても、一時間ほどで着いてしまう。桟橋からちょっと歩くと、厳島神社。





ほんとにきれい。平清盛が創建し、鎌倉時代に再建されたが、きれいに残っている。原爆でやられなくて、ほんとに良かった。

たまたま結婚式をやっていて、新郎新婦が特別に注文したとのこと、雅楽にあわせて、古代の舞をおどっていた。



それがどの程度、本当に古代の舞なのかは分からないが、こうやって長く続いている場所は、神社にしても、店にしても、サービス精神旺盛だと思う。
厳島神社は世界遺産に登録されているそうだが、世界遺産に登録されると、誰かがお金をくれるのだろうか。
いずれにせよ、こういう建物が残っているということは、それを人が支持し、収入があり、その収入で補修をし、と事業として成立してきたということだろう。それを1000年にわたって続けてきたのだから、ほんとにすごい。
今でもほんとにきれいに保たれているのに感動して、300円の入館料を払うのだが、さらにお賽銭で100円、それ以外にポケットにある小銭をぜんぶ、寄付してきた。200円くらいだけど。

宮島は、島中に鹿がいる。



桟橋のあたりにも、参道にも、山の頂上にもいた。猿もいた。ぜんぶ野生のようである。餌をやらないでくれと書いてある。公衆便所の入り口が、鹿が入り込まないよう、鉄の柵で閉ざされている。鹿は人間に媚びるでもなく、無視するでもなく、ごくごく自然に、その辺の草をぽりぽり食べている。
人と自然の共生と簡単に言うが、人間が努力しなければいけないことが多いだろう。山に抱かれ、海に洗われる厳島神社の美しさとは、まさにそのことを体現しているのだと思う。それがただ建築物だけの話ではなく、島に精神として継続しているのは、素晴らしいことだなと思った。

さて登山。弥山、みせん、というのだが、観光案内所の女の子に、そんなに大変じゃないんでしょ、と聞いたら、はいはい、私でも登れますから、と軽く言っていたのだが、いやいやいや、どうしてどうして、標高は535メートル、初めのうちこそなだらかなのだが、



中盤以降はほとんど階段。



不摂生を続けているぼくの身体は、息は絶え絶え、汗はだくだく、登れと言った知人を恨み、観光案内所の女の子を恨み、何度途中で引き返そうと思ったか。
しかし何とか、頂上に到着。そこは絶景。



500ミリリットルの水を飲み干し、アイスクリームを食べ、煙草を吸い、達成感と開放感にしばし浸った。

麓に下りたら、やはり、かき。焼きかきと生ビール。



生かきもあったが、寿司ねたでもそうなのだが、ただ生のものよりも、ちょっと火を通したり、干したり、酢や昆布などでしめたり、人の手がちょっと加わったもののほうが、ぼくは好きだ。
さらに、かきめしというのも食べ、たいへん満足して、帰途についた。